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神になりたかったアダルトチルドレン

私はかつてアダルトチルドレンだった。

この記事の診断によると、私のアダルトチルドレンの型は
プラケーター>ピエロ≧ロストワン>ヒーロー=ケアテイカー≧イネイブラー>>スケープゴートの順だ。

ちなみに私の父親はスケープゴートの要素が最も強く、周囲の愛情を求めても上手くいかなかったため、大人になってからケアテイカーになろうとした。
しかし基本的に不器用で他者の心の機微に疎かったため、相手を喜ばせようとした行動が空回りして逆に不満を与えた上に、見返りを求めているのが透けて見え、スケープゴートの特徴である怒りやすくトラブルを起こすところは全く直っていなかったので、ますます嫌われるという悪循環に陥っていた。
彼は意識してピエロになれたなら、少しは報われたかもしれない。
母はヒーロー(ヒロイン)かつケアテイカー、イネイブラー、プラケーターの型が優勢なので、単体で見ると全く問題のない良い人に見えた。
私の母は実母(私の祖母)とその家庭環境に不満を抱いていたアダルトチルドレンだが、自分自身に対しての問題意識が薄かったために、考えなしに私の父のような人物と結婚してしまった。
父と違って器用だったので、特に見返りを求めなくても自然と相手から返されるはずだった。
夫が与えるより欲しい欲しいばかりの餓鬼でなければ結婚生活は上手くいっただろう。

母はプラケーター要素はあったが、私自身がプラケーター、ピエロ、ロストワンだったがために、私が母の精神的な支えにはなっても、私自身の本音は隠していたのでお互いに支え合うことはなかった。
母のケアテイカーとしての優秀さは大いに評価しているが。

さてここからが本題だが、私は本当は完全なロストワンになりたかった。
何故かというと、世界を安定させたかったからだ。
ちょっと何を言っているのか感覚的に分からないだろうが、原理的にそうなるはずなのだ(自分でもちょっと何を言ってんのか怪しい気はする)。

子供の世界観の土台が生育環境だとしたら、それを支配している存在は大抵は親である。
つまり親は子供の世界でいう神であり、彼らが安定していれば世界は安定している。
しかし彼らが不安定(アダルトチルドレン)だと世界は安定しない。
幼い子供が親を安定=アダルトスライバー化させるのは恐らく不可能なので、他の方法をとるしかない。
私はある時点で、与えられた環境で世界を安定させる最適解は、自分が完全なロストワンになることだと考えた。
自分でも何故このような発想になったのかは分からないが、恐らくは私が内向的な気質で、内面世界にこだわっていたことに鍵がありそうだ。
どうしてこれが最適解だと考えたのかは、いわゆる量子力学における不確定性原理で説明できると思う。
(今だからこれらの理論を使って説明できるだけで、当時は小学生くらいでアダルトチルドレンも量子力学も知らなかった)

神=世界を観測して確定(安定)させる者だとすると、私は親を信じていないため、自分の世界の神だと認めたくない。
だが、認めなくとも彼らが神のような存在なのは事実なので、何とかして彼らを神の座から引きずり落とすには?
物理的に排除しようと強硬手段に出ても新たな神が出現するだけで、さらに締め付けが激しくなる可能性が高い。
もし神が私を観測するのをやめたなら?
完全なロストワン、つまりいない子になれたなら、私の世界を観測して確定する存在は私だけになるのだ!

だが悲しいかな、私には肉体というものがあった。
空腹や暑さ寒さに苦痛を感じ、自分より強そうな存在に恐怖を感じる身体に縛られていた。
完全なロストワンになったら、肉体的な不自由に精神を支配されることだろう、またその危険を冒して肉体の滅びを受け入れたとしても、精神だけが残る保証はない。

あるべき理想の姿、ロストワンを前にして私は日和った。
中途半端な私だけの小さな世界を作るために、不完全な神に慈悲を乞うために、望まれた役割プラケーターになり、できるだけ取り巻く世界に波風立てないようにピエロになり、また世界を安定させる次善の策として愛を知ろうとした。
それは妥協であり、自分の弱さを認めて潔く散ることすらできなかった自分に失望した。
この圧倒的な敗北感を覚えたのは、遅くとも小学校中学年くらいのときだったと思う。
記憶がはっきりしないのは、自分があまりにも情けなかったので、その原因を捻じ曲げて自己洗脳したからだ。
私がロストワンを志向し敗れたのは、親を信用していなかったためで、無理やり信じれば原因そのものを隠すことができる。
特に母親は見方によっては信用に足る人物だったので、そう難しいことではなかった。
この自己欺瞞はしばらく保ったが、20歳くらいのときにこのままこの神を信じているくらいなら死んだほうがマシなことに気づいた。

今でも神や愛は立派でも偉大でもないと思っているが、神の目=自分の目であり、愛は心地良いものとも思っている。


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