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私たちが「見落としてきたもの」って何だろう? | アーティスト Emi Iwado Interview

「長い物には巻かれろ」。 
日本では特に馴染みのあることわざだが、
私たちはこの言葉に安心しすぎじゃないかと思うことがある。 
用意された何かへそのまま従うことは、
そこから得られる一側面の情報だけで
全てを判断してしまうということ。 
気付かないうちに「個」は衰退し、
それによる歪みが誰かを傷つけたり。
もし、一度立ち止まり
違う視点で何かを捉えることが出来ていたら、
気付かなかった側面や可能性に出会えているのかもしれない。 

テクノロジーを軸に社会への問いかけを発信する
アーティスト Emi Iwado に、
「マジョリティ」によって作られてしまう
バイアスの存在と危険性、そして
多様な見方が出来ることの尊さを聞いた。




Emi Iwado 岩藤 愛実

テクノロジーの発展とそれに伴う社会問題をテーマに、社会に問いかける作品制作を行う。東京大学理学部化学科卒業、東京大学大学院理学系研究科化学専攻修了。現在、東京藝術大学大学院デザイン科修士課程 Design Civics (Sputniko!) 研究室在籍中。






馴染んだ環境で見落とされていた "女性"、フェミニズムへの疑問


東大に行かれた後、藝大に入学されたという経歴かと思います。
直近だとジェンダーや、フェミニズム系 × テクノロジーといった形式で作品展開されていたかと思うんですけど、AI やテクノロジー関連の方が最初に興味があったことだったんでしょうか?

岩藤:
そうですね、最初も今もずっとテクノロジーと社会、未来に興味があります。自分がアーティストとして作っていくテーマとしてもテクノロジーが中心で、「私たちはどういう未来にしていきたいんだろう?」っていうのが大きい問いです。これが根底にあって作品を作ってますが、ジェンダーやフェミニズムの問題もかなり興味のある分野で。この前のSDGs x ARTs展での作品ではそういった問題をテーマにしました。
テクノロジーやフェミニズムの問題に興味を持ったきっかけは、東京大学在学中にバイオ系の研究室にいて、遺伝子組み換え、ゲノム編集といった最新技術がすごく身近にあったり、あと同時に AI にも興味があって自分でプログラムとか書くんですが。なんだろう、テクノロジーってどんどん発展していってるけど、例えば AI で言うと "女性" が見落とされているなっていうのをすごく感じたので、そういったものをテーマにした作品を作りたいと思いました。

なるほど。そうですよね、テクノロジー系の分野って女性差別的なことって結構あるじゃないですか。それこそ最近色々ニュースになったりとか、東大でも色々話題になった時期がありましたよね。ご自身が実際にそうゆう差別を受けたりとか、そういった経験があったりしたんですか?

岩藤:
そうですね、仰る通り、テクノロジー、いわゆる理系の分野ってまず女性が少なくて。東大の教授も男性ばっかりで。なんだろう、男性の目線でシステムが作られているなっていうのは感じました。別に明らかに差別されているわけじゃないですが(笑)。なんていうんだろう、女性に配慮されていないっていうのはありましたね。あとはもう社会が、「東大に行っている女性」とか「理系女性」っていうだけで、結婚できないとか言われるし、モテないとか言われるし。なんかそういう差別(?) はありますよね(笑)。

それこそ岩藤さんの作品で『Todai 女子のうた』も拝見したんですけど。あれはまさに東大在学中に作成された感じでしたよね?

岩藤:
そうです。藝大へ入学するのにポートフォリオを出さなきゃいけなくて。いけないっていうか、出すんですけど(笑)。ポートフォリオに載せるための作品を4つか5つくらいわーっと作って、そのうちの1つとして『Todai 女子のうた』っていう作品を作りました。

"Todai 女子のうた"

東大女子の中には、高校生の頃に「東大を受ける」と言うと「”女の子なんだから” わざわざ良い大学目指さなくてもいいんじゃないか。」と言われた経験がある人が多くいます。女性は勉強に励んだりキャリアを追い求める必要はなく、結婚することで幸せになれるという社会通念は、まだまだ残っています。 東大入学者のうち男性は8割以上。卒業し、官僚になると、やはりそこでも男性が約7割です。男性主体の場では、男性中心の考え方や決定がされやすくなります。女性の活躍の機会や権利を奪う社会構造は、それ自身が再生産される構造になっています。 ”女の子なんだから” という理由で将来を制限されない未来が来て欲しいという願いを込めた作品です。


そうだったんですね。そしたら別に、東大のなかで発表したというわけではない?

岩藤:
はい、そうです、発表は全然してなくて。藝大の試験に出しただけの作品になります。Web のポートフォリオに動画は載せてませんが、私が東大キャンパス内を歩いたり、踊ったりしてます。なんだろう、東大女子の、私個人のですけど悩みとか、色んなことを綴ったものになります。

在学中のご友人だったりとか、その頃当時周りにいた方に見せたりとかってしました?作品のテーマ的にもそうなんですけど、"その場" のことじゃないですか。だから、なんか反感を買ったりとか、例えば。あったりしたのかな、と。

岩藤:
それでいうと、研究室の先生には見せました。その先生は男性ですが、そういった男女差別や、理系分野に女性が少ないこととかを問題視している方だったので、「そうだね」っていう話はしました。
当時、上野千鶴子さんが東大の入学式でスピーチをされて話題になりましたが、女性差別について触れたお話で、私はそのスピーチがすごくかっこいいなと思ったんです。でも、この作品を作るうえで、東大の周りの女性にも話を聞いたりしましたが、(上野さんの祝辞に対して)なんか、女性として僻んでるだけじゃないの?みたいな意見もありました。別に東大に入って差別なんて感じることないし、(女性差別に)敏感になりすぎている、とか。意外に批判的なことを言っている女性もいて。女性が少ないってだけで優遇してもらうこともあるから、逆に良いこともあるっていう意見もあって、だからその作品はどうなの?みたいなことを言われましたね(笑)。 色んな意見があります。。。

それこそ海外だとフェミニズムとか、自分がフェミニストだって言っているひとって沢山いると思うんですけど、日本は全然いないと感じていて。多分理由として、もしかすると女性の方がちょっと下の立場の方が色々得があるみたいな、そういう風に思っている人もいるかもしれないし、差別はないにしても、そもそも不利であることを知らないみたいな人って結構いるよなって私も思っていて、、

岩藤:
本当、そうですよね。フェミニストってすごく概念が難しくて、、私もまだちゃんと分かってるわけではないんですけど、、、なんかフェミニストであるって言うとすごく男性を低く見ていると思われたり、誤解っていうか、勘違いをされやすいなと思いますね。私も別に、自分がフェミニストだとかって言うつもりはないし、ただ人間が平等であればいいなって思っているだけですが。なんか結構、反感を買っちゃうなとは思いますね。

マイナスなイメージが多いですよね。。
この『Todai 女子のうた』が藝大入学のための作品だったということでしたが、そもそも藝大に入ろうと思ったきっかけは何かあったんですか?

岩藤:
そうですね、前からアートはすごく好きで、ちっちゃい頃から好きでした。音楽はずっとやっていますが、何か作品を作りたいなとずっと思っていて。作り方の勉強、アートの勉強をきちんとしたかったです。で、あとは、最初もちょっとお話ししたように、東大在学中にテクノロジーや未来に興味があったので、なんかこう、問題提起を作品として伝えていきたいと思ったんです。その頃に Sputniko! さんがそういった作品を作られているのを見たり、藝大に研究室を作るっていうのをツイッターで呟いているのを見て、これは入るしかない!って、思いました。
今年度でもう卒業してしまうので、卒業後どうするかについては色々迷っているところですが、実はちょっと起業も考えていて。。

あ、そうなんですね。どういった起業ですか?

岩藤:
今、一番興味があるのは、女の子向けの STEAM おもちゃや、プログラミング学習とかです。テック系の勉強が出来るようなおもちゃを作りたいなって思っています。上手くいけばそれで起業したいのですが、、、

それも理系に女性が少ないっていうのが理由ですか?

岩藤:
はい、そうですね。私自身、プログラミングを始めたのって大学の4年くらい(?) の時でしたが、それまで全然、自分にプログラミングができるって思ってなくて。プログラミングって男性がやるものっていうイメージがすごく強くって、なんかオタクとか、暗いっていうか。でも、意外に勉強してみるとめちゃくちゃ楽しくて、私はすごく好きです。もうちょっと子どもの頃からそういうものに触れ合えてたら、もっとプログラミングを始めるのが早くて、将来専門家とか、仕事になる選択肢も広がっただろうなって思います。今の子ども向けのおもちゃって、やっぱりまだまだテック系とか理数系のものって男の子向けのデザインが多いし、女の子のものって育児とか掃除とか、おしゃれとかが多いですよね。そもそもの興味がそうなのかもしれないですが、女の子でも興味を持ってもらえるプログラミングのおもちゃが出来たら、もっと理数系の女の子が増えて、ものやテクノロジーを作る人にも女性が増えて、女性向けの新しいテクノロジーも将来的にどんどん増えるんじゃないかなって思ってます。今、作品制作で忙しくて全然進められてませんが、落ち着いたら作りたいなって。



人間=AI or 人間≠AI?または、人間 vs AI?


SDGs x ARTs展で出展されていた作品『Executive Reproduction』は、テーマが「AI に潜むジェンダーバイアス」だったかと思うんですけど。今、テクノロジーを欲しているじゃないですか人間って。SDGsの全体的な認識として「包括的」というワードは切り外せないようなイメージが私の中ではあるんですが、そのテクノロジーがどんどん入ってくるに従って、それこそバイアスが生まれてしまったりとか、SDGsが目指す方向とは真逆に進む可能性もあり得るんじゃないかなって思うんですけど、どう思いますか?(笑)
ジェンダーだけに関わらず、AI 自体そのものに大丈夫か?みたいな危惧視というか、危険視みたいな感じも最近ありますよね。

"Executive Reproduction"

近年、急速に技術開発と実用化が進んでいるAIですが、その開発には写真やテキストなどの大量のデータが必要とされます。その学習データが現実社会の差別や偏見を含んでいる場合、AI もその差別や偏見を学習してしまいます。実際、既に実用化されているAI製品には、ジェンダーバイアスを含むものがあることが分かっています。 本作品では、Amazonの画像認識システム(*注釈1)を用いて、フリー素材の男性3名と、政界のリーダーである女性3名の画像(*注釈2)を判定しました。男性は高確率で「Executive(経営幹部、重役)」とみなされる一方、女性は男性よりExecutiveの確率が低いか、もしくはExecutiveだとみなされませんでした。さらに、女性は「少女」「子供」だと判定されました。 実際、本作品で使用したAmazonの画像認識システムだけでなく、世界中で広く利用されてい るGoogleやMicrosoftの認識システムについても、こうしたジェンダーバイアスを含んでいるこ とが分かっています。一般的に、男性に対しては社会的地位が高い判定がされる一方、女性に対しては社会的地位の低い判定がなされます。 現実世界で使われているAIが、社会に浸透しているステレオタイプや偏見を学習し、反映していることは数多く報告されています。これは画像認識技術に限らず、自然言語生成などのAIに関する他の分野でも同様です。このようなAIを使うことは、意図しない差別や偏見の再生産や増幅、さらには新しい価値観の形成を困難にすることにつながります。 AI技術の発展の裏には、見落とされがちな差別や偏見の再生産の危険が常にあります。この再 生産を食い止め、女性もExecutiveだとみなされる未来のために、私たちは望ましいAIとは何かを議論する必要があります。

(*注釈1) Amazon Rekognition Custom Labels
(*注釈2) 女性の顔はそれぞれ、小池百合子(東京都知事)、カマラ・ハリス(アメリカ副大統領)、アンゲラ・メルケル(ドイツ首相)の3名。男性の写真 の顔部分のみ、女性の顔に入れ替えた。背景や服装は男性と同一。


岩藤:
難しいですね(笑)。
そもそもSDGsって今流行ってますよね。「包括的な」っていう話でいうと、なんだろう、ただ一意見ですが、テクノロジーってやっぱり大勢の人、マジョリティを対象にして作られて発展していくと思います。そういった時に男性中心で作ったりすると、女性的な視点が欠けたり。あとは、性的マイノリティや少数民族の問題、人種の問題も、そういう経緯で生まれてしまうことはあるんじゃないかなとは思いますね。

Amazon Rekognition Custom Labels

全体的に AI が危ない、使いすぎると良くないみたいな話が一部である一方で、使い方次第じゃないかとも思ったりするんですけど。でも使い方次第とはいえ、そこまで監理するのってすごく難しいじゃないですか。AI 自体がやっぱり使いやすいというか、便利なものだから、今あらゆる分野に普及されて広がっていると思うんですけど。なんか、今後どうなっていくと思います?(笑)

岩藤:
難しい質問(笑)。
なんだろう、AI は特に今すごいブームですよね。「 AI バブル」って言われるぐらい本当にそうだと思うので、今後は落ち着いていくのではと思いますが。監理する人とかそういう話でいくと、今回『Executive Reproduction』の作品では " AI に潜むジェンダーバイアス" をテーマにして色々調べましたが、日本は(監理の面が)やっぱりちょっと遅れているのかなと思います。欧米だとそういったことって問題視され始めて、だから徐々に、本当に AI を野放しでどんどん使っちゃって、浸透させちゃって大丈夫なのか、っていう、そういう方面での対策は考えられてくるんじゃないかって思います。
実際の機能面でも、IBM、Google、Microsoft などでは、そういう AI の公平性を確認出来るようなサービスが開発されていたりします。おそらくお金にはなりづらいので、どのくらい発展するかはわからないですが、そういう方向で進んでいくんじゃないかなと思ってます。楽観的ですかね(笑)。

『Executive Reproduction』では AI と生身の人間の違いというか、現実世界でのテクノロジーと人間とのギャップを示唆しているようにも感じたんですが、それよりも以前の作品『Dystopia-Utopia』でも AI 機能を使っていますよね。けど、この作品は前者で表現されていた AI 機能とは意味合いが違う気がして。どちらかというと、AI も人間も判断基準が同じですよ、みたいな捉え方を示しているのかなって思ったんですね。なので、ある意味この2つの作品が正反対だなっていう風に見受けたんですが。岩藤さんが思う「 AI と人間の関係性」って何か、どういったものなのか、思っていることはありますか?

"Dystopia-Utopia" (Dystopia)
"Dystopia-Utopia" (Utopia)

近年盛り上がりを見せるAIの手法の一つであるGAN(Generative adversarial networks)を使って、ディストピアな画像を学習させたAIと、ユートピアな画像を学習させたAIそれぞれに画像を自動生成させた。 AIは”良い”ものを学習すると”良い”ものを生み出し、”悪い”ものを学習すると”悪い”ものを生み出します。それは、見たものや聞いたものによって大きく変わる人間も同じです。AIや私たちにとって、“良い”ものや”悪い”ものとは何なのでしょうか? AIや私たちは、何を学習し、将来何を生み出すのでしょうか?


岩藤:
そうですね、『Dystopia-Utopia』は、AI で画像を自動生成させている作品ですが、なんだろう、結局、AI に学習させるものって人間が作って、選んで、学習させてるっていうか。私の中では、AI はただ悪いものっていうわけではなくて、中立的に見ています。
AI と人間の関係性、これ本当に私もすごく気になっているテーマで、それ一つで色んな作品になるなって思います。そうですよね、AI との関係性…難しい!(笑) すごい深い問題だと思う。

同じっぽい側面もあれば、意図しない方向にいってしまうような反対の側面もあると思ってて。結局その、テクノロジーだから、ロボットだから、みたいな感じで一個こう置いた存在にするのか。それとも、よくSF映画とかであるような、いずれもう人類がみんないなくなってロボットだけになっちゃうとか、人間が侵略されてしまうかもしれない危険物として扱っていくべき存在なのか、とか。

岩藤:
どうなんだろう、単なる機械だとは思いますが、でもまだまだ色んな可能性がありますよね、AI って。どのくらい人間ぽくなるかとかも私には予測できませんが、AI に振り回されないように、上手く共生出来たら良いんじゃないかな、と思ってます。




ウイルスとテクノロジーで描けるかもしれない "未来"


21_21への出展や、藝大の卒業制作を控えられていますよね。そのあたりの作品の内容ってお伺いできますか?

岩藤:
はい、21_21と卒展に出すものは大まかには同じ作品で、「バイオテクノロジーとその未来」をテーマにしています。東京大学の時に在籍していた研究室に今も通わせていただいて、"幸せになるウイルス" を作って、そのウイルスに伴う映像作品を作っています。

"Happy Virus"

本作品では、東京大学小澤研究室の協力のもと、人のニューロンに感染したセロトニンの受容体を発現するウイルスを作った。セロトニンは精神安定や幸福感をもたらすことから幸せホルモンとも呼ばれる。映像の主人公は世界を幸せにしたいと考え、このウイルスをデザインする。 このように現在のテクノロジーで、ウイルスのデザインは一部可能になってきた。 今、バイオテクノロジーは新型コロナウイルスワクチンや遺伝子治療など、多くの点で人々の役に立つものとしての研究が進んでいる。しかし、テクノロジーが広がり身近になると悪用される可能性も高まる。もしかすると今後、今回のようなパンデミックが人為的に引き起こされ るかもしれない。この作品を通して次のことを問いたい:私たちはどのような未来を作っていきたいのだろうか?


岩藤:
(ウイルスって)コンピューターウイルスじゃなくて、いわゆるコロナウイルスのようなバイオのウイルスです。具体的には「セロトニン」っていう、幸せホルモンと言われる物質の受容体を持つウイルスをデザインして、実際に作りました。このウイルスは人間のニューロンに感染するように作っていて、このウイルスに感染した場合セロトニンの受容体が増えるので、セロトニンを感知しやすくなって幸せになる、かもしれない。もちろん幸せってそんな単純なものではないですし、この作品では、本当に幸せになるかどうかは重要ではないのですが、映像作品ではそのウイルスを作って世界を幸せにしたいって思う主人公が登場して、ウイルスを作る様子を描いています。

なるほど、主人公設定があるんですね。少しファンタジー的なイメージなんでしょうか?

岩藤:
そうですね、「虚構」と「現実」の微妙なところです。いわゆるスペキュラティブデザインでいうところの「起こり得る未来」なのかなと思います。今回の作品は完全な現実じゃないけど、幻想とかファンタジーでもないっていう映像になるようにバランスを作っています。
問いかけたいことというか、テーマについて、今「ウイルス=コロナ」で、怖いってイメージがすごく強いじゃないですか。でもウイルスって意外と世の中にいっぱいいるし、無害なものもいっぱいいて。人の役に立つかもしれないウイルスを作ってみたいなって思って "幸せになるウイルス" を作りました。なんというか、そういうウイルスに対する捉え方が変わったら面白いかなっていうのが一つと、あとはバイオテクノロジーって結構怖いって思われたりしてますよね。遺伝子組み換えとか、デザイナーベイビーとか。でも、もちろん良い使い方をしたら難病が治るとか、そういった使い方も出来るし。もちろんその一方で、ウイルスを誰かが作っちゃって、人為的にパンデミックが起こっちゃうって可能性もありますが。つまり、バイオテクノロジーで、私たちはどんな未来を作っていきたいのか?どういう方向に進むのか?というのを問いかけたくて、作りました。

"Happy Virus"

なるほど。それもある意味バイアスですよね。ウイルスやテクノロジーに対するバイアス。

岩藤:
そうですね。テクノロジーとかウイルスに対する考え方をちょっと変えたいっていうか。新しい視点を持って観てもらえたら面白いなって思います。
最初にお話しされてた男女差別の話も同じですが、(現状が当たり前になりすぎてて)差別に気付いていない人もいるって私も本当にそう思ってて。私も最初(差別されていたり、自分が差別していたことに)気付いてなかったこともいっぱいあって。なんだろう、意外と周りに目を向けると、見落としているもの、見落とされているものの存在にも気づくなって思います。

そうですよね、一回疑ってみないと気付かないことって本当に沢山ありますよね。確かに、女性の社会的環境だったりウイルスの話とかも、なんだろうな、今もう既にある見方じゃなくて、一歩違う視点から岩藤さんは捉えようとしているんだろうと見受けているんですけど。そういう考える力だったり、体制も整っていけば、もっと可能性に満ちた良い社会になれるんじゃないかって思います。

岩藤:
私、アートってそういうものなんだって勝手に思ってます。何か新しい気付きや視点を与えてくれるものだと思ってて。そうじゃないもののためのアートもいっぱいあるんですけど。例えばワクチン打つとか打たないとかも、それぞれに考え方があって、絶対こうだ!とかって考え方は危険を伴うものですよね。なんか、色んな見方が出来ることってとても大事なことなんだろうと思います。




Q | 私たちが「見落としてきたもの」って何だろう?

色々な考え方・選択肢を前に、それなりに自分で選んで生きていることは確かだけれど、取って疑いにかかることは実はそんなに多くないのかもしれない。 例えばメディアやゴシップから流れる情報、「自分のことではないから」といって鵜呑みにしてはいないだろうか。 世間に溢れ出た一定の考え方に、個々の気持ちは反映されているのか。気付かないところで誰かを傷つけていないか。 その判断基準は本当に正しいものなのか、見落とされた側面は本当に無いだろうか。
一つ一つをよく捉え、疑い、考えてみる。そして違う可能性を見出すことが、社会の一人として存在すること、「自分」として生きることの意義なのかもしれない。

想像してみよう、あなたらしいやり方を創造しよう。あなたの「声」を #ChirudaVoice で聞かせて。


Recorded 2021.11.30
Interviewer : Haruko Kubo (CHIRUDA)
Editor : Haruko Kubo (CHIRUDA)

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