31歳上京物語

 私は関西圏で育ち31歳の時上京してきた。関西圏といっても大阪や神戸など都市部ではなく、電車なしバスは1時間に1本、車がなければ死の町で生まれ育った。そんな私が何故東京へというと、夫が大学院進学を決めたからだ。別に東京に憧れがあった訳でなく、何なら車がなければ死の町の事を気にいっていた自分が東京へ住む事になるとは、人生って分からない物である。

 東京へ来てから住む家を決めるまで、1ヶ月はairbnbを利用し浅草でアパートを借りることにした。5階建てなら、エレベーターはあるだろうと思っていたところ、まさかの階段のみでスーツケースを5個、5階まで運ぶはめになってしまった。「くそっくそっ」と悪態をつきながら運び、ドアを開けると「家の匂い」がモワッと漂ってきた。〇〇ちゃん家の匂いというのだろうか。他人の生活臭に迎えられ中へ入ると25㎡築41年15万/月という観光客価格ながら中はリノベーションされておりきれいだった。何より東京ビギナーには優しい浅草の物件だったため、ベランダからスカイツリーが見え浅草寺散歩もでき、東京ってスゲーという体験ができた。車がなければ死の町なら徒歩1時間のコンビニも徒歩30秒。ドン・キホーテ、夜遅くまで営業する飲食店、高層ビルがあり遊園地まであるのだ。東京ってなんて刺激的なんだろう。

 ある日ベランダに出てスカイツリーを眺めていると、1階にある飲食店から騒ぎ声が聞こえたので見下ろしてみると、酔っぱらいのオッサンが「バカヤロー、〇▲□§°」と叫ぶ声が聞こえた。別のオッサンと喧嘩をしていた様で、周りがまあまあとなだめている状況であった。そのバカヤローを聞いた時、ビートたけし以外の人もバカヤローって言うんだ、と感動してしまった。これが関西なら「ドアホ」である。生バカヤローを聞けて良かった。オッサンよありがとう。バカヤローの他に関西であまり聞きなれない言葉としては「素敵」がある。その言葉を聞くとくすぐったいというか、何故か照れくさくなってしまう。ある日行った美容院でカット終わりに手鏡を渡され、「素敵ですよ~」と言われた時、手鏡で自分の姿を見ながら「そっか、今の私って素敵なんだ」と思うとじわじわ笑いが滲みでてきてしまった。

上京したのは2022年4月だったため、この思い出ももう1年半前のことだ。故郷で過ごした時間より東京での生活の方が長いという人は、もう東京の方が「家」という感じがするらしい。私ももう30年東京に住めばここが家になるんだろうか。


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