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徒然草が好きです

 タイトルの通り、徒然草が好きです。中学校や高校の古典の授業で学んでから、今でも愛読しています。ここでは徒然草の思い出、古典と土地との関わりなどについて書いてみます。ヘッダーは2018年4月の仁和寺です。

 徒然草をはじめに学んだのは中学校で、「神無月のころ、来栖野といふ所を過ぎて‥」の文章でした。なぜミカンの木の周りに囲いを作ったのかみんなで考えました。懐かしいです。

 高校でも古典は好きでした。
 「さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、とく帰るべし。」

(特に用事がないのに人のところに行くのはよくない。用事があっても、その用事が終わったら、すぐに帰らなければならない。)⇒今でも心に刻んでいますが、なかなか実践は難しいですね。

 他にも、仁和寺にある法師や、大根を食べ続けていた主人の命を大根が助ける話など、楽しく読んでいました。あとは、大事を思ひ立たん人は、の話など、なんとなく励まされたりしていたと思います。

 就職してから、岩波文庫の『徒然草』を買って、パラパラと読んでいました。そして、数年前に京都に行って、仁和寺に行けたときは感動しました。やはり徒然草で心に残っているのは「仁和寺にある法師」が石清水八幡宮まで歩いてお参りに行ったお話です。

 仁和寺です。ちょうど御室桜の頃で、たくさんの観光客が来ていました。

 門にはとてもかっこいい仁王像がいます。

 仁王像の足の血管がすごかったです。今、写真を見返してもやっぱり迫力があります。

 同じ年には石清水八幡宮にも行って、高良神社だけで満足せずちゃんと上まで登って参拝しました。

 石清水八幡宮の入り口あたりです。

 高良神社です。仁和寺の法師のようにここで満足して帰ってはいけません。

 山を登っていく道はとても気持ち良かったのを覚えています。

 夕暮れの石清水八幡宮です。とても落ち着いた空間でした。

 文学の世界に描かれた土地が自分の住んでいるところから離れていると、そこに実際に足を運んだ感動はとても大きいです。この経験は、現代も過去も変わらず、昔の人も歌枕を訪ね歩いたりしていたんだろうと思います。

 ということで、徒然草の話なので、思いつくままに書いてみましたが、思いつくままに書いて、人に読んでもらえるような文章にするのは難しいですね。

 皆さん、古典は好きでしたか、あるいは今も好きですか。作品を読むことによる時間と空間を超えた対話は、私たちの生活をどこかで豊かにしてくれると思います。

 文学と地理と歴史とのつながりを感じられる徒然草を、これからも大切に読んでいきたいです。

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