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ハオルチア

殺してしまった。初めてだ。

それはもちろん人ではないけれど、私の手で殺してしまった。

丁度、私が親元を離れて生きてみようと決心した時、はじめてのひとり暮らしのお部屋にお迎えしたハオルチア。お花でもなければサボテンでもない、不思議な緑の多肉植物。

感情に任せて家を飛び出して、はじめて自分がまだ子供だと知りました。それは決して寂しさではなく、不安や焦りや将来に対する諦めでもない。
でもこの気持ちを表せる、素敵な言葉を持っていない。

私が物を書き始めてから、3年が経ちました。小説と銘打った劣等感や、エッセイと名乗った傲慢を、人並みに重ねてきました。1人パソコンに向かってみては、いつも自分がこの世界の誰よりも孤独なように振る舞いました。

現実にはそんなことはありません。私は普通程度の不幸を乗り越えながら、寛大な幸せに耳を塞いだりしています。一人で暮らしてみて分かったことは、夜は長いということくらいです。

ハオルチアはというと、水やりさえ忘れてしまう私のことをほっといて、すくすくと育ってしまいました。緑の葉っぱとも茎ともいえない肉厚な部分が、だんだんと鉢を乗り越えるくらいになりました。

これには私、柄にもなく嬉しくなりました。私は私に関わらず逞しく生きる人が好きです。さっさと歩くみなさんの、背中ばかりを見ていたいたちなのです。立派に育ったハオルチアに、思わず写真も撮りました。笑っちゃうくらいおっきくなったので、いい春だったなと思いました。

春が終わると、たくさん雨が降りました。カラフルな長靴を履いたり、綺麗な傘を差したり、そんな粋なことはしていないけれど、たくさん外に出かけました。良いことも嫌なこともたくさんあったけれど、一日が終わるまでの間に、がんばって外に出たりしました。


私は、一年前の私より、少しくらい逞しくなれましたでしょうか


梅雨も去って夏のとある日、ハオルチアは、大きく体を倒してしまいました。どうやら生長に鉢が狭くなってしまったようでした。
それに気がついたのは、私が長く家を空ける前の日でした。苦し紛れに私は、新しい鉢と替えの土をネットで買って、帰宅したら植え替えようと、そんな悠長なことを考えていました。


結論からいうと、ハオルチアは死にました。
私の馬鹿と無頓着が、ハオルチアを殺しました。

私以外の誰の目にも止まらないように、私はハオルチアを片付けたのです。残ったのは用途のなくなった鉢と土と、一年間鉢が置いてあった、ぽっかりと空いたスペース。

植物は正直で、とても逞しい。空を見ているだけで、少しばかりあらゆることが大丈夫になって、いろいろなことを乗り越えていけるような気がして、ちょっとだけ大人になったような気分になる。

たった一年間だけど、私はそういうことを考えました。

身勝手なごめんなさいと、薄っぺらなありがとうを。

ハオルチアを手にしたあの日を思い出しながら。



こんなにおっきくなるとは思わなかった!

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