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大奥(PTA) 第四話 【第一章 吹き矢のゆくえ】

【第一章 吹き矢のゆくえ】


<沈黙>

 雪組の親御様方おやごさまがたが輪になり座して居る所に、安子様は、空腹もあってか、むずかる花子様をあやしながら膝に乗せ、ようやく着座なさいました。

 鐘の音がごおんと遠く響き、大広間に差し込む日差しが、ちょうど目線の真上にあり、時刻は真昼ここのツ(正午)を指しております。

「どなたか、五つのお役目のうちいずれかを引き受ける者はおらぬか。早く挙手せぬか」
 進行役のお錠口じょうぐち瀧山たきやま様が御声を荒げました。

 しかし、雪組の御父母方のうち、どなたも名乗りを挙げる方はおらず、一同顔を伏したまま、ただただ半刻はんとき(一時間)ほどの時が過ぎて行きます。
 どなたにもそれぞれ、お引き受けになれぬ事情がお有りなのでしょう。辛い沈黙は永遠に続くかとすら思われました。

 そうこうするうちに、安子様は花子様のお着物が湿って居る事にお気づきになられました。

 皆様の凍るような沈黙を破るように、安子様は勇気を振り絞り、声をお出しになられました。
「あのう、娘のむつきがお湿りしたようで、申し訳ございませんが、一時ひとときだけ退席させていただく訳にはまいりませんでしょうか? 必ずや戻りますゆえ」

 この者、まさか逃げる気ではあるまいな? とでも言うような、まるで刺すような一同の視線を、一身に浴びる安子様でございました。
「なりませぬ。お役が全て決まるまで、何人なんぴとたりともお出になっては行けない、と先程の春日かすが様のお言葉をお聞きになりませなんだか。もしここを動くおつもりなら、何か一つお役を引き受けてからお行きなされ」

 御錠口おじょうぐち瀧山たきやま様は、安子様に厳しいご叱責を浴びせると同時に、だんまりを決め込む雪組の御父母方の輪をぎろりと一周見渡しました。

「そうは申しましても、私にはお引き受けが難しい状況が諸々ございまして、此度こたびだけはどうかどうかご勘弁を」

 安子様は、むつきの湿った泣きじゃくる幼い娘御むすめごを腕に抱え、ご自身は大人なれど、そう瀧山たきやま様に申し上げる言葉は、ほとんど涙声になっておりました。

「お引き受けになれぬ事情など、そなた以外のどなたにもそれぞれ有るに決まって居る。そんな事で逃れられる大奥(PTA)なら、どなたも苦労はせぬわ!」

 瀧山たきやま様のご叱責が大広間に響き渡ったその時、表のお庭で御寫眞ごしゃしんの撮影を待っておられる新入学のお子様方、さすがに御辛抱の緒が切れたのか、大声で泣き出す声、お子様同士で争う声などが漏れ聞こえて参りました。

 さすがにここまで半刻はんとき(約1時間)以上の御沈黙に、御父母の方々、これ以上は耐えきれぬと観念なさったか、お三方ほどがおずおずとお手をお挙げになり、

「私は、瓦版かわらばんつぼね(広報委員)を」

「では……。私はお鈴係すずがかり(ベルマーク委員)を」

「では、私は御縁日ごえんにちつぼね(文化、バザー委員)をお引き受け致しましょう」

 と、渋々ながらもそれぞれ名乗りをお上げになって下さりました。
 ようやっと五つのうち三つのお役が決まり、雪組の父母御一同にほんの束の間、ほっとした空気が流れたので御座います。お役はあと二つ。各組をまとめ、あらゆる交渉や雑事をこなす御組取締おくみとりしまり(クラス委員)及び、前に常磐井ときわい様が仰っていた、心を病む者もかつて出たとか言う御吟味方ごぎんみがた(選出委員)。どちらもやはり、なまなかなお気持ちで引き受けられるお役では無さそうに御座います。

<御事情>

 真上に有りましたお天道てんとう様が西に傾き、昼八ツ(午後2時)を告げる鐘が響き渡ります。ここまで来ると、一同根比べと言ったご様子、覚悟を決め、心を無にし、ただ時が過ぎゆくのを待つのみでございます。

 とうとうしびれを切らした御錠口おじょうぐち瀧山たきやま様が口を開かれます。

嗚呼ああ、これではらちが明かぬではないか。未だお引き受けになって居らぬ方々、お一人お一人前に出て、その理由を述べるが良い」

 ある方は、御片親育児おかたおやいくじ(シングルマザー)にて、朝は七ツ半(5時)起きで、家事やお子様の世話、朝餉あさげの支度、夕餉ゆうげの下拵えなどし、昼間は一つ目のおもて(会社)の御仕事、それを終え、その足で御子様お預かり所(保育所) にお子をお迎えに行き、家に戻り、急ぎお子達に夕餉ゆうげを与えた後、また夜九ツ(深夜0時)まで便利店(コンビニ)にて毎日働きづめだとおっしゃる。

 ある方は義父とご自身のお母上の御介護が同時に降り掛かり、其の上、乳飲み子を抱えておられる。

 またある方は、上のお子様が生まれつき心の臓が悪く、おさじ(医師)にかかりっきりで、本日は遠方に住まわれて居られる御自身のご父母に手伝いに来ていただき、ようやっとこうしてこの御入学の晴れの場に列席が叶ったとのこと。この方、お名を染子そめこ様と申されまして、お涙ながらに皆様にこのお話をされたので御座います。

 辛きことをお話しくださった染子様に、雪組御父母一同、お気の毒に、とは思えども、やはりこの重き二役ふたやく、名乗り出るお方はいらっしゃいません。

 お錠口じょうぐち瀧山たきやま様は、染子様がお引き受けになれぬ理由をお聞きになられると、
「ふうむ、まあ、例年そのようなお方も奥勤おくづとめ(PTA役員)をされておる。もしそなたを除外すれば、悪しき先例せんれいになるであろう」
 とにべもなく仰いました。

 その時、お師様しさま(教員)専用のななぐち(外部との通用口)より、若いおなごのお師様しさまが一人、大広間の雪組の御父母方の輪に駆け込んで来て、こうおっしゃいました。

井伊いい様、井伊いい様のお母様はいらっしゃいますか?」
 お師様しさまが息を切らしてこう仰いますと染子様が、
井伊いいは私に御座います。お師様しさま、うちの直澄なおずみが何か?」



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