見出し画像

バービー(映画感想)_自らのアイデンティティーについて考える

『バービー』は2023年8月に日本公開のアメリカ映画で、監督はグレタ・ガーウィグ。
皮肉の効いた笑いの要素と、現実離れしたポップなバービーランドがお気楽な印象だが、性差をきっかけにアイデンティティーについて考えさせられるから内容は重たい。
以下、ネタバレを含む感想などを。

男どものありがちな行動パターンを皮肉る

バービーランドでは様々な人種・体型・職業のバービーたちが踊ったりしながら、まるで時間の流れの止まったかのような世界で日々最高な日常を繰り返しながら過ごしている。
しかしある日一人の定番バービー(マーゴット・ロビー)が”死”について考えはじめ、ハイヒールを脱いだらベタ足になり、セルライトを発症したりと突然変異してしまう。

定番バービーは原因を突き止めるため、ボーイフレンドのケンを伴って現実世界へ赴くもそこが男性優位の社会であることに戸惑う。
しかも少女たちからは性的なプロモーションや現実離れした美しさを「フェミニズムが遅れた原因のファシスト」と、存在意義すら否定される。

打ちのめされたバービーはバービーランドへ帰っていくが、そこは男性優位の社会に魅了されてしまったケンによって「ケンダム」へ塗り替えられているのだが、これは職業をビーチとのたまう中身空っぽな男が世界を支配している時点で、ただ男だからというだけで優位な立場にいられる現実社会を皮肉っているのだろう。

その後バービーが人間の女性(アメリカ・フェレーラ)の言葉に自信を取り戻し、ケンたちを油断させながら洗脳を解いていくシーンは一番の笑いどころ。
これ見ようがしにPCを開いて「フォトショップが難しい」と呟いてみたり、ゴッドファーザーを観たことが無い、投資初心者のフリをするなど。

多くの男性がやりがちな上から目線による知識のひけらかしを揶揄しているのだが、わざと無知を装うバービーの確信犯的な行動も、現実に女性たちが作為的に行っていることを暴いてもいてかなり皮肉が効いている。
むしろバービーから彼女にしてくれと懇願され、表面的には感情を殺しながらも聞こえてしまうような声で喜ぶケンの素直さはある意味単純で可愛気があるように見えてくる。

現実にありえないことだらけのバービーランド

バービーランドのバービーたちは日々最高な日々を過ごしているように見えるが、そもそも幸せというのは比較となる過去や他人がいないと実感しづらいので、幸せだけが続くというのは現実にはありえない。
そもそも人形だから飲食や歯磨きは素振りだけだし、車は乗っているだけで進むし股間はツルツルでリアリティは無いのだが、それともバービーたちは所詮人形だからピンクとパステルカラーに囲まれたつくりものの世界での日々を最高の日々と認識するようインプリンティングされているのか。

さらに現実の世界が男性が支配する社会なのに対して、バービーランドではバービーたちがケンたちを従えており、男女の支配が反転している。
有色人種の女性が大統領であったり、女性たちが社会的な地位にいるため現実とのギャップが突出し過ぎていて際立つ。いずれにせよ2つの世界は排他的で性差による偏りが世界を歪なものにしているという意味では共通している。

つまりどちらの世界も支配者側が自分本位で、他者への共感が不足がちで、だからこそケンたちからバービーランドを取り戻した際に、これで元通りと言うマテル社のCEOに対して、大統領バービーは全てを元に戻すのは間違いと言っている。
では、どうするのが正しいのかという回答を最終的にケンと定番バービーへ委ねているのだが、頭が空っぽな二人に決断させているというのが肝。

ケンとバービーそれぞれの決断

バービーランドを取り戻した定番バービーは、存在意義の揺らいでいるケンに対して「ケンとは何者かを見つける」ように促す。
自分らしくあるというのは個人の自由や意志を尊重することだが、同時に自らのアイデンティティーについて思考することも求めている。
そもそもケンはバービーありきでつくられたボーイフレンドでしかないことを考えるとこれはかなり酷ではある。なにしろバービーが存在しなかったらケン単体では人形として価値がほぼ無いのだから。

ケンによってバービーランドがケンランドにされていく過程で、洗脳されたバービーに「何も考えなくていい、脳が永遠に休暇中」と言わせていたが、この言葉が醜悪な印象を与えるのは、考えることを諦めるなというメッセージの裏返しだったのかも。

しかし現実の世の中には自覚の有無はともかく、考えることを放棄して周囲に流れて生きている人も一定数存在していて、そういう人たちにはある意味かなり突き放したメッセージにも受け取れる。
監督のグレタ・ガーウィグのように自立して、確固たる自我を持っている人には当たり前なのだろうが、それを苦痛と受けとる人もいるように思う。
そうしてこれまで自らの存在意義について考えて来なかった定番バービーは決断する。

定番バービーは様々なことを学んで成長したことで、以前のようにお気楽な日々を過ごすことが出来なくなり今後どうするべきかを悩む。
ルックス以外に取り柄の無い定番バービーにとって、死を受け容れて人間になるというのはかなり勇気のいる決断だろう。
これはつまり考えることを苦痛と捉えて放棄している人々にも、自らのアイデンティティーについて考え続けるように強く促していると受け取れる。

いずれにせよ、多くの少女たちの夢を具現化したバービーランドですら、目指すべき理想の世界ではない。
日本版の予告編のナレーションでは「全てが完璧」などと言っているがそんなのは嘘だ。
過酷な現実の対価として成長を実感できるし、本当の幸せを実感出来るということだろうが、苦痛を無かったことにする単純明快なハッピーエンドにしていないからこそ素敵なエンディングだと思う。


サントラは楽曲のバリエーションが豊か。
頭を空っぽにしてディスコグルーヴで踊らせるDua Lipa「Dance The Night」のノリの良さはかなり好み。
元曲がいなたいAqua「Barbie Girl」をサンプリングして、ゴリゴリに仕上げてくるNicki Minajのセンスも素敵。
サントラ未収録だけど劇中ではSpice GirlsCyndi Lauperがサラッと流れていたり、女性のエンパワーメントを高めようとする信念を選曲からも感じさせる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?