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つきまとう影2 本題

『ドナ・ウィリアムズの自伝を読みましたか?』
『ハイ、読みました』
『(・・・・・・・)』

 誰に聞いても、問答の答は「日なた」には出て来ない、永久に闇の中なのです。

つづき


本題


 さて本題に入ろうと思いますが、その前に、自閉症の私の文章を読んで、どんな思いを抱かれましたでしょうか?今のお気持ちは如何ですか?今後の参考の為に、私はみなさんの胸の内を知りたいのです。


 一番気掛かりなのは、ここまで読んで、もしや私に何らかの感情移入した方がいらっしゃったのではないか、と言う事です。私に感情移入はできません。 


「ココロ」がない

 「ココロ」がなく、自分の気持ちが読めない私の書いた文章を、「ココロ」があり、自分の気持ちを読めるあなたが読み、私の文章に、あたかも私の気持ちが込められているかのように錯覚し、錯覚したあなたの気持ちを「ココロ」で読んだのち、その気持ちを、「ココロ」で気持ちを読めない私に移入して、あなたが私の存在しない「気持ち」を理解する、


などという事は、不可能ですし、さらにそれを、

 「ココロ」を持つことを前提として編み出された「気持ち関連語句」を使い言語化することなど、気持ち的にはわかりますが、理論上は出来ません。      


ふぅ‥。


からかい

 もし私がからかっているとお思いでしたら、買いかぶりというものです。からかうというのは、からかわれた人の気持ちを読めてこそ意義がある
「ココロ」を持つ人だけに許された、高度に洗練された言語ゲームです。


私は、ただ事実を書いているのです。
私は、事実から推理した仮説を書いているのです。
その際、感情移入する為の何の材料も提示しておりません。


文章化

 文章という表象の怖さは、あたかも自閉症の私が「ココロ」を持っているかのような錯覚を、容易に人に起こさせる事です。ゆめゆめ文章に騙されないようにして下さい。このポイントを押さえておかないと、先ほどの会話の撤を踏む事になります。


 さて、これだけのもっともらしい前振りをして尚、「私」が私に何を話そうとしているのかは、わかりません。「ココロ」がないとは、不便なものです。それでもとにかく書きましょう。私だって「私」が何を考えているのか、知りたいのです。


エピソード

 以前会社員だったころ、同い年の同僚が患いました。幸い健康を取り戻しましたが、大事をとって退職する事になり、最後の挨拶にやって来ました。

 私は見たまま『元気そうじゃない』と言ったのです。すると同僚は『ひどい、私本当に病気だったのよ』と、いきなり怒り出しました。真剣でした。5秒後推理して、やっとわかりました。


 同僚は、今まで病気などしたことがなかった自分が、長らく休んでいる事を、私がズル休みしていると「思っていると、思い込んだ」のでした。自分の被害妄想には気付かず、あべこべに私の『元気そうじゃない』の一言を、「皮肉」と受け取ったのです。


 キャリアを断念する無念さと、私の言語的、非言語的表現の、恐らくは自閉症から来る不適切さとが、見事にマッチした結果(つまりはミスマッチ)のとばっちりでした。それこそ、買いかぶりもいいところです。私が皮肉など、そんなハイテク、使いこなせるはずもない。その後、他の同僚たちはお別れ会に行きましたが私は誘われませんでした。彼女はお別れ会に私を「誘わないこと」で、その怒りの大きさを「表現」して見せたのでした。


 でもこれでよかったのです。誤解を解いたところで、次なる難問に七転八倒するのは目に見えています。いちいち失望させるのは気の毒ですし、社交は私の手に余ります。


 これを読んで、自閉症なのに「ココロ」を使わずものの5秒でそこまで分かれば、上等じゃないか。どこが障害なのかと思われた方は、幼児ならまだしもスピードが命の大人の女の会話で、この5秒のタイムラグが致命的だという事をご存知ないのです。

 わずか5秒の間に生じた、たった一往復の食い違いを正す為、人が「ココロ」を使えば瞬時に出来る作業を、脳の別の部分を酷使する事で、必死にカバーし、それでも5秒のタイムラグが取り戻せません。


 つまり私は職業生活で、仕事以外にも、否応なく、そういう過酷な努力し続けてきた訳ですが、結果はと言えば、私を含め、誰も幸せになりませんでした。

 あちこちで齟齬が生じ、無理が高じて40代に入るや心身に不調を来たし、遅蒔きながら、アスペルガー症候群の診断を受けたのです。

{そこに至る経緯は、手記「切れないスイッチ」(自閉症と発達障害研究の進歩 Vol.8/2004 星和書店刊に収録)に、ささやかに記してあります。閑話休題}

本人「切れないスイッチ」収録

 あのとき同僚は、もちろん私がアスペルガー症候群だという事など知りませんでした。知っていたとして、彼女に何が出来ましょう。黙って「ココロの闇」に怒りをしまい込み、病気を再発させるくらいです。そのとき彼女の怒りは、無実の「アスペルガー症候群」の名と共に「ココロ」に刻み込まれるのです。


『元気そうじゃない』
『ひどい、私本当に病気だったのよ』
わかってるって。皮肉の一つも言いたいわよ。やっと帰って来たと思ったら、辞めちゃうんだって?お客さんからは、彼女いつ帰ってくるんだ、私じゃお話にならないって責められっ放しだったのよ。でも見違えるようだわ。よっぽど具合悪かったのね、アタシそういう事に疎くて。気付かなくてごめん。お別れ会しなくちゃね』


 十年後に書き上げた、これが模範解答でした。


 誤解を逆手にこれだけ景気良く盛り込めば、人のいい彼女の事です、まず間違いなく機嫌を直してくれたはずです。一息に言って反応を見る。返された彼女の反応の中に、無実の私を疑った謝罪と、自分への反省と、疑われた私への慰めとが、適宜織り込まれて居ればOK。無ければ今度は、病後のハンディを付けた上で、方向性はそのままに、やんわりたしなめる、若しくは、敢えてやり過ごす。



 しかし私の自閉症の脳は、幼稚園の頃から、しいられてきた激務、過酷な双方向コミュニケーションに、最早耐えられなくなっていたのです。


 人の「ココロ」は一段と加速し、追っても追っても追い付かない、まるで逃げ水のよう。彼女の機嫌が直ったからとて何とする。取り戻せるのは、会話の取っかかりの、わずか5秒分ではないか・・・・・

 人と人との「ちょっとした会話」の、出だしの5秒を取り戻すのに10年、次の5秒を取り戻すのにまた10年、また次の5秒を取り戻すのに10年・・・。いつになっても本題に入れません。


 そうだったのです。本来この手の会話は、「ココロ」を持つ人同士がやるものだったのです。私のように、何行も費やすことなく、「ココロ」に掛けて一瞬のうちに、

 『つらかったね』+心配そうな表情and口調

の一言で、効率よく統合してしまう、ホモサピエンスの進化型同士の会話だったのです。本来私が割り込む隙などどこにもない会話でした。


はあ~‥。

 といっても、このエピソードは、これから次々現れる、出来事の序章に過ぎませんでした。


つづく つきまとう影3

つきまとう 影全文

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