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青木真兵・青木海青子著「彼岸の図書館――ぼくたちの「移住」のかたち」と6回目の引っ越しではじめて「移住者」になった私①

著者の青木夫妻は「逃げ延びた」と表現されていますが、田舎暮らしを求めて都会から移住したわけではないとのこと。本書の中で書かれている「移住というより引っ越しです」という言葉は、そのニュアンスが一致しているかはわからないけれど、腑に落ちる度合いが非常に高いものでした。


私は高校を卒業してから、生まれ育った岐阜県岐阜市を離れ、大学に通うために埼玉県所沢市に引っ越しました。大学院にも進学してしまったので6年間を所沢市で過ごすことになりましたが、就職のため地元岐阜市に引っ越しました。その後も仕事を変えるたびに引っ越しを繰り返します。まずは同じ岐阜市内で別のアパートに引っ越しました。それから長崎県諫早市に、次いで鹿児島県姶良市に、そして今、宮崎県都農町に引っ越してきました。都合6回の引っ越しの末に5つの地域に住んできましたが、「移住者」となったのは都農町が初めてでした。

都農町に来て「移住」という言葉を頻繁に聞くようになり、自分が「移住者」であることを認識するまでにはさほど時間はかかりませんでした。そして自分でもあたりまえのように「移住」あるいは「移住者」という言葉を使うようになりました。

私の印象では「移住」という言葉は、一昔前までは主に海外へ移り住むことに対して使われていたものが、今では主に地方創生という文脈の中で都市から田舎へ移り住むことを指す色合いが濃くなってきているように思います。(「移住」と同じく「U・I・Jターン」という言葉も、Iはターンしていないじゃないか、などというツッコミすら一段落して誰も言わなくなってしまったほどに定着しています。)

これが何を意味するかと想像してみれば、かつては日本が国外を見ていたのに対し、今は都市部が地方との差別化(強い言い方をすれば分断)に一生懸命であるということでもあるかもしれません。あるいは地方の側が積極的に都市部との差別化を図っているのかもしれません。
もう少し踏み込むならば、外国に対して日本が(多くの日本人の意識の中で)優位に立てていた時代には、日本が本流とすれば、そこからわざわざ支流にはみ出していく者、あるいは、本流から外れても生きていけることに対する憧れ、という意味合いでの海外移住があったけれど、すでに日本の外国に対する優位性がなくなってきた今の状況下ではもうその言葉は使いにくくなってきたのでしょう。そこで、今度は日本対外国ではなく、日本の中での(多くの日本人の意識の中での)優位性のある都市部を本流として、そこからわざわざ支流にはみ出していく者、という意味合いで、地方への「移住」という言葉を使うようになったようにも感じられます。
いうなれば、「移住」という言葉自体に、もしかすると(意識的にではないにせよ)優劣が込められていたのかもしれません。


節目節目(経済的なことだったり、自然災害だったり、新型のウイルスだったり)で都心への一極集中に対する限界と地方分権の必要性が叫ばれてきました。もちろん権限と責任がセットで地方へ移った部分もありますが、それで一極集中の傾向に歯止めがかかっているかと言えば、そんなことはありません。それだけ都市が多くの人にとって都合がいいということだと思います。
そのような文脈の中で、「移住」という言葉は、自分ではない誰かが地方へ移り住むことを求める都市部の人にとっても、自己責任の生存競争にさらされることになった地方に生きる人にとっても、ある意味で体よく使われる言葉だったのではないかと思えてきます。


「移住」のつもりはなかったけど「移住者」と言われ、そのことにことさら疑問を持つこともなくいつの間にか「移住者」になっていたことに気がつかされました。


自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)