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55歳おばはん、後期博士課程2年目

高校教員としてフルタイムで働きながら、大学後期博士課程で研究をしています。長期履修制度を利用し、5年計画での学位取得を目指す2年目が終わろうとしています。
50代の生き方の選択肢の一つとして、高度なリスキリングを行おうという方も増えていると感じます。ご参考になればと考え、この2年間を振り返りたいと思います。

フルタイムで働く文系院生の日々

私の通う大学では社会人院生のために夜間の講義も行われています。本当に助かります。
私は後期博士課程の院生なので、取得しなければならない単位は少ないです。修士課程の場合とは全く異なりますが、たとえばこんな日々を過ごしてきました。

(大学院の授業は、夜間PM6時~7時30分、とその後のPM7時40分から9時10分の2コマがあります。)

職場から大学まで車で30分、夕方の混む時間は1時間弱かかりますので、授業のある曜日は定時でダダダッシュ!
そうすると6時からの授業にギリギリ間に合います。
7時半まで授業を受けて(講義形式の授業はほぼありませんが・・・)、その後図書館へ行き、発表の準備や調べもの、図書館が閉まる9時前に大学を出て、帰宅は9時半過ぎ。
次の日は午前7時20分には家を出たいので、夜は11時には寝ます。

授業のない日は、なるべく仕事を遅くまでするようにして、大学院へ行く日の定時退勤に備えます。

この2年間で、最大週に3回、授業を受けるために大学へ行っていました。
授業のある日は、食事をする暇もないので、行きにコンビニでおにぎり等を買い、車の中で食べることが多かったです。

休日がまるまる勉強に使えることがまずないのですが、時間を見つけて、ゼミでの発表のレジメを書いたり、文献を読んでまとめたりして過ごすことが多かったです。
どれだけ時間をかけてまとめても、指導教官に一蹴されることも何度もありました。
そんなときは、自分の能力のなさが情けなくなりました。

文系大学院は熟年と留学生が多い

大学院に入るとき、自分の54歳という年齢がかなり気になっていました。
リスキリングの重要性が叫ばれる昨今とはいえ、54歳という年齢では院生の最高齢だろうと思っていました。

しかし、ふたを開けてみれば、私よりも年上の方もいらっしゃいましたし、特に珍しいという感じでもありませんでした。あくまでも私の所属する大学の状況ですが、博士後期課程の学生は、すでに大学教員をされていて、博士号を取得するために進学された方が多いような気がします。
年齢的には40台前半の、特に女性が多い印象です。

文系院生でストレートマスターには滅多にお目にかかりません。大学院のレベルにもよるのでしょうが、私の通う大学から修士へ進学する学生はほぼいません。他大から進学される学生さんがたまにいらっしゃるようです。

文系大学院生の多数を占めるのは、中国、台湾の女性留学生です。
この傾向は理系でも変わらないと聞きます。

異国の地で、日本語で研究をすすめる彼女たいのバイタリティーには頭が下がりますが、本国での生きづらさを語ってくれることも多いです。

人生初の学会発表

今年度、指導教官の先生との合同研究というかたちで、学会発表をさせていただきました。
今年度4月から準備にとりかかり、半年を費やして発表までこぎつけました。発表要旨は字数も少ないものでしたが、本当に苦労しました。先生には怒られっぱなし、呆れられっぱなしでしたが、丁寧にご指導いただきました。
(本当に自分の能力不足が悲しすぎます・・・・)
しかし、以下の記事を書いてから二年半後に自分も学会発表ができるようになったことは、人生何事も挑戦だなあと感じます。

学会発表前には何度も練習を重ね、本番ではそれほど緊張もせずに話すことができました。
学会のお歴々からガンガン質問され、立ち往生すること数回・・。しかし、質問があるということは発表に興味を示していただけた証拠と考え、いい経験ができたと前向きにとらえています。

40代、50代で文系大学院生はありだと思う。

将来、大学で教えたい、大学に正式に職を得たい、という希望はありません。もし、大学教員になる!と本気で考えるのなら、リスクをとって最低でも30代前半からスタートすべきかと思います。
しかし、そのリスクが現在の日本ではあまりにも大きすぎます。

たとえば、実家が大富豪で働く必要がないのなら、大学の職を得られるまで大学の非常勤等をしながら研究活動もできるでしょう。しかし、そうでないなら、周囲の友人が働いて結婚し、家庭を守る立場になっているのを尻目に学生を続け、不安定な立場で働くことはかなりの強い意志が必要です。
(現在、私の長男がストレートドクターですが、なにせ理系なので、博士号をとってからの民間就職も大いにあり、の世界です。その点、文系院生とは異なっています。)

一方で、純粋に研究がしたい、学びたいのなら、仕事人生もある意味終わりが見えてきた40代、50代で文系院生になるのは心理的な面で非常に安定できるのではないでしょうか。

私は現在の研究をライフワークと考えています。
できれば60代、70代と続けて生きたい。そして、その学びを社会に還元していきたい。
私の周りの社会人院生も「学び続けたい」と考えるとともに、社会にも何か発信していこうと考えている方が多いです。

論文執筆はロマンがある

私が博士後期課程へすすもうと思ったきっかけとなるできごとがあります。

15年くらい前でしょうか。
仕事で知り合った、私よりも年上の女性が博士課程後期で博論を執筆中だったのです。
たぶん、現在の私と同じくらいの年齢ではないでしょうか。
「大変じゃないですか?」とおずおずと尋ねる私に
「大変というより、ロマンがありますよ。だって世界中で自分が一番わかってきたことがあるということだから」
と彼女はおっしゃいました。
自分はまだまだその境地には至っていませんが、そう語った彼女が輝いて見えました。

理系ドクターの長男も言います。
「論文を探していると、50年前の論文にぶちあたるんだよ。その著者は多分亡くなっているんだけど、でも、こうやって僕がその人の研究を見て、次の研究に活かしていくんだから、そういうのっていいよね。」
私も同感です。
ある意味、永久存在願望が満たされることが論文執筆の醍醐味の一つかもしれません。





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