『saṃsāra(サンサーラ)』10

10       扉
 
どこからか燈籠が流れ込んでくる。中空にふわりふわり。どこからやってくるのか、何処からやってきたのか。燈籠はろうそくの香りも運んでくる。薄暗い辺りを、ぼんやり照らしながら。
「この先、扉問答」馬の背にまたがったまま、あの娘は燈篭に書かれた文字を読み上げる。しかしそれが何なのかの説明は、当たり前のように私のもとに現れることはない。そしてその文字の方向へ指をさす。白く細い指。
馬を止める。馬は物を言いたげで、何も言えなくて。
辺りをモノが囲んでいく。
後から犬に聞いた話では、扉に向かっての問答に、他人や他獣や他物たちがやたらと何かを言ってはいけなくて。手がかりを与えたりされたりしたりすると、後々ただならぬことになってしまうので、彼女もそう言うしかなくて、そう言ったしぐさで分からせるしかなかったのだという。
ただその方向には、扉と言われる扉はどこにも無い。
それは私の知っている扉が無いという事なのか、はたまた私には見ることができないだけだったのか。
そこにあるのは木やら草、花に石などというものしかなかったんだ。
燈篭の明かりはそれらを、ぼんやり浮かび上がらせる。
すると突然、木が
「赤は?」と聞いて来た。つづいて草も
「浜は?」と聞いてくる。石に至っては
「石は?」と言い出す始末でね。私には、それを答える隙間がまるでない。隙間を与えてもらえやしない。そう思っていると、花が
「何がしたい?」と聞いてきた。それにももちろん答える隙間はどこにもないのだけれど、それについては考えさせられた。いろいろと。そう、いろいろと。
葉がちらちらと降ってくる。唐突に。どこからともなく現れる。
幾枚の葉がいろいろなことを言っている。様々なことを口走っている。
それについては聞き取る事さえ困難で、というより聞き取ることができないほどにざわざわ言っている。
そんな中、中空の燈篭たちがカタカナで聞いてきた。
「ナニニナリタイノデスカ」やはりこれにも考えさせられる。何になりたいかも、何がしたいかも、すべてはわからない。何もかもを忘れてしまっている私からしたら何かを想像できることなんてなにもない。
だけれど、こうも考えてみた。なら感じたままでいいのかもしれないのかなと。風を感じて水を感じて、月の明かりを感じて、犬の力強さを感じて荷車の振動の大変さを感じて。
それらすべてを、ただ感じていたいなと思った。
いろいろなことを。いろいろなすべてを。
草も石も花も木も燈篭も葉も口をそろえて
「いいんじゃないですか」と言ってくれた。燈篭はやっぱりカタカナだったけど、それもなんだかおかしくて楽しくて、そう感じるのもいいものだと思った。
次に蛸が聞いてくる。
「どこがいい?」どこと言われてもどこも何も知らない。ネズミは笑いながら
「どれがいい?」どれっていうのは何を指しているかがわからない。カタツムリはゆっくりと
「どんなのがいい?」これも選ぶ対象がわからないので、どう答えていいのかわからない。そこへ馬が
「どう答えます?」と聞いてくる。私は混乱していくだけだったが、やはり感じたまま思うがままがいいやって、半ば投げやりなように思ってしまったよ。いくら考えても答えようがなかったからね。それなら考える必要もなかったし。考えるだけ無駄のような感じがしたからね。
そうすると馬も蛸も、ネズミもカタツムリも燈篭も
「それはそれでいいかもしれないね」やっぱり燈篭だけはカタカナだったけど今度は面白くなかったので、そう伝える。すると燈篭はふてくされてしまって、そのあと質問してくることはなかった。
燈篭の明かりがふっと消えると、何かが解けたかのように私の目が覚める。
よく見てみると、木やら草、花に石にネズミ、カタツムリ
それらすべてがウナギだった。最初から最後まで全部ウナギだった。思わず
「ウナギ?すべてウナギの仕業?私が見た木やら草、花に石にネズミ、カタツムリは、、、」
「旦那様。あれらは一から十まですべてがウナギでしたよ。どう言う訳だかは、わかりませんが、旦那様にはあれらが何に見えていたんですか」
そんな中、燈籠だけは中空を揺らめいている。
馬は切なそうに私を眺めていた。
 

ひとまずストックがなくなりましたので これにて少しお休みいたします。 また書き貯まったら帰ってきます。 ぜひ他の物語も読んでもらえると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。 わんわん