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#19 ポピュラリティについて

4/30のアルバムリリースに向けて、せっせと曲作りに励んでいる今日この頃。年始くらいに作業を始めたけど、気がつけば2月も半ばでやけに暖かい日が続いていたりする。アルバムの方も大体半分くらい作業が終わったところだけど、進捗と照らし合わせると実はかなり遅れている。こちらは暖かいというよりもむしろケツに火がついて火傷しそうな状況です。。。

そんな中、これを書いている今日は天気のいい休日で、午前中から呑気にライブビデオなど観ていた。この原稿だって実は〆切を過ぎてから書いているのだけど、そこはまぁ置いといて。今日は大好きなバンド、ポルノグラフィティのライブビデオを鑑賞。制作の参考になるとか言い訳しつつ。芸の肥やしになるからといって女遊びするよりはマシでしょ?

 今日のテーマは「ポピュラリティについて」です。


ー今僕が思うポップとは、人々に支持されること

 そもそも論として、ポップって何か?という問題を考えたい。マイケルジャクソンに代表される音楽ジャンルとしてのポップはすぐに思いつくと思う。じゃあ、ジャンルとしてのポップが全てのポップなのかといえばそうではない。もしそうだとしたら、世の中に歌手はマイケルだけいればいいってことになっちゃう。 人によって解釈は様々だと思うけど、今僕が思うポップとは、人々に支持されること。平たく言えばわかりやすくて人気がある音楽ということになる。今日話したいことの核心はここにあったりする。

 インディーズあるあるだと思うんだけど、ポップであることを極端に嫌う表現者は意外なほど多い。自分も少し前まではその筆頭みたいなものだったからその気持ちはすごくよくわかる。自分にしかできない表現だからこそ「オリジナル」なわけだし、世間にウケることを前提とした瞬間にオリジナリティが失われるという感覚。
 勘違いしてほしくないのだけど、こういう感覚を否定しているわけじゃない。むしろこういった感覚は必要なものだと思ってる。ただ、自分も含めて多くの場合、世間に媚びる姿勢=ポップやメジャー、と履き違えていることが多くて、そこを勘違いすると勿体ないよって言いたい。


ー大事な商談でタメグチをきく奴はいない

 音楽も表現である以上、コミュニケーションの一つの形なわけで、コミュニケーションであるならばそれが人に伝わらなければ意味がない。自分たちの価値観や常識を「標準語」に翻訳しなくても済む狭い世界(コアなファン層)だけに向けて発信するならそのままでいいし、それを否定するつもりもないけれど、僕の場合はできるだけ多くの人に自分の曲なり歌詞なりギターなりを聴いてほしいと思っているから、そこをゴールにするなら伝わるような工夫をしなきゃいけない
 これは別に特別なことをしているわけではなくて、普段の会話や何気ないやり取りで皆自然と意識しているはず。大事な商談でタメグチをきく奴はいないし、プレゼンのパワポだって真ん前までいかないと読めないような小さなフォントでびっしり書いたりしないはず。そんなわかりにくい表現では相手に伝わらないと知っているからだ。


ーポップであるということは、(曲の)体裁を整えるというくらいの意味

 音楽も同じで、より多くの人に届けたいのならある程度わかりやすいものである必要がある。そこに方法論は色々とあって、曲の構成をAメロBメロサビで固定するとか、リズムを8ビートのパワーコードで刻むとか、いくらでもできると思うけど。大事なのは、それは手段であってゴールではないということ。薄っぺらい曲というのは、綺麗にまとまってはいるけど中身のないレポートみたいなもので、綺麗に仕上げることがゴールなわけじゃないぜ、という。考えてみれば単純な話で、その逆もまた然りってことだよね。いくら内容が100点でも、字がめっちゃ汚いとか、改行が全くない文章じゃ、そもそも読んでもらえるかどうかすら怪しい。ポップであるということは、その辺の体裁を整えるというくらいの意味で解釈しておくのがいいんじゃないかと。

 今回のアルバムは、ここに書いたような意味でポップな曲が多くできている印象です。


Chira

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