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わたしの10年もの 〈4〉

鎌田克慈さんの乾漆のボウル

在宅ワークのお昼ごはん、何食べてますか?

私の定番は、冷凍ごはんをチンして目玉焼きのっけ、昨晩の残りの何か。
その日の夕食用を兼ねて、お味噌汁を作ることもある。

ふだんから自宅で仕事することが多いので、テレワークが進んでも働きかたはさほど変わらない。あまり動かないからおなかも空かないし、料理や後片付けの手間も省きたいので、大抵は写真のような昼食になる。

こんな簡素で庶民的な食事でも「きちんと」見せてくれるのが、鎌田克慈さんの漆のボウルだ。

お椀ではなく「ボウル」と記したのには理由がある。このうつわには高台がない。テーブルとうつわの間でスッ...と背伸びするあれ。和食の汁物が似合う正統派の形とはちょっと違うけれど、だからこそ、お味噌汁やお吸い物以外でも受け止めてくれる。のっけごはんだけでなく、炊き込みごはんも似合う。あんみつも似合う。鍋の取り皿にすることもある。気取らないふだんの食事こそ、漆器のツヤと深い色合いで食卓が凛と整う。

もう一つ、よくある汁椀と違うのは、その薄さとフォルムだ。木地ではなく、布地に漆糊を塗って造形する「乾漆」という技法で作る鎌田さんの漆器はとても薄く、ろくろや彫りでは表現できないゆらぎがある。上から見ても正円ではないし、横から見ても直線ではない。けれどこの不確かな線が、あたたかく有機的な輪郭を描く。手に取るととても軽く、所作に寄り添い、口当たりも良い。

一汁一菜、一汁三菜などでうつわを組み合わせたとき、なんだか垢抜けないなと感じる人は、お椀を見直すといいと思う。

かくいう私も、鎌田さんのボウルを使い始めるまでは、無印良品の汁椀を使っていた。漆器は値段も高いし、陶器ほど色や形にバリエーションがないから、選ぶ楽しみにとぼしい。そう思っていたけれど、鎌田さんのゆらぎの造形に出合った瞬間、「こんな表情豊かな漆器があるなんて」とハートを撃ち抜かれた。最初に京都のギャラリーで目にしたのは高台があるお椀だったが、ネットで調べるうちにボウルの形があると知って、当時神楽坂にあった〈ラ・ロンダジル〉で通販させてもらった。

いつもの一汁三菜をこのうつわにすると、見慣れたおかずが途端にキリリとして見えた。ウレタン塗装のお椀とは佇まいがまるで違う。一緒に並べた作家ものの陶器もどこか誇らしげだ。ファッションにおける靴のように、メイクにおける眉のように、後回しになりがちなものこそ「いいもの」を選ぶと、アベレージが一気にあがる。暮らしが、日常が、好きになる。

「丁寧な暮らし」ブームはすっかりひと段落して、むしろ「#丁寧な暮らしに憧れる」と言ってみたり、「丁寧な暮らしではなくても」と提案してみたり(『暮しの手帖』5世紀4号の表紙のコピーは記憶に新しい)、丁寧な暮らしにまつわる攻防(?)は日々更新される。定まらない「丁寧」を追いかけて、足元を見失わないようにしたい。

丁寧な暮らしを決めるのは、調味料を手作りすることでも、毎朝ベッドを整えることでも、「いいね」の数でもない。
私の1人ごはんは地味で手抜きそのものだけれど、漆のうつわにのった目玉焼きの薄膜をつつく瞬間は、誰のものでもない、小さくもたしかな幸福だ。
その人の暮らしの範囲で、後回しにしていたものやコトに、ほんの少し手をかけることができたなら......。
それだけでじゅうぶん、暮らしはやわらかく、彩りをおびてゆくのではないだろうか。

鎌田さんのボウルを使い始めて8年ほど。食卓にのぼらない日はないくらい使っているから、ところどころ漆のカケがあったり、乾燥したりしている。目下の私の「後回しにしていること」は、その修繕だろうか。塗り直しができることも漆器の大きな利点だから、機会を見てお直しに出したい。
しかし、愛用しすぎてしばしの別れも受け入れられないというのが、正直な気持ちである。

(トップ画像の黄身を割る前。ふだんはクロスも箸置きも置きません・笑)

◯鎌田克慈さん
https://kamata-katsuji.jp

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