見出し画像

「答え合わせ」の旅⑱

涙の理由《わけ》

VERMEER

時刻は21時過ぎ。さすがに夜も更けて真っ暗だ。
「海外 夜 一人 女 出歩く」なんて検索したら、サジェストに「危険」としか出なさそう。足早に誰とも視線を合わさぬよう向かったが、ありがたいことに誰も私を見てくる人などいなかった。

かくしてこのチケットを携え、向かった先は12時間前に行った国立美術館。さすがにもう勝手がわかっている。暗闇の中にポツンと灯り。
フェルメール展の入口だ。

夜の美術館なんて初めて。
それもこの異国でなんて。わくわくしてしまう。
スマホでバーコードを用意する。
得意気な顔をしてこの奇跡のチケットを見せる。選ばれし者のお通りだ。

選ばれし者は床にかいてある矢印に沿ってぐんぐん進む。入口に着いた。

VERMEERの文字には即座に脳内翻訳機が反応するようになってしまった。
ふぅ。いざ。

初めて見る作品ももちろんいっぱいあった。
どれも色使いが美しい。この解説もさっぱり読めないが、余すことなく読み込みたい。
写真を撮るのは自由だったので、人がいなくなるタイミングを見計らってパシャリ。

『真珠の耳飾りの少女』

これが。わぁ。青が本当に美しい。
『窓辺で手紙を読む女』は昨年上野に来たとき朝8時に並んで当日券を勝ち取って鑑賞していた。やっほー久しぶり、って感じ。

次の絵に壁を隔てて人の気配がする。
もうすぐ来そう。と思った。

シュン。

え。うそ。はやいって。
それは自分の鼻からの音。
なんか泣きそう、って思った瞬間、もう身体は反応してた。
視界がみるみるぼやけていく。
いや待って。アイスグレーのコートの袖を目頭に押し付ける。コートの袖はその水分を吸収せず弾いて毛羽立った繊維が目立つ。
細くて頼りない下まつ毛は堰止めの役割を果たさない。

ここで突っ立っててもしょうがない。
シュンシュン鼻を鳴らしながら、ぼやける視界でその絵に足を進めた。

『牛乳を注ぐ女』(蘭: Het melkmeisje、英: The Milkmaid)

涙は止まるどころかぽろぽろと湧き出てくる。
どうして泣くのだ。
そんなに会いたいと願ってたわけじゃないじゃないか。

わがままが許されるなら二人きりにさせてほしかった。
二人で対話をしてこの涙の理由《わけ》を聞きたかった。

そんな願いは叶わず、世界でも人気の絵画は人の波が切れない。
この場からなかなか立ち去ることができずにいた。
答えを待っていたが、彼女はうつむきがちで何も語ってくれなかった。
それを確認して、ようやく次へ進むことにした。
それでも未練がましく後ろを振り返りながら。

ギフトショップは閉店してるため、寄り道するところはない。静かに泣いているアジア人を、誰も気にせず見送ってくれた。

『牛乳を注ぐ女』

それは中学の美術の時間。
ぼさぼさなグレーヘアーとこれまたグレーの無精髭に丸眼鏡を掛けた穏やかな美術教師は、美術の資料集をわれわれに解説していた。

絵を描くのは好きだったから美術の資料集を見るのは嫌いではなかった。
ボーっとよそ見してる者もいっぱいいたと思う。
美術教師はとある絵を解説し始めた。

「次の絵を見てごらん。まるで牛乳が本当に注がれてるようだろう」
あの優しい顔つきと語り口調は美術教師もその絵が好きだったのだろう。
私はその資料集の絵に目線を移した。『牛乳を注ぐ女』だって。

え、ほんとだ!牛乳が動いて見える。不思議。うわぁ!
凝視した。もう次の絵を解説し始めているのに目が離せなくなった。

フェルメールの名前はそのときはまだ憶えなかったと思う。
でも私はその日からずっと、この資料集のこのページを開き、この絵をたびたび見ては、わぁ!って思ってたことは記憶にある。

涙の理由《わけ》を辿ろうとするとこの光景が呼び起こされる。

いつから彼がオランダ出身と知ったか覚えていない。
思ったよりも最近な気がする。
一番好きな国と一番好きな画家。
ここで結びつくとは何たる巡り合わせなのだろう、と気付いたのはいつだったっけか。

実はあの空間で『真珠の耳飾りの少女』を見ても、他のどの絵を見ても心が動いていなかった。
ずっと好きだった画家だと思っていたが厳密には違うようだ。
私はあの『牛乳を注ぐ女』の画が好きだったのだ、とここで知る。

でも、そんなに好きな絵だから本物を見れて嬉しかったんだね!
って話でまとめたら楽なんだけど、ちょっと違う。
ずっと好きだったけど、不思議とそう思ったことはなかったから。

涙の理由《わけ》

この旅で泣いたのは実は3回だけ。
イスタンブール空港に着いたときと今日この絵を見たとき。いろいろ挫折はしてたが意外に泣いてはいなかった。

そしてこの2日後にもう1回泣く。
そのとき涙の理由《わけ》に少し近づいた気がする。

夜風に当たって涙を乾かしたかった。
乾かすほどの時間がないホテルの近さに呆れると同時に、安全面ではホッとする。日本だったらもう少し物思いに耽って散歩していたかもな。

3分もあるようなないような夜道。
なぜか今でも覚えている帰り道の風景とコンクリートの地面の感触。
絵で泣くのはきっとこれが最初で最後なんだろうと確信した夜。

寝るのが惜しかった夜が始まる。