自分を変えられるのは、自分だけ

いつから、諦めるようになったんだろう。

『他人と過去は変えられないけど
未来と自分は変えられる』
『神様は、決してあなたが転んでいる姿を見たいのではない。
そこから立ち上がる姿を見たいのだ。』

この2つの言葉は、10代後半〜20代前半の、座右の銘だった。

この頃は、過食症が最もひどい時期だった。

だからこそ、毎日のように学校や仕事の帰りに大量の買い食いをしながら帰り、
そして実家の晩ご飯を食べ、
その後、半分脅迫的に、毎夜近所を歩き回っていた。


だけど、いつからだろう?
“自分はもう、これ以上変わらない”と感じ

自分の悪習慣、受け入れたくない嫌な部分を変えることを諦めて
ふてぶてしく開き直ってしまったのは。


私はもうどう頑張っても自分の食欲には勝てない。
だってただひたすら食べること、咀嚼することが好きだから。
没頭できる趣味もなく、ただ食べることでしか自分が今日を生きる理由を感じられないから、幸せを得られないから、と、

食べ過ぎることを我慢するために自分を自制する気持ちすら、湧かなくなった。


多分、今の生活環境を変えれば
この悪習慣は変えられるはずだ、
(実家にいて、お菓子が大好きな母親が買い溜めしているお菓子が目の前に広がる環境。)

だけど、フルタイムで何処かの企業に属して働くことにトラウマがあるメンタル弱すぎの自分は、ここしばらくアルバイト生活。

こんな状況で、こんな自分で、こんな自分の収入で、
一人暮らしはできない(したくない)と
今の生活環境から抜け出す努力や足掻きすら、しなくなった。


なんて甘えている。
なんて甘ったれている。
なんて贅沢な。
なんて世間知らずな。
なんて傲慢な。
なんて、なんて………


ずっと、その“甘ったれた”状態のまま
生きてきた。

ここに来て、気持ちと意識は低空飛行のままだけど、
このままダラダラと生き続けるのはもったいない、
生きている意味、生かされている意味が無い、とまでは言わなくても、

過食症に悩み虚しさと自己嫌悪を感じるようになってから、20年弱が過ぎようとしている。

なんだかこの時間が、もったいないような気がしてきたのだ。

本当に贅沢な話だ。
贅沢すぎる悩みだ。

何不自由なく今日を生かされ、生きられているのに、
本当に、なんと贅沢で甘ったれている自分…。



今の自分を変えられるのは、自分だけ。

この自分を変えられるのも、自分だけ。


今日から、食後のお菓子として食べる量をセーブしてみよう。
ほんの少し、今日のこのどんよりと雲がかかった気持ちよりも、明日の気分を、少しでも良くできたら……。


自分を変えると強く決心したり、
自分は変われると信じる強い意志は持てない
(今まで何度も挫折してきたから、もう持ちたくない)けど、
今日よりは、この今日の虚しさよりは、
明日の虚しさの量を、ほんの少しでも減らしたい。


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