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『ギャルバン!』セルフライナーノーツ📖

私たちはどこに向かっているんだろう。
メンバーしか乗っていない小さい機材車の車内、他に車がいない真っ暗な高速道路を見ながら数え切れないほど思った。この車が向かう先で誰が待っているのか、ほんとは誰も待っていないなんて考えないように、夢と呼ぶには頼りないなにかを乗せて何度も夜を走った。

不思議と、残っている記憶はステージから見た景色じゃない。ライブ終わりにへとへとで運転した機材車の中、スタジオの蒸した空気、仲間と飲んだお酒、手作業でデモCDを作ったこと、楽屋の風景、メンバーとのくだらない会話。どうでもいいと思っていた事ばかりが何年経っても消えてくれなかった。

お酒の缶をへこませる癖がある。打ち上げでみんな同じお酒を飲むから、自分のだと主張する為にやり始めたのがはじまりだった。未だに缶をへこませてしまう。私はとっくにバンドを辞めて、酔って酒を間違えてくる仲間はもう居ないのに。

自分で作ったバンドを自分の手で解散させた。特別だと信じたメンバーはいたって普通の人間で、私もいたって普通の人間だった。物語みたいに、ある日何かが起こったり、誰かが見出してくれることもなかった。何者にもなれないまま、何も残せないまま、はじめからなかったことのようにバンドは終わり、私たちは他人になった。こんなに悲しいなら、もう二度とバンドなんかやらないと思った。

2022年6月。SHIMAISHIBAI vol.2「ギャルバン!」のビジュアル撮影を終え、実際の劇場でもある六本木BIGHOUSEを出て車を走らせていた。とっくに終電がなくなっていたのでギタリスト「不和ちゃん」役の大垣友くん(以下、友ちゃん)と、実際に六本木BIGHOUSEの店長であり、作中に出てくる六本木BIGHOUSEの店長「黒川曇天」役の白山治輝(以下、はるき)を乗せ、二人の自宅付近まで送り届けている車内。

友ちゃんはお酒が好きで「チー坊(友ちゃんは私をそう呼ぶ)、運転してくれてんのにごめんな!」と言いながら後部座席でお酒を飲んでいた。申し訳ないと言うくせに、酒を買うからコンビニに寄ってくれとしっかり意思を伝えてくるところに内心笑っていた。助手席のはるきと後部座席の友ちゃんが酒を飲みながら話しているのを、運転しながら聞いていた。今すぐ寝れるくらいヘトヘトにも関わらず、私はとても嬉しかった。どうして嬉しいのか、この時はわからなかったけど。

不和ちゃんは、酒飲みの役にしよう。二人を送り届けた帰り道そう思った。

人の作品に出ているうちに自分で作りたくなって、性懲りもなくまたバンドのようなものをはじめてしまった。SHIMAISHIBAIではもうあんな思いをしたくない。メンバーにもさせたくない。けどわからない。私はちゃんとできているのか。また失敗するんじゃないか。人を傷付け人に傷付くくらいならはじめなければいいのに。なんでやっているんだろう。あの時も今もよくわからない。

次はバンドの物語をやろう、というのは4月の佐吉祭の時点でなんとなく決まっていて、プロットはできていたので重松文(以下、ぶんちゃん)に読んでもらっていた。出演者はぶんちゃんと私、ベーシスト「大盛まりも」役のAyanoだけほぼ内定のような状態だった。

バンドがバンドでいられるのは絶妙なバランスで成り立っているからだと思っている。崩れそうなのに崩れない。いいバンドは危うくて儚くてなぜかちょっと切ない。本当はそんなことないのに、こいつらじゃないとだめだと妙に納得してしまう。

ギターが弾ける役者さんを探していると役者仲間に伝えて紹介してもらったのが友ちゃんだった。友ちゃんにOKをもらい「ギャルバン!」のメンバーが揃った時、どんなバンドか見えた。いいバンドになると思った。

バンドには演奏しない人も居て、その人たちを含めてバンドと呼ぶ。優しくて奇天烈で「ギャルバン!」を愛してくれる人を阿久津京介くん(以下、阿久津くん)にお願いした。最後に決まったのが、マネージャー役の神近梨子ちゃん(以下、かみちー)。かみちーがやってくれるなら、と書き足したシーンがいっぱいある。今の私にできる、渾身のキャスティングと胸を張って言える。

執筆時点でもこのバンドが好きだったけど、稽古に入ってからもっと好きになった。シーンに描いていない、普段の何気ない様子が稽古場や楽屋で実在した。みんなを見ていると「あの時のお前はああだった」がセリフなのに信じられた。本当にそうだったんだろうなと思った。Ayanoと友ちゃんが話しているところ、ぶんちゃんが大声でアップしてるのを誰も気にしないところ、音を鳴らしている時、私たちはバンドマンの役ではなくバンドだった。

ボーカルの叶は、イヤホンを耳に突っ込んで大きな声でアップをする子だったんだろう。ベースのまりもはスマホをいじりながら人の話に適当な相槌を打つ。ギターの不和ちゃんはスタジオに入ったらまずみんなのセッティングを手伝い、汗で濡れた服を脱いで新しいものに着替える。汐はドラムのセッティングをしながらあーだこーだ話してる。離と纏ちゃんは椅子に座り見守っている。何度も聞いている曲なのに、離の足はリズムを取り、纏ちゃんは「耳がキーンとなる」と言いながらにこにこしている。

稽古場でその景色を見た。小屋に入ってからも何度も見た。私たちはバンドだった。最初からじゃない。この夏でバンドになっていった。あの帰り道の嬉しい気持ちがなんだったのかようやく分かった。

いろんなところで話しているけど『ギャルバン!』という作品を私の青春発表会にはしたくなかった。そんなものはどうだっていい。

純粋に、物語を書いて演劇がしたかった。バンドという集合体の美しさ、自分の人生を他人と生きていくことの喜びだったりさみしさだったりを直近で見てきた私にしか書けない物語を書きたかった。それは結局思い出を物語にして発表することになるのかもしれないけど、それが目的じゃなかった。

自分にあった事そのまま書いても仕方ない、さてどうしようと考えてた時、私のラブ子である植田真梨恵がラジオで亡くなったミュージシャンの話をしているのを聞いた。まりえの知人であったらしいその方を、まりえが「音楽になった」と話しているのを聞いてストンとして書けると思った。

もう居ないあの子、解散したバンド、無くなったんじゃなくて音楽になったんだな。もう居ないけど、ずっと居る。なんなら、永遠なんかどこにもない世の中で、それこそが永遠なんじゃないか。亡くなっても、無くなっても、側に居られなくても、いつでも会える。ならもう悲しいことなんてなんもない。

「バンド」はなんだってよかった。私にとっての「バンド」が、観てくれた人にとっての大切なものにすり替わって自分の話になればいいなと思って書いた。

誰に頼まれたでもない、正解も道標もない、孤独な作業。毎日パソコンの中でみんなが話しているのを見ていた。なんだかんだであの頃の私は救われ、過去は無事過去になり、思い出話じゃなくて物語になった。泣いたり笑ったりしながらの執筆はつらくもあり、とても楽しかった。

同じ青春を過ごし『ギャルバン!』を観てくれた友達が「あの時はあの時で楽しかったんやなー」と言った。ちゃんと書けてたんだなと思って嬉しかった。そう、あの時はあの時。愛すべきは今。

過去はとても優しい。でも過去が優しいのは、過去だからだ。終わりを分かっていたとしても、別れが辛いと知っていても、どうしようもない毎日が待っていると知っていても、私はあのバンドをしたし、あの青春を選んだ。後悔なんか一片もしていない。

もう戻れないなら戻る必要なんてない。過去に恋してはいけない。過去とはいい友人であるべきだ。たまに肩を組んでお酒を飲んで、ほなまたと言って別れる、新しい友人ができました。

本番は「ギャルバン!」というバンドのワンマンライブの会場としてオープンし、観劇に来てくれたお客さんをライブを見にきたお客さんとして迎えた。受付でドリンク代とチケット代を払うのも、バーカンでドリンクチケットとドリンクを交換するのも、ライブハウスのトイレとかも、全部体験して欲しかった。

初日だけトラブルがありカットしたけど、開場から開演までメンバーには自由にライブハウス内をウロウロしてもらった。不和ちゃんはバーカウンターでお酒を飲んでたし、まりもは楽屋でメイクをし自撮りしてた。ぶんちゃんが演じるボーカルの「東雲叶」はずっとアップしてたし、私が演じたドラマーであり「ギャルバン!」リーダーの「潮汐」はお客さんの入りを確認したりPAさんや照明さんやマネージャーの纏ちゃんと話したりしてた。

お客さんに見せる見せない関係なく、ライブ前のバンドがしてて当たり前のことを当たり前にしてもらった。役者なのかバンドマンなのか、劇場なのかライブハウスなのか、ライブなのか演劇なのか。うーん、全部。

とはいえ演劇ではあるので、ライブも1つのシーンであり歌詞はセリフでもありました。物語の信憑性に直結するので、演奏のクオリティが単なるライブシーンではなくロックバンドのライブのレベルに達しているかはとてもこだわった。みんな頑張ってくれてありがとう。ボーカルの叶は日に日にかっこよくなり、見てるのが楽しかった。

お客さんが入っているライブハウスはやっぱり不思議なパワーがあって、劇場のそれとは少し違う熱に溢れてた。ライブハウスを会場に選んで良かったと心から思う。ステージはあるし、主にステージ上で芝居するんだけど、ライブハウス全部がセットと考えていたので、いろんなとこでいろんなシーンをやりました。

観てくれた人が好きでも嫌いでもいい。私はこれが好きです。一緒だったら嬉しいし、違ったら仕方ないと思う。私の好きな人が、私の作ったものを嫌いでも、それはそれで仕方ない。もっとやりたいこともあったし、後からこうやればよかったと思うこともたくさんあるけど、今できることはやったと思う。

「楽しい」は笑うことだけじゃない。演劇は辛くなったり悲しくもなったりドッと疲れもするけど、全部ひっくるめて「楽しい」。見ようとしないと見れないようなややこしいことをこれからもするかもしれないけど、与えられたお揃いのものより、自分で選んで自分が欲して手に入れたものの方がよくないですか?って私は思ってます。

やりたいことと情勢の相性がとても悪い中、やりたいこととできることの間で頭抱えながら作ってました。演劇的には既においおいと思われてるかもしれないけど、ある程度、感染症のない世界のライブハウスに寄せさせてもらいました。すみません。マスク着用の上、ご協力下さったお客様には心から感謝しています。本当にありがとうございました。

さあ私たちはどこへ向かいましょうか。あの頃のようにイライラしていない。何もかもが嫌いで、理解されてたまるかと思ってた頃の私もいない。それでもやっぱり、何か欲すると人を傷つけてしまうんだろうか。

できれば誰のことも傷つけたくない。傷つけられるのも嫌だ。なんの為にやってんだろう。やってない人生ってどんなんだろう。でも、本当に、考えるだけ無駄なんだよね。だってすきなんだもん。

楽しいは、一生懸命と真剣の向こうで待ってる。真剣にやればやるほど痛くて、とんでもない楽しさと喜びが待ってる。DVの彼氏のようにのめり込んでいく。なんですきなのって、わからん。すきなもんはすき、嫌いなもんは嫌い。だったらもうやりたいようにやって、自分で選んだことに向き合っていくしかない。

もっとやりたいなって思う。もっとやりたいな。

改めて、SHIMAISHIBAI Vol.2『ギャルバン!』にご来場いただいたお客様、本当にありがとうございました。アドバイスくれた諸先輩方のおかげで、あの短い公演期間でもブラッシュアップができた。

観て、感想をくれた皆様方、ほんとにありがとうございました。いただいた言葉に目を通して胸が熱くなる日々です。バイト代握りしめて遠方から来てくれた人。はじめての観劇に「ギャルバン!」を選んでくれた人。思いのこもったメールやメッセージをくれた人。ありがとうしか言えません。ありがとう以上の言葉を発明したいです。

楽曲制作者の森さん、照明の緒方さん、PAの風間さん、店長のはるき、撮影のあすかさん、カメラマンの水央ちゃん、レコーディングをしてくれたあべしょー、松尾さん、すずやん、友ちゃん、Ayano、かみちー、阿久津くん。SHIMAISHIBAIメンバーのぶんちゃん、ちーちゃん。本当にありがとうございました。

また、楽しいことしましょう。

今まで出会った全てのバンドマン・ミュージシャンへ。お陰様でひとつ作品を作れました。今もすぐ近くに居て仲良くしてくれてるみんな、もうどこで何してるか分からないみんな、遠くなっちゃったみんな。まだ続いてるバンド、解散したバンド。全部ありがとう。あの歌の中でいつでも会おうね。

そして元メンバーの萌子。最後のサポートメンバーだったたくと。ほんとに今までありがとう。

汐が叶を見つけたシーンは、実話を元にしていました。心斎橋火影の客席で萌子を見つけてバンドやろうって誘った。人生で最初で最後の一目惚れでした。

観てくれた人に「なんであの子がよかったのか、描かれてないから分からなかった」と言われたけど、実際理由なんてなかったし「あなたは一目惚れをしたことがないの?」と返しときました。

人生っておかしくてめんどくさくて楽しいね。

あの時はかき氷じゃなくて、パンケーキだったかな。どうでもいいと思ってた事をどうでもよくないと分かっていたら、解散なんかしなかったけど、もっかいうまれかわっても、私はまた萌子を誘ってバンドすると思うし、ぶんちゃんを誘って物語を書く気がします。

ありがとしか言ってないからそろそろ終わります。長生きしようね。また遊びましょう。ご来場、誠にありがとうございました!

森良太のnote

かみちーのnote

いつも読んでくださりありがとうございます。 サポートしていただけたらとってもとってもうれしいです。 個別でお礼のご連絡をさせていただきます。 このnoteは、覗いて見ていいスカートの中です。