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笑われハブられ続けた子ども時代だって、わたしの土台にしてやるんだからね。

子どものころ、あなたが罪だと思ったことはなんですか?
自分の存在そのもの

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シリアスな感じで始まりましたが、大丈夫です。9月から読みはじめた「The Aetisi’s Way」も8週目に突入。上に書いた言葉は、今週のワークで出てきた言葉なんです。

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自分の子ども時代を思い返すと、いつも仲間外れやいじめにあい続けて、「私そのものが罪」と思っていたなあ。

転校しても、習い事や塾でも、いつも笑われたり、ハブられたり。そんな体験ばかりしていると、自分が存在することそのものが罪で、私という存在は笑い者なんだと思い込んで当然。

大人になってから「周りからの扱いは自分が自分にしている扱いと一緒なんだよ」なんて言葉を自己啓発の本で読んだりしたけど、そんなもん子どもには到底無理な話じゃない?

小さな子どもにとって、学校は社会そのもの。

そこで四六時中笑われたり、仲間に入れてもらえなかったりすれば、自己肯定感は育たない。自分=ダメな存在と刷り込まれて当たり前。

だから色んなことを必死に隠して、自分じゃないキャラも演じて、なんとか集団からハブられることが無いように生きてきた。

はて、さて。

同じような思いをして育ってきた人が、実はたくさんいると思う。

何かをするたびに笑われたり、否定され続けると、どんどん自信が無くなっていく。

こうして発信することひとつ取ってみても、自分が表現するものなんてなんの価値もないんだって思ってしまったりする。

それを「そうでもないよ」「意外と大丈夫やで」とひとつひとつ塗り替えていく。私が30歳あたりからずっと取り組んでいること。

でも、もっと平和な子ども時代を過ごせていたら、もうちょっと楽だったんだろうなと想像するくらいはいいよね?

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過去は取り戻せないし、過去を掘り下げるより未来を見よう!なんて言われたりするけど、本当に小学校6年間はキツくてキツくて、うわーっ!!!って感じだったんだから。

友達だけじゃなく先生からもよく笑われた。みんなの前で吊し上げられ、笑い者にされたりもした。

発達が早くて生理がきたのもクラス1番で、それをいじめっ子に言いふらされたりもした。

なーんでこんなに悪い意味で目立ち続けなきゃいけないんだって、心底思ってた。

そのころに出会った宝塚も、担任の男性教師に「宝塚を好きになるやつなんか病気や」と吐き捨てられたし。(まじで今それやったら大問題やで)

なんだったん、私の小学校時代!!!
もはや笑えてくるんだが!!

結局私が少しづつ生きやすくなってきたのは、意外にも社会に出てからだった。

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新卒の会社は1年で退職してしまったけど、そこで出会った同期たちが、みんなめちゃくちゃお洒落で可愛くて、なおかつ性格も良くて。

1人地味な格好で出社してる私にも優しく、それまでの「女子って怖い」という感覚が剥がれた1年で。

世の中には私のことを笑わないで仲良くしてくれる子が、こんなにいるんだなあってびっくりした素敵な体験。

それから今に至るまで、たくさんの職場で色んな体験をしてきた。

思い出すといまだに腹立つようなお局や、意地悪な男性社員がたくさんいた某印刷会社もあったけれど、そんなひどい職場でも必ず私に優しくしてくれる味方がいた。

小学校〜大学時代までよりも、社会に出てからの方が圧倒的に味方が増えた。

不思議な話なんだけど、ちょっとずつ自分らしさを出していけるようになったのは、色んな職場でたくさんの人に出会ってから。

私のことを良い意味で面白がってくれたり、舞台に足を運んでくれたり、なんだかんだと目をかけてくださったり…。

きっと子ども時代にもそんな体験はたくさんあったんだろう。けれど、それを上回るあれこれが多すぎて記憶にあまり残っていない。

本当に子ども時代は異常だった。夫曰く、「君は人生のしんどいことを凝縮して子ども時代に済ませてくるシナリオだったんだよ、きっと」。

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(妊娠中の淡路島旅行。人生で最高体重)

大人になるって良いもんだ。人間関係をある程度選べる。語彙も経験も増えてるから、何か不当な扱いを受けたときに反論することだってできる。

子ども時代のことが延々残っているのは、その時に言い返せなかったり、馬鹿にされてるのにヘラヘラして仲間に入れてもらったり、その瞬間に言いたかった言葉、出したかった怒りが腹の中で溜まっているからかもしれない。

でも不思議と「負けてやるもんか!!」とは常に思ってた。

宝塚を馬鹿にされようが、小学校の卒業文集には「宝塚の男役になる!」って書いたし。

高校に入ってまでハブられた時は、主犯の取り巻き2人を空き教室に呼び出して、「言いたいことがあるならはっきり言いや!!」と問い詰めた(その日を境に一切ハブられることがなくなった)。

大学もゼミや基礎演習のクラスで浮いちゃって、話しかけると無視はされないものの半笑いで返される…というじわじわと辛い4年間だったんだけど(この地味に嫌な感じわかっていただけるだろうか)、なんとか卒業はした。

ここまで徹底的にハブられてしまうというのは、何かしら私が変なところがあったんだろうか??

仲良くなりたい一心で無理しすぎたり、はしゃぎすぎたり、はたから見ててイタイ言動をしていた部分があったんだろうか…あったんだろうな…

特に大学の入学当初はみんなと仲が良くて、それが嬉しくてキャラ全開でディベートや話し合いで意見を出しまくっていたら、いつの間にか避けられていた。

イタイ感じだったんだろうなあ(遠い目)

それでも仲良くしてくれる人が数人いて、その子たちのおかげで何とか卒業できたんだった。

本当に、少数でも味方になってくれる人がいるといないのとでは、人生そのものを揺るがす大きな違い。生きていけるかどうかが決まる。

大学では病みすぎて一時期心療内科にも通っていたし、ギリギリのところでいつも生きていたんだなあ、よくここまで来たよなあって自分を褒めたい。褒める。

今でもふとしたときに怖くなる。

保育園で先生と話しているとき、ママたちと喋っているとき、私は変な言動をしていないかと。ちゃんとできているのかと。

そんな風に気にしている時は身体全体を小さく縮めているからすぐわかる。帰ってから妙に肩が凝っていて、ああ今日もちゃんとしようと必死だったんだなあ、お疲れ!!!(泣)ってなる。

noteはこうして全開で書くことができる貴重な場所。どこか特定のグループにも入っていないから、こんなこと書いてどう思われるだろう?と気にしなくて良いのもとってもこころ安らか…。

いつも書くことが友だったんだけど、それはこうして想いのたけを吐き出すのと、誰にも遠慮なく堂々とできる場所が欲しかったんだと思う。これからも書くことは私の友である。

最後まで読んでくださってありがとうございます。noteも仲良くしてくださる方々がいて、読んでくださる方々がいて、それがとっても励みになっています。いつも味方でいてくださって、ありがとう。





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