見出し画像

人間の軸について

昨日電車に乗った時に運良く座席に座ることができ、いつものように
スマホでYouTubeの動画を見ていた。スマホが普及した今となっては
多くの人がスマホを見て電車の時間を過ごしている。

しかしそんな中、
時折資格などの勉強をしている人もいる。
(あ、スマホを見ている人を否定するつもりはないです。スマホで勉強している人もいると思いますので。)
昨日私の隣に座っていた(恐らく)40代男性(仮にAさん)は法律関連の資格の勉強をしていた。
私が高校・大学受験の時に大変お世話になった、赤字を隠すための赤いシートをAさんはフル活用して勉強していた。

その光景を見たときになんとなく「すごいなぁ」と素直に思った。

その40代男性は赤の他人なので、その人の事情や背景などは全く存じ上げないが、何となく「自分の目標に向けて勉強しているんだなぁ」と感じた。

なんで「すごいなぁ」と思ったのかを深堀りするために
自分のこれまでを振り返ってみると、私は自分の為に積極的に資格や勉強や努力をした記憶が全くなかった。

中学の時は、親から「良い大学に入らなきゃいけない」と言われ、ほぼ毎日のように塾に通い、入試を受けてきた。

高校の時は「弓道部面白そうだから一緒に入らない?」と言われて、弓道部に入って練習をしていた。

大学になったら漠然とバイトをしないとなんだか友達に置いて行かれそうと漠然と思って塾講師のバイトをした。

社会人になって新入社員の時は、ある部署に所属した新入社員が全員受けなきゃいけない資格の試験を受け、なるべく上司やクライアントに怒られないように日々を過ごしている。

幼いころから今に至るまで、「~したいから」という理由ではなく
「~しろと言われたからしなくちゃいけない」といった完全にネガティブ発想で生きてきたように思われる。
そうして、私のような人目ばかりを気にする人間が出来上がった。

書いていてだんだん虚しくなってきた。

以前「行動する力」について記事をまとめたが
(「行動する力」に関するリンクはこちらをクリック)
原動力の考え方についても、下記の2種類の分け方もできる気がした。

①ネガティブパワーを源にして動く人間

②ポジティブパワーを源にして動く人間

①は言わずもがな私のような人間で、
他人に軸を置いた生き方だと痛感している。

「やらなきゃあの人に迷惑がかかる」

「やらなきゃ怒られる」

「やらなきゃ失望される」

という理由から行動に移す人間のこと。

②は先日のAさんのことで
(どんな人かも知らないのに勝手に解釈しているが笑)
自分に軸を置いた生き方だと痛感している。
「自分の将来のために必要だから」

「この分野に興味があるから」

という理由から行動に移す人間のこと。

では、この2つはどちらが良いのだろうか?

ないものねだりの願望からかもしれないが、私は②の生き方に憧れる。

もちろん②で「周囲の人を顧みず、自分勝手好き勝手に生きる」まで行き過ぎると問題かもしれないが、自分自身に軸を持ちつつ、それが自然と社会や他人に貢献できることが一番だと思う。そういう意味だと、ある種①の精神も重要だと思うけど。

だから①と②のバランスも重要なんだと思い、①:②=3:7くらいの軸の置き方が丁度良いのかなと勝手に思ったりしている。私は完全に10:0になっているから、毎日ツライなと思って生きているわけだが。

少しでも②を上げたい私としては、もう少し自分の「好き」にフォーカスを当てて日々を過ごそうと思っている。

ゲームをしている時間を「なんだかもったいないなぁ」ではなく「楽しいなぁ」、好きな映画を見ている時間を「2時間もあれば仕事がもっと片付くなぁ」ではなく「素敵な映画だなぁ」、8時間の睡眠時間を「人生損しているなぁ」ではなく「これで今日も活力MAXで動ける」など。

自分で自分のことや行動を素直に認めてあげること。
これを積み重ねていって、少しでも自分にフォーカスを当てた生き方をしたいと思う。


たいらなみやこ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?