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「答え合わせ」の旅㉛

Thank You, Peter

バッグの中身を選別し、小さいショルダーへ詰め替える。スタジアムに持ち込みできるのは、A4以下のサイズのバッグのみと記載されていた。こんな身軽な格好はこの旅初めてだ。実に心許ない。

この時代になぜかプリントアウト必須のチケットを詰め、予備として印刷したもう一枚は服の内部に隠しているショルダーへと離別させた。
ホテルを背にして左へ曲がるとトラムの線路がある。ロッテルダム駅とは逆方向に歩き、そちらの停留所から乗ろうと思う。

ロッテルダムには泊まってるだけでちゃんと歩いてもいなかった。歩道が広いのはヨーロッパ特有か。もしくは狭すぎるのが日本特有か。歩きやすくて助かる。
停留所に着いた。今日は臨時便でFeyenoord Stadium行きが出てるという。電光掲示板でその文字列を見つけホッとする。トラムで15分程。
しかし、よくぞ旅の前に気付いた。ここからアムステルダムへ帰るなんて計画だったら私は詰んでいた。
スタジアムから15分でホテルに帰れるなんて最高だ。思い付く限りの不安材料をしっかり潰しているこの慎重さ。たまんないね。

今日は月曜日。こちらの皆様も学校か仕事のあとに観に来るのだろうか。特にトラムではユニフォームを着込んだ人がいるわけでもなかった。一人席にポツンと座り窓を見つめた。

車窓の景色は遠目で大きな陸橋を映し出し、トラムの頭はそこへ突っ込んでいく。
うわぁ。ここを通るのか。カッコいい。大きい川、いや運河なのか?渡った先にスタジアムが見えてきた。

撮り損ねたのでネットから借用
エラスムス橋と言うらしい

9292でスタジアムからの終電を調べたとき、いくつかのルートのうち船のマークも出てきた。船で帰れってか!と笑ったが、きっとこの川の正規交通ルートなのだろう。文化が違う。世界は広い。

スタジアムが見えてきた!
あれがDe Kuipかぁ、と高鳴る鼓動が押さえきれない。
フェイエノールトスタジアムは通称De Kuip(デ・カイプ)と呼ばれているらしい。これはオランダ語で桶を意味する。桶のようなかたちが愛称の由来らしい。

一昔前、小野伸二はこのスタジアムが拠点のクラブチームにいた。小野伸二と同じ風景を見ている。小野に私もとうとう来たぞ、と伝えたい。小野も困惑するか。

まもなくトラムは停車した。浮き足立つ右足をホームへ下ろし、とうとうついてしまった。
もう合格点。何枚か写真を撮り、さて、とロッテルダム行きのトラムでホテルまで帰ってもよいくらいだった。

怖じ気づく私に、もう一人の私がいやいや、帰るなんてダメだ。忘れてないよな、このチケットを取るのにかかった労力を!と叱ってくる。

時は執念のチケット入手編にさかのぼる。

執念のチケット入手劇は実はフェルメール展だけではなかった。フェルメール展は最終的に運命のように私の元に降りてきてくれたが、こちらの代表戦こそ執念という言葉がピッタリの入手劇だったと言えよう。

それはオランダへの旅行手配を完了し、各種訪問先のチケットを続々と手配してた頃。試合を見据え、ロッテルダムへ2泊のホテルも予約も済んでいた。
さてさて、代表戦のチケットを取りますか。何度かサイトは覗いて空席状況は随時チェックしていた。完売はしていない様子だが、そろそろ取らねば。
オランダサッカー協会の公式ページから購入するから片手間ではできない。オランダ語なのでね。大体はGoogle先生が日本語に切り替えてくれるのだが集中を要する。

まずはどこの席で見ようか。だって欧州ってねぇ。フーリガンとか発煙筒とかのイメージ。どこが比較的落ち着いて観れる場所なのだろうか。
やはりゴール裏が激しいのか?そこは避けとくか。
しかし料金形態もなんだか日本と違う。日本だと近めの観やすくて高い席も意外に他と同じく末端価格だったりする。逆にそんなとこが高いの?って席もある。なんだかどの席がスペシャルなのかよくわからない。
2階席はきっと事件は起きなそうだが、こんな遥々来て2階席ってのも味気ない。だって一生でOranjeを観れるのはこれが最後かもしれないのだ。

散々画面とにらめっこし決めた。ここでいいか。
よし。購入画面へ進む。どうもアカウント登録が必要らしい。こういう外国のサイトの住所の打ち方って正解がわからない。日本の郵便番号なんて向こうじゃ7桁なんてないのかエラーで弾かれる。都道府県、市区町村も出てくれない。CITYと言われてどこまで打ち込めばいいのやら。Streetなんて、んなもんない。他国の者の住所なんて適当でいいのだろうけど。
エラーになりませんように、と打ち込みようやく次へボタンが通過した。

出てきたのはおそらく支払方法画面。iDEALという謎の単語が翻訳されずポツンと画面の真ん中にいる。なにこれ。これしかないからこれを選択する。
プルダウンが出てきた。なにやら固有名詞のようなものがズラズラ出てくる。なんじゃこりゃ。勘のいい私はおそらくこれは銀行名だろうと推測する。
いや、オランダの銀行口座なんて私が持ってるわけない。むむ?なにかすっ飛ばしてしまったか?見逃してしまったか?

戻る。戻る。エラー。あ。やり直し。うーん。やはりiDEALしかない。こんな動作を三回ほど繰り返し、顔が興奮で赤くなった後に段々と青白くなってきた。
まずい。予想外のことが起きている。

買えないじゃん。観れないじゃん。よその国お断りってか。そりゃないぜ。このためにロッテルダムにホテルも取ったのに?

深いため息をつき、トップページに戻る。
チャットボットがあった。うーんここで聞くか。お困りですか?と聞いてくるし。
はい、大変困っています、どうか助けてください。と吹き出しのマークを押す。
チャットボットはオランダ語と闘わなければいけないかと思ったが、どうにか英語にだけは変換してくれた。
自由記述だったら詰んでたが、選択肢を選ぶかYes-Noで答えるタイプだからまぁ進めそうだ。
なんのこと?とまず聞かれ、TICKETSを押してからなんやらかんやら進んだ。paymentとかCreditCardの文字でも出てくれば速攻で押したかったのだが、出てこない。
チャットボットは聞いてもいない答えを導きだし、問題は解決しましたか?と聞いてくる。自己満も甚だしい。
いいえ、まったく。とNoボタンを押す。チャットボットはやれやれ、とでも言うかのように、もう僕じゃ解決できないからこっちに聞いてくれ。じゃあね。と電話番号とアドレスを差し出して去った。
今度は仕事放棄と来たか。こちらも上の者出せ!と言おうと思ってたところだからまぁ良い。

電話番号とメールアドレスを見つめる。
電話番号……。無理。しゃべれない&聞けない&国際電話のかけ方すら知らない。却下。
メール……。長考に入る。
メール……メールかぁ…メール……メールねぇ…
メールって…あ、そっか英語でもいいのか……向こうの人は読めるもんね……でもメールねぇ。。
いやでもメールならまだ……

葛藤の末、メールアドレスを親指でなぞり背景色は水色に色付いた。コピーを押す。
もうこれしか方法はないのだ。恥をかけ。

英語のメール。中学のNEW CROWNの教科書のコラムに書いてあったかなぁ。いま思えば、手紙の書き方だったかもしれない。英語の先生が一言「見といてね」ぐらいで流したあれか。
こちらに着く前の日本にいる私は、英語がこんなにもしゃべれなくて、聞けなくて、読めないものだと思ってなかったから、なぜか英語の問合せメールの書き方も一切調べず、Yahoo!メールアプリを開いた。

散々悩んだ書き出しは
DEAR operator。この時点で笑う。
件名はHOW TO GET TICKETS

「ハロー。私の名前は◎◎です。日本人です。
私はオランダへ旅行する予定です。で、この試合観たいのよね。オランダ対ジブラルタル。オランイェが好きでね。
でも支払方法がiDEALってやつしかないの。私はクレジットカードで支払いたいの。
チケットの買い方を教えてくれませんか。

Thanks.
From ◎◎」

よしよし。いいか。拙い英語だが、日本の小学生からメールが来たと思えば可愛いもんじゃないか。送信ボタンの紙飛行機はオランダへと遥々飛び立っていった。

最終手段とは言ったものの、返信は期待してなかった。
いたずらじみた下手くそな英語のメール。向こうにとってはスルーしていい案件だろう。紙飛行機は海に突っ込んでオランダまで辿り着かないだろう。

しかし翌日の仕事帰りの夕方。奇跡は起きた。
メールが1通。オランダサッカー協会だ!紙飛行機は遥か彼方のオランダから無事に返ってきた。

HELLO,◎◎と私の下の名前の呼びかけから始まるメール。下の名前を英語で呼ばれるなんて初めて。
「メールをありがとう。
君のアカウントにクレジット払いを追加したよ。これでクレジットで買えるようになってるはずだ。
Best regards,
Peter ●●」

Peter。ピーターーーーーーー!!!!と叫びたい。
いや叫んだ。

帰りの電車の中、何度も何度もそのメールを読んでは訳し、笑みがこぼれる。

家に着いた。
早くピーターの言ってることが本当か確認したい。チケットを選択し直すとこから。ええい。もうここでいいや。サイドライン。選手たちのベンチの裏側辺り。気が大きくなって前めを選択した。
拙い日本語訳はこのブロックの席は「子供の視覚困難」と出てくる。オランダ語から英語訳にしてもピンと来なかった。どうゆうこっちゃ。うーんうーん、たぶん背が小さいと見えにくいってことかな?私だって向こうに行ったら小人サイズだ。みんな立って観るようなら終わりだな。
いやでも通路側の端の席にしておけば、早く帰りたいと思えばすぐ脱出できるだろう。観にくかったらちょっと通路側にはみ出して立って観れば観れるだろう。
ええい、ここだ!君に決めた!と席を選択。

…と、したはずだったんだよな。記憶では。
このときの座席表をもう一度見せてほしい。
タイムマシンを使ってよいと言われたら、このときのスマホ画面を覗きに行きたい。
なぜどうして当日私はあの席に座ることになったのか。その話はまた次回。

私のアカウントは前回のときでしっかり登録されており、購入画面へ進むと、魔法のようにiDEALの下にCreditCardの文字が出てきた。

ピーーーターーーー!
Thank Youーーピーーーターーーー!!!また叫んだ。

VISAの番号を打ち込み、完了と画面が言った。まもなく購入完了のメールも届いた。
購入できた。わなわなと唇が震えそうだ。

DEAR ピーター
ありがとう。ゲットできたわ。とっても楽しみよ。と返信した。
返事はない。

諦めない執念深い性格でいてくれて本当にありがとう。
そのせいで生きづらいこともいっぱいあったよな。
でも最大の長所だと、いまの私は思うよ。

オランダへの想いは2000年頃。
オランダ代表への想いは2010年。

スナイデルの強烈なシュートから早14年か。
世界のサッカーを魅せつけてくれたOranje。
私はDe Kuipをこのまま立ち去っては行けないのだ。
だってPeterに絶対行くと約束したのだ。

席まで辿り着けますように。
帰りの電車がちゃんと動いてますように。
夜道に危険がありませんように。
危ない観客が周りにいませんように。
雨が降りませんように。
誰も怪我しませんように。
ボロ勝ちしますように。
推しがよく観えますように。

ホテルへ帰るのが第一目標。楽しむのは二の次だと思っていたが、楽しみと不安が混在している。
心臓のドキドキはどちらがどれくらいの割合を占めているのかわからない。

De Kuipを見上げる。最後の大イベントはすぐそこだ。