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高校生のライティング(=書くこと)における接続詞の使用方略③

 以前、「国語表現」の授業で「中学と高校の違い」というテーマで意見文を書かせた。その中で、文頭に「ですが」という接続詞を使った文章を30人中の3人が書いていた。
 『ですが」についても「書き言葉均等コーパス 少納言」で検索してみると、「。ですが、」は531件ヒットした。その上位100件のうち、出版物は42件であった。よって、「あと」や「なので」よりは一般的な接続詞としてとらえられているようだが、用例としては口語的である。

文頭「ですが」の使用について

① 思想とか、自然にとけこむことの大切さとか、そういう言葉はいっさい使われていません。ですが、読み進むにつれて、読者は生きものを仲間とする筆者の静かな心の世界に誘われます。(辰濃和男『文書の書き方』岩波書店、1994)

② 「私は発ちます」 ―どちらへ?「パリへ。ですが、まずご意見をお聞かせ下さい」母親にとって、心臓が止まるような衝撃だった。(エミール・ルートヴィヒ(著)/ 北澤 真木(訳)『ナポレオン』講談社、2004)

 ①が読者に語りかけるような口調で書かれた一般書からの用例であり、②は小説中の会話で用いられた用例である。文頭の「ですが、」は、①のように敬体の文体で書かれた語の逆接の接続詞として使用されているが、学校教育で用いる教科書や参考書には逆接の接続詞として掲載されていない。本校で使用している『国語図説 六訂版』(京都書房、p.492)掲載の逆接の接続詞は

  が だが でも しかし けれども ところが

 である。この中で「だが」は常体の文体の文末語尾「~だ。」に逆接の接続助詞の「が」が接続して成立したと考えられる。「ですが」も同様に敬体の文末語尾「~です。」に「が」が接続して成立したものであろう。しかし、高校生の使用する国語辞典では「だが」は接続詞として掲載されているが、「ですが」は掲載されていない[1]。当然、高校生が文章中に使用した場合には「口語的表現は使用しない」として減点対象となる。

 では、高校生はどのような文脈で文頭「ですが」を接続詞として使用するのだろうか。



[1] 学研『現代新国語辞典 改定五版』、三省堂『新明解国語辞典 第五版』

「しかし」を何度も使わないために「ですが」を使用する

 生徒の文章を掲載することはできないので、考察したことだけを書いてみみる。
 ある生徒は、「ですが、」と続くの前の文の文頭に「しかし、」を使用している。同じ接続詞を二度使用するのは良くない、という思いから、「ですが」を使用してみたと考えられる。しかし、「ですが、」以下の一文は読んでいて非常に唐突な感じがするような書き方であった。
 逆接の接続詞は「予想をはずれた後件」を導く[1]かなり強い表現であるが、ある生徒の書いた「ですが、」以下の文の内容は、特別に逆接の接続詞を使用する必要もない。書きたい内容を表現できないために、逆接の接続詞に頼って表現しているとも考えられる。

 ある生徒は、「ですが」を二回使用している。前文に「しかし」を用いているため、接続詞の使用の重複を避けようとして「ですが」を使用したと考えられる。
 小論文の授業では「自分の意見を述べ、それに対して予想される反対意見を述べ、さらにそれを反駁する」ことによって、自分の意見を補強できると教えてきた。よって、生徒が「しかし」と「ですが」を使用したのも、このような型を意識していると考えられる。しかし、「ですが」以下のそれぞれの内容を比較すると、明らかに矛盾してしまっていることには気づいていない。この生徒は小論文の「型」のみを意識して内容の矛盾には目が向けられないままに、「しかし」の重複を避けるために「ですが」を使用したと考えられる。

 また、ある生徒は「しかし」を使用していないことから、逆接の接続詞として、敬体では「ですが」を常時使用していると考えられる。中学校との違いについて、中学校の状況と比較するために「ですが」を用いて後件の高校の状況を記述し、「一つ目、二つ目~」と羅列していく単純さにバリエーションをつけようとしていると考えられる。



[1] 森山拓郎『ここからはじまる日本語文法』(ひつじ書房、2000、p.191)

今後のライティング指導について

 以上、高校生の作文で減点対象となる接続詞の口語的使用を検討してみた。その使用方略として次のようにまとめられる。

A:接続詞の知識が足りず、書き言葉と話し言葉の違いも理解できない生徒が、日常の会話やLINE等で使うつなぎ言葉をなんとなく使う。

B:接続詞の重複使用を避けようとして、別の接続詞に置き換えるために口語的な接続詞を使う。


 いずれの場合においても、読む量が少ないことから派生する文章表現の稚拙さが原因である、という事実は否めない。しかし、高校3年生からいきなり読書量を増やすことはできず、授業内で対応可能な方策のみを考えることとする。

 Aの場合、教師添削の際に注意を促すコメントをし、返却時の一斉授業で教えていくことで対応できる。Bの場合は、同じ種類の接続詞を使わなければならないような文章表現をしている点に問題を抱えている場合が多い。よって、接続詞を訂正すれば済む問題ではない。

 生徒に「文章表現のバリエーション」が少ない場合は、教師とのマンツーマン指導が最も効果的であろうが、生徒同士のピア・フィードバックも効果的であろう。他の生徒が提案する様々な表現を参考にしながら、自らの表現を多様にすることは可能である。

 生徒の「書く内容の検討不足」が問題である場合には、文章を書き始める前に作成させている「構成シート」の指導を何度も繰り返す必要がある。そのうえでピア・フィードバックや教師添削を繰り返す必要がある。

 いずれにしても、生徒たちがこのような文章を書く背景には「読み手意識」の欠如という問題がある。欧米で1980年代から盛んとなった文章産出研究において、未熟な書き手は書きたいことを思い浮かべるとそのまま連想的に文をつくっていると明らかになった[1]。また、熟達者ほど読み手の立場で自己内推敲を繰り返しているという研究成果が積みあがっており、その成果がピア・フィードバック、ピア・レスポンスとして英語教育や日本語教育での作文指導に応用されている。国語教育の文章指導にもピア・フィードバック研究の知見を取り入れるべきであろう。

 しかし、相手の書いた「接続詞」の使用の誤りに気付ける力が生徒にあるかと問われると、はっきりとした返答はできない。現在使用している高校教科書には接続詞の使用についての教材は「国語表現」に接続詞の一覧が掲載されるのみであり、小論文参考書や小論文ワークも「構成の方法」には力を入れているが、構成を読み手に伝える「接続することば」の使用については触れられていないため、高校の教育現場で「接続詞」の使い方を教えているかどうかは担当教師次第ということになるだろう。

 高校生の英語ライティングで「まとまりのある文章」についての授業実践を行った藤城・古谷(2020)は日本語教育で使用する『みんなの日本語やさしい初級作文[2]』なども参照しながら、「型」や「枠」を使用した「つなぎ言葉」ワークを作成している。国語教育の文章指導において、小学校では同様の取り組みをしているだろうが、小論文を書く段階の高校生でも再度、「接続詞」の使用法を学ばせる必要がある。




[1] Scardamalia, M., & Bereiter, C.(1987).Knowledge telling and knowledge transforming in written composition. In S.Rosenberg(Ed),Advances in applied psycholinguistics (2) (pp.142-175).Cambridge: Cambridge University Press

[2] 門脇薫・西馬薫(1999)『みんなの日本語初級やさしい作文』スリーエーネットワーク

おわりに

 高校生の使用した口語的接続詞「あと」「なので」「ですが」について、書き言葉均等コーパス「少納言」を使用して検討した。
 しかし、「少納言」の用例が古い(2000年代半ばまで)ということもあり、現在ではさらに書き言葉的に使用されているのではないか、とも考えられる。言葉は変化するものであるため、いずれ書き言葉としても認められ、辞書や参考書にも記載される日が来るのかもしれない。
 また、現在の高校生世代にとって「話す」という意味は、LINEのようなチャットでやり取りすることとリアルに会って会話することの二通りを指すため、話し言葉と書き言葉の境界が以前の世代にも増してはっきりと区別できないと考えられる。そして彼らの「会話」はお互いの衝突を避けるかのように、断定しない雰囲気的な言葉で繋げられるが、その雰囲気を口語的なつなぎ言葉を用いて、文章にも表現しているのかもしれない。
 
 彼らの文章の意図は教師の「何をここでは書きたいの?」という問いによってやっと形を表すことが多い。彼らの口語的な表現の奥底には現在の高校生世代の持つ気質のようなものが表現されているとも言えよう。

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