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願う

義父の四十九日

今朝は お経をあげる。

讃仏偈 と 重誓偈 どちらにしよう?

それとも 仏説阿弥陀経 ?

最後は 白骨の御文章 だろうな。。。。


実はド素人
身内だけの法事では
勝手にお経をあげている。

息子の葬儀から24年
だいたいは何度もお経をあげているのでもう覚えた。

だからといって
熱心な門徒というわけではない。
普段は全く何もしてない。


仏教の存在を知ったのは
高校の倫理社会だ。

当時は共通一次試験のために覚えた。


深く知ったのは
「ブッダ」手塚治虫の漫画だ。

王族に生まれたシッダルダが
悩み苦しみそして ブッダとして悟りを開く。

手塚治虫がライフワークとしていた
未完の遺作である。

その中でこんな話がある。

ある日 高僧が倒れ込んでいた。
集まった動物たちは話し合い
彼を助けるために食べ物を探しにいく。

鹿は木ノ実を猿はきのこを と
皆が高僧の為に僅かではあるが
食べ物を持ち寄る。

しかし季節は冬
うさぎだけは何もなくて
手ぶらで戻るしかなかった。

皆の目は冷たい。

うさぎは高層に
火を起こすように促す。

そして燃え盛る火に飛び込み
自らを与えようとした。

確かに輪廻に関わる
逸話のひとつだった気がする。


だからなんだよ と
言われてもしょうがない。

人それぞれ考え方はあるだろう。

私もそもそも信心深い人間ではない。


だが示唆はある。

多くの経営者は富を得ることを
目的に事業を始める。

富を得ると違うことを考える。

他が為の自己存在とは何か?である。

自分は何をするために
この事業をしているのか?

この事を通して
誰のために何ができるのか?


そして最終的に問われるのは

どこまで身を切ってでも

他が為に生きられるか ではないか?


うさぎの行為に賛否はあるだろう。

しかし
事業が良いときは安く使い
悪くなれば切る。
自分の生活さえ良くなればそれでいい。

そんな経営者は長続きしない。


経営者たるもの
お題目ではなく
心底 他が為の事業であると
言い切れる自分でありたいと思う。

「みんな当たり前にそうですよ!」

ですよね。。。。

先輩経営者の皆様
失礼致しました😅







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