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謎が多い「阿麻美許曾神社」

noteでは2回目の登場の阿麻美許曾あまみこそ神社は松原市六社のうちの一つに挙げられていますが、実はお隣の大阪市東住吉区に鎮座しています。

松原ぶらり紀行

1704年の大和川付け替え工事により、このあたり「矢田」が分断されてしまったため、参道もろとも大阪市となってしまいました。
その他のご祭神や由緒などを含む詳細はこちらです。↓↓↓

社名の中の許曽こその由来は、祭祀や森の意味を持つ朝鮮の古代国家・新羅しらぎの言葉で、初代王の赫居世かくきょせい居世きょせい許曽こそに転じたのではないかと言われています。
この名を持つ神社は全国に百数十社あり、そのほとんどは朝鮮半島からの渡来人が祖先を祀るために創祀したものだと言います。

拝殿は文久三年(1863年)建造のもので、本殿は独特の阿麻美造で昭和35年(1960年)に再建されました。

東住吉区


217歳の狛犬と獅子

拝殿に向かって左側の狛犬に角がありました。
一般的に左右一対の場合、角がある方が狛犬、ない方が獅子だと言われているので、こちらが狛犬なのでしょう。
尾はパッと見は扇形なのですが中央が渦巻いています。

台座を確認してみると、文化4年とは西暦1807年、217年前のもだとわかりましたが、そこから左側は読めません。
調べてみると以下のように書いてあると解りました。

「天見山 阿闍梨快道あじゃりかいどう之代」「文化四年九月」の銘

松原市の六社マップ

天見山てんけんざん 阿闍梨快道あじゃりかいどう???
「阿闍梨」とは仏位を授けられた弟子の僧の事をいい、「快道」という名の僧だとわかりました。
そしてこの地には元々、「天見山 神宮寺」だったらしく、快道が神宮寺の住職だった時代の狛犬と獅子だという事になります。

位を授かった高弟といえ、修行途中の弟子の僧が住職を務めるのでしょうか?

そして、神宮寺と言えば、前回ご紹介した「我堂八幡宮」の境内にもあったお寺でした。
どちらも同じ名で、明治の廃仏毀釈の時に廃寺となっています。

「我当八幡宮」の神宮寺は禅宗の「黄檗宗」でしたので、わからなくなりました。
というのも、調べてみると位の高い弟子の事を「阿闍梨」と呼ぶのは、密教であり「天台宗」「真言宗」なので宗派が食い違います。

同じ神宮寺ではないのか?
阿麻美許曾神社は我堂八幡宮の北1.7キロという近さという事もあり、違う寺をわざわざ同じ寺名にするとは考えにくく、神宮寺をめぐる両社の関係性はわかりませんでした。

仏教と神道の「神仏習合」まではわかりますが、同じ仏教でも、黄檗宗、真言宗、天台宗と出てくるので、この神宮寺自体の宗派もわけがわからなくなってきました。

日本人は大らかすぎるわ💦
ごちゃまぜミックスやん。

今回、狛犬の台座から様々なことがわかりましたが、まったくピントが合っていません。
また後日、どこかで判る時がきてアハ体験できる日がくると願っています。

「大坂西横堀」の「御影屋新三良(みかげやしんざぶろう)」という石工の作のようです。
それから、浪速狛犬は、第一台座(足座)は本体と同石でつくり、その下の台座(基壇)は別石で、こちらは花崗岩製です。

コメント欄komajinよる情報の追記です。


奈良・春日大社との繋がり

松原市歴史ウォークNO.115によると、

明治14年、春日大社の元禰宜の若宮春時氏を宮司として迎えたり、
その子・春隆が東門に建てた社号標石「郷社阿麻美許曽神社」は春日大社宮司の江見清風えみせいふうの筆によるもで、彼は國學院出身の神道学者でもありました。

若宮氏は当神社に移った後も元居た春日大社とも繋がり、お付き合いは続いていたことがわかります。

若宮氏親子2代での功績
・境内の整備
・氏子の組織をまとめる
・日露戦争へ出征した氏子を各村ごとに個人名を刻み顕影。

こんなところと言っては失礼ですが、まさか奈良を代表する寺社の一つの春日大社の名が出てくるとは驚きました。
若宮氏は奈良の社家町、南郷三十五家に数えられる名家でしたが、このような大阪の南端の郷社に来ていただいたことを考えると、出世欲よりも本当の神官としてやるべきことに邁進した正義感あふれる人物だと感じました。

当社からほど近い天美北7丁目の城連寺には、今も彼らの墓石があり、今も大切に祀られています。


何かと謎の多い神社で、どうもすっきりしない点があります。
・大阪市なのに松原市の六社に数えられてる?
・元あった神宮寺は我堂八幡宮と同じか?
・阿闍梨快道《あじゃりかいどう》は神宮寺の住職か?
・宮司を奈良・春日大社から招いたのはなぜ?

またご近所を探索していると、別の事柄から謎が解けるのかもしれません。


【追記】
上記の疑問にkomajinさんがお答えくださいました。
(コメント欄参照)

神宮寺とは神社に付属して建てられたお寺の総称で固有名詞ではなく、複数の神社内にあります。それぞれ違う寺院なので宗派もちがって当然なのです。
当社と春日大社の御祭神・「天児屋根命あめのこやねのみこと」が共通していたため、繋がりが深かったのではないかとのです。



【参考文献】
松原市歴史ウォーク
18 阿麻美許曽神社と渡来人
115 阿麻美許曽神社宮司の若宮氏
東住吉区


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