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彼岸花(感想)_娘が嫁に行く父親の苦悩

『彼岸花』は、小津安二郎監督による1958年公開の日本映画。
映画ポスターには当時の人気女優と思われる3人が佇んでいるが、本作はどちらかというと娘を嫁にやるおじさんの苦悩の方が印象深い作品となっていると思う。
以下ネタバレを含む感想などを。

結婚に踏み出す娘と、その父親のすれ違い

平山渉(佐分利信)は大手企業の常務で、妻、2人の娘と共に暮らす4人家族。
友人の娘たちも結婚するような年齢になってきて、長女の節子(有馬稲子)にもそろそろ結婚の縁談を。と考えていたところへ突如谷口という男が節子との結婚について許しを請いに来る。
しかし谷口の来訪が突然であったことや、言いなりにならない節子の態度が面白くないからか、平山が頑なに結婚を反対するという話し。

本作では上記した節子を含め、結婚を意識する年頃の3人の娘たちとその親の様子が描かれる。
平山の中学時代の同窓生、三上(笠智衆)の娘、文子もまた父親の言うことを聞かずに実家を飛び出して男と同棲しており、平山馴染みの旅館の女将の娘、幸子にいたっては結婚する気すら無さそう。
本作では娘たちが縁談そのものに興味を示さなかったり、恋愛結婚に憧れたりと自己主張するのに親たちが戸惑い、時代の変化に伴う結婚観の変化が扱われている。

結婚をテーマにした父と娘の物語としてはありきたりな展開ではあるのだが、人々のやり取りには考えさせられるものがあるし、結婚式前夜、頑なに出席を拒んでいた平山が考えを改め、それを母から聞いた節子が静かに泣くシーンには静かな感動もある。

矛盾もまた人間らしさ

娘を嫁にやる親の複雑な気持ち、つまり理性では年頃の娘を嫁にやりたいけど、感情的にはいなくなると寂しいという感情は『晩春(1949年)』の曾宮周吉のセリフにもあったが、曾宮周吉は寂しい気持ちをグッと飲み込んで娘を嫁にやっていた。

持つんなら、やっぱり男の子だね。女の子はつまらんよ。せっかく育てると嫁にやるんだから。行かなきゃ行かないで、心配だし。いざ行くとなると、やっぱりなんだか、つまらないよ。

本作の平山の場合、曾宮周吉のように娘の背中を押せる父親ではないワケだが、家族旅行で箱根を訪れた際、平山は戦時中のことを「つまらんやつが威張っている」と苦々しげに吐き捨てていた。
この言葉には戦時下において個人の自由を犠牲にされ、国の利益を優先されられたことへの批判を含んでいると思うのだが、娘が恋愛結婚したいというのを否定する行為はある意味、娘の自由を奪っているのだから戦時中に自分が受けたような不自由を娘に強いているとも言える。

そして平山は自分の娘のことでは恋愛結婚を許さないが、他人の娘には「親の持ってきた縁談に従う必要は無い」と矛盾したことを言う。だから幸子が嘘をついて平山を誘導することで、平山の矛盾した思いをうまく暴き出していた。

しかし、そんな矛盾を妻清子に指摘されたことに対して、「人生は矛盾だらけなんだよ、誰だってそうだ」と、逆ギレする平山の気持ちにもまた人間らしくて共感できる。

また、終始夫の平山を立てて言いなりだった妻清子が、真剣に夫と向き合って娘の結婚を後押しているのには、夫婦としてのバランスの良さが感じられてとても微笑ましくもある。
いずれにせよ、自らの意志で結婚相手を見つけきた娘に父親のできることなど少ない。

現代的な感覚で目につく違和感

1958年公開の映画というだけあって結婚観以外にも現代と異なる価値観を感じさせるシーンがいくつかあった。

特に印象的だったのが家族の中の父親の存在感の大きさだ。結婚式から帰宅した平山がタキシードを脱いで畳へ置いていくシーンでは、その服を愚痴ひとつ言わずに拾い上げて、当然のようにハンガーにかけていく妻清子の行動はまるでお手伝いさんのよう。
外で仕事をして稼いでくる夫が偉いという常識がまかり通るため、夫婦の間には明確な上下関係があるように見えるが、恐らく当時の家庭ではなんら違和感の無いことなのだと思う。

別の見方をすると、ひとりでは着替えられない平山の様子は、まるで母親に躾けられている子供のようでもある。
家の外では堂々としたスーツ姿で人と接しているし、結婚式での淀みのない平山のスピーチは見事なものであっただけに、そのギャップがなんとも可笑しい。

さらには、いい年した中年が中学の同窓生で集まって飲みに行き、挙げ句に旅行まで行って、旅先で三上の詩吟に聞き入る大人たちの楽しそうなこと。
そうして三上が途中で詩吟やめると「大楠公の唄」を皆で唱和する。これが共に戦争体験した世代ならではの結束力なのか、いずれにせよこのシーンには言葉にせずとも仲間内で伝わる記憶を再確認しているかのようで心に沁みる。

また、話しの筋とは直接関係無いが、平山家の畳の上にちょこんと置かれている赤いやかんがとても印象的だった。
本作のタイトルである彼岸花と、色合いが似ているからそれを連想させるために置いたのか。それとも平山家の3人が女だということを強調するための小道具なのか。いずれにせよやたらと可愛らしいヤカンが昭和らしさを表現していると思った。


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