長ぐつと小説家

 ぴちゃん。

 まるで幼子のような音。ぴちゃんぴちゃん。わたしの長ぐつが音を奏でる。緑というには美しすぎて、青と呼ぶには穏やかすぎる。この街でたぶん、いちばん綺麗な色の長ぐつ。雨が降る日ばっかりだから、つい早起きをしてしまう。せっかくのおやすみに雨の音で目が覚めるなんて、なんだか小説の主人公みたいで厭らしい。もしも今日一日を小説にしても、たぶん起承転結なんてありません。たった数行、数ペエジにも満たないわたしの一日を、お読みくださる人がいたとしたら、きっとその人のほうが主人公だと思う。なのでわたしは今日も、幼子のような自由さで一日を始めようと思います。

 水たまりを飛び越える。と同時に、水面がゆらゆらとゆれる。触れていなくても震える水面に、わたしの長ぐつの緑が映る。わたしの目で見るよりも、水面に映したそれの方が一段と綺麗に見える。わたしの見ている世界はいつも、わたしの見たいようにしか切り取られない。それはとても幸福で、ちょっとだけ不憫。次の水たまりには、わざと右足から着地する。ぴちゃっ、という潰れた音も、雨の音に彩を添える。わたしの緑は軽やかに長雨の中を行く。

 建物は雨のモノトオンに掠れて、こういう風景のことを趣深いというのかもしれないけれど、わたしはカラフルな方が好き。雨だけ降って人のいない街を見ると、なんだかどんよりとした気持ちになってしまいます。人は雨の日ほど上を向くべきである、と誰かが言ったことにしましょう。わたしの小説を書くにはまず、クレヨンで色を塗らねばなりません。わたしはわたしに素直な気持ちで、この風景を素敵なものとして描きたい。

 すれ違う人の傘を眺める。赤。青。透明。紺、紺、桜。雨の日にすれ違う人は、みんなとてもおしゃれです。みんな、自分に似合う色の傘を知っている。誰しも一つくらい、お気に入りの傘を持っていると良い。傘が開いている間は、いつもよりちょっとだけ子どもに戻ってもよい。傘の柄を掴んだあなたの右手は、真っすぐ上を向いている。人の心というものは、手先に表れるものだと思う。傘に触れる雨の音。ぽつぽつ、ぱちぱち。わたしの長ぐつと調和して、わたしの歩みを早くする。

 わたしはどんな風に見られているのだろう。すれ違う人の顔は傘に隠れて見えません。ただ、彼らの傘の色だけが、彼らの大切なものを語っている気がする。彼らが何を大切に想っていて、何を成すことを喜ばしく思っているのか。そういうことは、決して雨に滲まない。わたしの長ぐつはわたしにとってとても大切で、とても綺麗な緑色。すれ違う、名も知らぬ貴方たちの目にも、素敵な色に見えていたら嬉しいと思う。

 わたしが主人公の小説は、いったいどんな物語になるのだろう。すれ違う人の物語はたぶん、とても丁寧で、熱心で、思い入れ深いものに違いない。たくさんの雨傘の中で、その一つ一つが鮮やかな色めきを持って輝いている。たくさんいる主人公の中で、わたしも少しだけ、主人公。ぴちゃん、と歩くわたしを、誰かが読んでくれたら、きっとそれを幸いと呼ぶのです。

 わたしはいくつ目かの水たまりに着地する。音とともに上がる水しぶきを、美しいと感じる人のことを、小説家と呼ぶことにします。わたしの小説はもうすぐおしまい。だってもうすぐ、雨も上がってしまうから。雨あがりには虹が架かるもの、だなんて、小説の終わりには、すこし都合が良すぎるかしら。


「にゃあ」

 傘も長ぐつもない、小説家さんがここにも一人。

「綺麗な色やろ」

「にゃあ」


 子猫の裸足。ぴちゃんぴちゃん。



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