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二〇十三年十一月四日

 冬になろうとしていた。その日は二〇十三年の十一月四日で、楽天が巨人を倒して日本一になった次の日で、未華子さんが亡くなる二週間前だった。

 月曜日なのに仕事が早めに終わった私は、八王子駅北口の駅ビルの中で偶然に未華子さんに会った。まだ新しさをほとんどそのまま残したビルの内装が少し早いクリスマスに浮かれ始めていたのと、私のスマートフォンがほとんど田中将大のガッツポーズと今は亡き星野監督の胴上げ姿に埋め尽くされていたのを覚えている。少し腹回りのサイズが小さくなったジャケットを羽織る私に対して、未華子さんは地に足の着いた大人らしい上着を羽織っていた。

 未華子さんに会ったのは久しぶりの事だったが、彼女はその時間の経過を感じさせないような以前と変わらない話し方をした。会話をしているのにゆっくりと話が脱線していき、けれどそこには不思議と不快さがないような、掴みどころのなさがとても彼女らしいと思った。巨人負けちゃったね、と未華子さんはしんしんとした声で言った。未華子さんは高校時代にソフトボール部の部長を務めていて、人数は少なかったけど部員みんなから慕われていた。その話を聞いたのはいつだったかは覚えていないが、ほとんど虚ろになっていく記憶の中で数少ない正しく記憶していることの一つだった。私も野球を見るのは好きだったからもちろんその試合を見ていたが、巨人が好きな未華子さんと違って私はどちらのファンでもなかった。強いて言えば楽天が日本一になったらドラマチックだなと、にわか野球ファンのほとんどと同じくそんな気持ちで見ていた。

 未華子さんは駅ビルの一階にある小さな店でケーキを選ぼうとしていて、私は呑気に後ろからその様子を見ていた。昨日の仙台は大雨が降っていて、星野監督はその雨にも打ち勝ったような晴れやかな表情で九回宙に舞った。八王子は既に雨の跡の一つさえ残っておらず、行き交う人々は冷たい空気を裂きながら早足に帰路についている。未華子さんはショートケーキとチョコレートケーキに交互に目配せをして忙しそうだった。クリスマスケーキでもお祝いでもないらしいけれど、確かに、ケーキを食べるのに理由なんて必要ないかもしれないと思った。

 これにしよ、と言って未華子さんはショートケーキを一つだけ買った。すると私の方に向かって、買わないの? とまたしんしんとした声で言う。彼女の声を聞く度に冬の訪れを感じるような気がした。けれどそれは今振り返ってみて初めて感じることができる侘しさかもしれない。彼女と話していた私はむしろ彼女の朗らかに笑う姿に季節外れの心温かさを感じてしまうほどだった。私は夕食に昨日作ったカレーが余っているから、今日はケーキはいらないと言うと、彼女はカレーの後にケーキを食べたらいいと言った。何者にも縛られることのないように、生き生きと笑う彼女の姿がショーウィンドウに艶やかに映る。雨さえ知らず、八王子駅は緩やかに夜を迎えていった。

 雨の仙台、東北が一つになり、そして、田中将大が伝説になりました。

 美味しいのに、と未華子さんは少し不服そうな表情を浮かべたので、私はつい笑ってしまった。まだ食べていないケーキを美味しいと言い切る彼女の横顔は、ほんの少しだけ私の知らない表情だった。きっとこういう表情を晴れやかというのかもしれない。巨人が負けて悔しい気持ちはどこにもなくて、むしろあんなに素晴らしい試合をもう二度と見ることはできないだろうというじんとした想いを噛みしめているような表情だ。私の知っている彼女はもう少し自分の人生に対してふわふわとした心のまま生きていて、よく言えば自分に素直な、悪く言えば少し子供らしいところのある人だと思っていた。お互いに年を取ったのかもしれない。過ぎ去った時間はそんなに長くないと思っていたけれど、大抵は気が付いたときには遥かに時が経過していると思った。楽天は創立九年目で初めて日本一になった。その時間の長さは人によって変わるのかもしれない。時間は誰にでも平等だけれども、誰に対しても公平という訳ではない。それでも私は彼女に再会した今日この時間に、染み入るような優しさを感じていたのだった。

 八王子駅の改札前で私は未華子さんと別れた。別れ際の未華子さんはもう一度、ケーキ買えばよかったのに、と笑って言った。私はそれを丁寧に断って未華子さんを改札へ見送った。小さくなっていく背中はやはり、以前にも増して大人になったなと、失礼ながらそう思った。

 それが彼女に会った最後だった。

 ケーキくらい買って帰れば良かったと、今更になって、悔やんでいる。

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