ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語(映画感想)_今よりも女性の社会的独立の困難な時代の話
6月21日、日本公開の作品をやっと観に行く。
ルイーザ・メイ・オルコットによる1868年発表『若草物語』の小説が原作で、監督はグレタ・ガーウィグ。
以下はその感想などを。
慎ましく生きながらも、それぞれに個性のある四人姉妹
19世紀後半のアメリカが舞台となっており、マサチューセッツ州コンコードに住むマーチ家の四人姉妹を中心に物語が展開する。父親が南北戦争の従軍牧師として出征して不在の少女時代と、姉妹が大人になってからの2つ時間軸で様々な出来事が起きることになる。
四人姉妹はそれぞれが個性的で、容姿の美しい長女メグはダンスパーティへ繰り出したり、華やかなドレスで着飾る社交界への憧れがある。しかし堅実な考え方の女性なので。愛する夫と子どもたちのいる家庭があれば幸せになれると、ローリーの家庭教師をしていたジョンと結婚することになる。
本作のメインヒロインである次女のジョーは、行動的で強気な性格の持ち主で文章を書くのが得意。後にローリーから求婚されるも愛情を感じることは出来ないとプロポーズを断ることになる。
三女のベスはピアノが得意で優しい性格の持ち主。ピアノ演奏を通じて向かいの豪邸に住む寂しいローレンスの祖父の心を解きほぐすことになる。しかし、ベスは若くして猩紅熱で他界することになる。
四女のエイミーは、絵を描くことが得意で叔母と一緒に絵の勉強を兼ねてヨーロッパ旅行へ行くことになる。少女時代のエイミーは背伸びしたい年頃なのと生意気な性格のせいでよくジョーと衝突することになる。後にジョーに振られたローリーと結婚することになる。
4人の姉妹はそれぞれが自由で自分の意志を持っているのために結婚や画家、物書きと異なる人生を歩むことになる。そんな娘たちに対して両親は助言こそすれ、娘たちの決断した生き方に干渉まではしない。女性の生き方の選択肢の少ないこの時代に、娘たちの意志を尊重し温かく見守れることが特徴的だ。
とはいえ、結婚した3人の姉妹が財産よりも「愛のある結婚」に拘っているところが気になる。しかもジョーとエイミーは財産のある男性に求愛されているのに断っている。愛されているのであれば、やがて自分にも愛情が生まれてくることが考えられるし、財産があれば大事なマーチ家の家族を不幸にする確率を減らせすこともできる。
実際、本作には朝食を食べられずに施しを受ける家族のエピソードも出てくる。食うに困らなくなった現代では恋愛結婚が当たり前のように思われているが、男の跡継ぎのいない当時のマーチ家では将来に対する不安を考えると愛を最優先に考えている場合ではないのでは、と考えてしまうがそういう考えは夢が無いのだろうな。
なぜいまさら、150年も前の若草物語を映画化したのか
ジョーは将来結婚せずに独立した女性になりたいと叔母に話すも、「女が稼げる仕事は、売春宿の経営か女優しかない」と返されるシーンがあり、当時のアメリカ社会における、女性に対する社会的評価の低さをあらわしている。
ジョーのモデルは原作者のオルコット自身だが、オルコットはジョーと違い生涯独身であった。また、女性参政権を主張するような人であったので知性と行動力を兼ねた女性であったと思われる。
本作品で女性が社会で自立することへの困難さが強調されているのは監督のグレタ・ガーウィグが訴えかけたいテーマとしてあったはず。なので、ジョーが「小説の主人公に結婚させること」を出版社との交渉材料に利用したシーンはとても重要な意味を持っている。
なぜなら、ジョーの逞しさや知性を考えたら男性に頼らずとも一人の女性として自立し生きていけるはずなのだ。現代では当時より女性の待遇が改善されてはいるだろうが、女性に対する評価の低さは確実に残っている。そのためジョーに出版社と対等に交渉させるシーンを入れたのだろう。
全体を通しての感想としては、原作の素晴らしさや俳優たちの演技力があってのことだが、恋愛を絡めたドラマチックな映画のエンターテイメントとしての楽しさと、女性の権利主張という堅いテーマを無理なくまとめた良い映画になっていると思う。
自分としては、「女性の生き方の選択肢が少ないこの時代に、どう生きていくべきか」要所で現実的なアドバイスをして、姪たちにきちんと財産や思いを遺して逝く叔母の凄みが印象に残るのだ。
ていうか、ゴシック・ファッションで身を包んだメリル・ストリープが迫力あり過ぎでしょ。怖すぎるわ。
instagramの「tasteofsreep」という奇妙なアカウントをフォローしているせいでメリル・ストリープに対する親近感がありすぎるということもあるのだが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?