時には「バッサリ」といく
春先のことでした。
ご近所の奥さまから
「明日、木を剪定するため大きな音が出ると思いますが…」
と丁寧なご挨拶があり、翌朝から大掛かりな作業が一日中続きました。
夕方になり3階建てくらいの高さのその「木」を覗いてみると、沢山の葉が茂り、自由に枝葉を伸ばしていたにもかかわらず、なんと、空高く伸びた枝はもちろん、葉は全て落とされていました。
人間の私がいうのも変ですが、春とはいえ見た目が寒々しく上着をそっとかけてあげたいくらいの母性を感じ、心が動いたくらいでした。
しかしこれは自然界では常識的なことであり、寧ろ「木」のためには善意なことなのです。
これから迎える春夏にかけて、葉が多すぎては風通しが悪く梅雨の時期には蒸れてしまい枯れる原因になってしまうのです。
この場合、「木」のためににはバッサリといってしまう方が良いのです。
私は「算命学」という学問を学んでいるため、自然界の日々の動きを観察することが多いです。
大自然と木の関係性は、私たちの関係性でも同じようなことがいえます。
私はよくスマホの中身を見て感じることですが…
「このアプリほぼ使っていませんけど…」や
「LINEの友だちってこんなに必要?」なる問題。
「イヤイヤいつか使うはず…」
「仕事の時、この人の助けが必要かも!」
なんていう諸々な理由をつけ、放置すことが多いです。
こういう時こそが、あの木のように「バッサリ」なのですが。
もちろん、ご自身で日頃整理する方には何のことやら?ですね。
先日友人が、スマホが故障したらしくデータが消えた・・と深く落ち込んでいましたが、
「身代わりになってくれたのかもよ」
と伝えたところ、色々と思い当たる節ある、とのこと。
自分のバランス保ったり、機運を活かすためには
時として思いきったこと、今まで自分の行動では考えられないことを行動として起こすことは大事です。
その中にこそ、可能性や秘められた才能があるもの。
「スマホの故障でデータが消える」
というのは本人にとっては偶然や突然であったとしても、それは必然であって
「自分にとって本当に必要なものは何か⁈」
を問われていると解釈します。
この世は『偶然でなく全てが必然である』そうです。
余分な枝葉を切り落とし、更なる活躍のために。
「本当に必要なもの」は、手放しても必ず自分のところに帰ってきます。
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