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【臨床と宗教】 第12回 十字架に込められた意味

前回まで
前回よりキリスト教の牧師である深谷先生から自身がスピリチュアルケアに携わるまでの生い立ちとともに,キリスト教の概要,特徴についてお話を聞いてきました.今回も,引き続きキリスト教の考え方を教えていただきつつ,隣人愛,アガペーについて学びます.加えてチャプレンの現状についても伺ってみました.

キリスト教の世界観

深谷
 キリスト教において人間とは基本的にどういう存在かというと,どうにもならない黒いものを抱え込んだ存在で,神から断絶してしまっていると考えます.その結果,人間は孤独になって,そして絶望してしまう.その断絶は自分では埋められません.修行をしても埋められない.どうしても埋められないその断絶を埋めるために,人間と神様との裂け目の中に自ら命を投げ打って,神であることを捨てて橋を架けたのがイエスであるということになります.メシア(救世主)というのはそのような神と断絶してしまっていて,泣いても喚いても届かない関係性を解消すべく橋を架けたことを指しており,それがキリスト教の信仰になっていきます.

 キリスト教の教会のてっぺんには十字架が立っています.十字架とは何かというと,人間に対して,神がどうかかわってくださるのかを示すものです.それは無限の許しであったり,無限の愛だったりするわけです.アガペーとキリスト教では言っています.

 私はよく浄土真宗のお坊さんたちと対話をするのですが,「十字架の本願」と私が言うとよくわかってくれます.要するに昔から人間には罪があって,煩悩に極まっていて,自分ではどうにもならない.それに対して阿弥陀さんは苦しい苦しい修行をして,罪人の人間を一人残らず救うまでは自分は仏にならない,そういう誓いを立てました.その苦しい修行と十字架を浄土真宗の人たちはイコールで結んでくれます.イエスは歴史上の人物で阿弥陀さんはそうでないという違いはあるし,ヘブライ宗教とインド宗教の違いはあります.それでもばっちり対話ができます.


 「十字架の本願」というふうに伝えるとわかってもらえたということで,大乗仏教系かもしれませんが,そのあたりは少し仏教とも共通性があるんですね.

深谷
 そうですね.とくに浄土教系の仏教の人たちとはすごくよく対話ができると思います.

十字架とアガペー


 今の話にも出てきたアガペーというのは興味深いですね.無限の愛,無条件の愛とか.

深谷
 アンコンディショナル・ラブですね.


 隣人愛とはどういう条件であっても相手を愛するということなのかなと僕は単純に理解していましたが,神を通しての愛という意味があるのだと先生の著書にも書かれていて,「なるほど,深い理解があるのだな」と改めて気づきました.そのあたりはキリスト教信者でない人たちには少し分かりにくいところだと思ったのですが,アガペーについてもう少しくわしく教えていただけますか.

深谷
 キリスト教の愛には三つの概念があります.ギリシア的な愛ですね.エロース,フィリア,アガペーと通常言われています.エロースは恋愛とかです.フィリアはフィラデルフィアの語源にもなっていますが,友愛.アガペーは神の愛.

 エロースは簡単にいいますと,あなたが美人だからあなたを愛する.「だからの愛」です.フィリアになると,もうちょっと「だからの愛」から離れてきますが,アガペーになると,「にもかかわらずの愛」.あなたは駄目にもかかわらず私はあなたを愛します.キリスト教的に言うのであれば,あなたは罪人でどう考えても真っ黒です,にもかかわらずあなたを愛します,ということですね.アガペーはそういう概念です.


 キリスト教の十字架もそういったことを表しているということですね.

深谷
 十字架の形は水平と垂直で出来上がっています.垂直というのは神からの愛です.神から私たちに注がれる愛で,水平は人間同士の連帯だと言われています.だから,まず垂直の愛があって,人間を神が,神が人間を愛する.そうすると,それがいっぱいになってしまう.いっぱいになったら横に向かって広がっていく.それが隣人愛と通常言われているものです.

 ハンセン病の女医さんで神谷美恵子さんという方がいらっしゃいました.私も『こころの旅』,『人間をみつめて』は大学生のとき大好きで愛読書でした.あの方が書いた詩で,『うつわの歌』というのがあります.うつわは,口をあけて天からの水を待っているとドボドボと水が注がれて,じきにあふれてしまって,どこに行くのか,私にはわからない.それはみくにの水だもの,みたいなことが書いてあります.どこかに流れていってしまう.「私はうつわ 愛を受けるための」と書かれますが,それです.隣人愛というのはそういうことです.

 マザー・テレサの実践もまさにそうです.マザー・テレサの修道会はカルカッタ(コルカタ)で活動していましたが,朝,聖餐式のパンを必ずもらいます.聖餐式のパンというのは私たち人間のために十字架の上で裂かれたキリストの肉を表しています.つまりこんなズタズタになるまであなたを愛しているよ,というそういう愛のシンボルが聖餐のパンです.それを受け取って,「神さま,私を愛してくださるのですね.もったいない.愛してくださって感謝します」と言って,そのまま貧しい人や死にかけた人たちのところに行くわけです.それがキリスト教のメカニズムです.


 ありがとうございます.だいぶイメージが湧いてきました.アガペーは文字で読んでも観念的にしか理解しづらかったのですが,先生の本の内容と合わせて今少し理解が深まった気がします.

 この著書の最初のほうにキリスト教信者とは祈る人であると書かれていました.聖書も毎日必ず読んでいるということで,自分の信仰の源に触れることで神という存在を感じて,そこから無償の愛みたいなところが出てくるのかなと感じました.

病院チャプレンの現状


 次の質問に行かせていただきます.チャプレンという存在ですが,病院などでの臨床ケアには現状どのぐらい携わられているのか,教えていただけますか.

深谷
 数的なことは,私も調べてみましたがよくわかりませんでした.私自身2000年代には12 ヵ所ぐらいキリスト教系の病院を調査のために回っていますが,それ以外にもいくつかキリスト教系の病院があります.病院1つにチャプレン1人のところもありますが,複数のチャプレンを置いている病院もありました.

 ただ,最近はキリスト教の聖職者,牧師をチャプレンという形で置ける病院が少なくなってきています.カトリック系の病院の場合はとくに深刻で神父,シスターを専任で置けるところはほとんどなくなっています.

 カトリック教会や聖路加の聖公会の教会もそうですが,司祭,神父と言われている人たち1人が2つ3つの教会を兼任しています.修道会のシスターたちも看取りをやっていたカトリックの病院から引き上げています.修道会自体が高齢化でつぶれそうになっているという問題があって,カトリック信徒さんで介護職,看護職,ソーシャルワーカーなどの基礎資格を持った人たちをスピリチュアルケアワーカーとして養成しているのが現状だと思います.


 今,キリスト教の神父,牧師になる人が減っているということなのでしょうか.

深谷
 そうだと思います.とくに神父さんは性的な問題を起こした件もあり世界的なバッシングもあるのですが,大きな点は独身制ですね.妻帯できないので神父になる人自体がかなり少なくなっています.シスターはもっと打撃があったと思います.シスターになる人が多いのはベトナムとかあのあたりですね.カトリックが多い国ですが,貧しい家の女の子でも学歴をつけてもらえて,世界に羽ばたくことができるのでシスターになっていくということが多いのではないかと思います.


 先ほどスピリチュアルケアの養成についても触れられていましたが,スピリチュアルケア学会がスピリチュアルケア師を養成しているかたちなのでしょうか.

深谷
 スピリチュアルケア学会が認定しているというのが正確です.スピリチュアルケア学会の認定プログラムが現時点で9講座あり,そこがスピリチュアルケア教育をやっています.二年制のところもあれば三年制のところもあり,単位数などかなり規定がありますが,背景的にはキリスト教系の人と仏教系の人が入り混じったプログラムがあったり,私は臨床パストラル教育研究会というカトリック系のところに所属しています.宗教的な背景が全くないところもあります.


 ありがとうございます.宗教的な背景で認定プログラムごとの特色がでてきそうで興味深いですね.

次回に続く

※本内容は「治療」2022年2月号に掲載されたものをnote用に編集したものです


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