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メロメロの10秒後には怒鳴ってたりするんやから、メロメロの部分は見せる必要ないかなぁっていうジレンマ

子どもにメロメロな自分もいるけど、それと同じくらい、下手すりゃそれ以上にイライラとうっとおしく感じる自分もいる。

だから、メロメロな部分を人にわざわざ見せる必要ないかなぁと思ってしまうのだ。だって、ねえ。メロメロの10秒後には怒鳴ってたりするんだもん。

2年ぶりくらいに高熱を出して寝込んでいた。息子はそんなことおかまい無しで、上に乗ってくる、踏んでくる、頭を踏んでくるとやりたい放題。

わかっとる。構って欲しいんやね。でもな、おかんな、いま39.5度あってな、めっちゃしんどいねん…

「おかあさん、おっはよ!!(起きろ、の意)」

うん、わかってた。

わかってたよ。わかんないよねえ、わかってたとしても認めたく無いよねえ、おかんが俺を構ってくれないなんて、ねえ。

ーー寝かせてくれ!!!

頭じゃわかってても、からだはしんどいし心は限界だし。君が熱を出したら一家総出で看病に明け暮れるのに、たまに私が熱でダウンしたらこれかよ!まじいい加減にしてくれよおおお!!!

こんな感じで、イライラとうっとおしいがメロメロを上回ってしまうのだ。子育てへのジレンマ。いつもいつでもメロメロでなんか、いられない。

そんな矛盾を抱えて今日もおかんをやっている。可愛い、かわいくない。目に入れても痛くない!!いやいや、顔すら見たくない‥その繰り返し。

メロメロやかわいい!!だけに振り切れたらどんなに良いだろうと思う。自分の醜いところを見なくてすむ。子どもに「笑顔の母親だけ」を覚えててもらえる。

・・・そう、結局自己満足なんだ。こう思うこと自体、息子にわたしという母親のいい面だけを見ていてほしいというエゴなんだ。

それならばもう、仕方ない。醜い自分だって見よう。おかんはしょっちゅう怒ってたと息子に思われても仕方がない。

「おれの母親はしょっちゅう怒ってたから、自分のパートナーは穏やかな人が良い」と反面教師にされることも、ええい、仕方がない!!

それは結構キツイことかもしれない。でも、

「俺のおかんはいつもニコニコしていて、感情的になることもなくって、優しかった。だから君も子どもに対してそう接してほしい」

そんなことを将来のパートナーに何の疑問もなく言ってしまうよりは。よっぽどマシじゃないか。

子育ては子どもを育てているようにみえて、自分と延々向き合うことなんだと2年7ヶ月ほど息子と生きてきて実感している。

だからわたしは、息子にメロメロな部分を人にわざわざ見せる必要ないかなぁと思ってしまうのだ。だって、ねえ。メロメロの10秒後には怒鳴ってたりするんだから。


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