見出し画像

メモ帳供養その十一「遺伝子の罪」

こんばんは、魚亭ペン太でございます。スペイン料理を頂いてきたのですが、やっぱり、こういうのにはお酒がほしいなと、この世の中が恨めしくさえも思えますが、同時にこうした中で頑張っている飲食店を応援したい気持ちは強くなりますね。

ぜひ知り合いに飲食店で働いている人がいたら、できる限りの力になってもらいたいです。

そんなわけでメモ帳供養その十一、新鮮味がうすれつつあるので、どこかで大きく感じを変えていきたいと思います。今日もお付き合いいただけたらと思います。

---

酒が進むに連れて本音を求めるようになっていき、ついには理想の異性の話へと膨らみ、様々な意見が飛び交う中「精神が安定している人がいい」という意見が飛び交い、その意見が会話の輪の外から盗み聞きしていた私の関心を奪い去った。

少し前までは「よりよい遺伝子を持つ人」なんて言葉が飛び交っていたのに、まるでそれはSFの話だと言わんばかりの冗談だったのか、世間では流行り廃りのように恋人へ求める新しい条件が生まれ、彼女たちの理想をつくりあげている。果たして精神が安定している人なんて、どこにいるのだろうか。

それから彼女たちの会話は頭に入ってくることはなく、その議題を私の頭の中でこねくり回す一人会議が始まった。精神の安定が仕事や人間関係に問題がない人を指し示す言葉なのだとすれば、そんな桃源郷はどこの世界の話なのだろう。

現実には精神が不安定な人たちによって、さらに精神が不安定な人たちが生まれるというのに……

もはやこれは病気だとする意見もあった。他人の影響を色濃く受けるなら感染病とも言えるし、人間同士による足の引っ張り合いとも表現できた。

誰かといるときにその人に感性を合わせるべきなのだと必死に考えてみるが、それが実らなければより一層孤独を感じるようになる。それが嫌になった人たちは一人でいることを選ぶようになる。

「そういえば、あの殺人犯、実刑判決出たんだってね」

若者たちの声が私を現実に引き戻す。

今、テレビで話題になっているあの人は最近仲良くなった人だった。笑顔が素敵で、いつも明るく話をしてくれた。どの話も面白くて、彼の話を聞くのは有意義な時間だった。

「彼と親しかったと聞きますが」

私がここにたどり着く前、一人の記者が私に歩幅を合わせてきていた。私は諦めて村田と名乗る記者を彼とよく過ごしたバーに誘った。酒を奢ってくれるなら話してもいい。そういうと村田は財布の中身を確かめてから交渉に承諾した。

「たしかに彼へは親しみを持っていたけれど、彼については多くを知らない。たまたまバーで出会った関係だった」

他所での彼がどのような人物であるのか、それを他人の口から知らされることはあまり気分がいいものではない。

「殺人犯と気が合ったということですかね」

記者の質問は時折私の気持ちを苛つかせるものもあったが、酒のおかげかおおらかな気持ちで対応できた。

私が彼と出会った頃には既に三人以上は殺していた事が判明している。

それでも世の中に溶け込んでいたのだから、普通に生きていればなんの問題もない人物だった。それが既に三人も殺していたとなると、もはやなにを疑ってかかるべきなのかわからない。

もしかしたら私自身もその被害者の一人として数えられていた可能性があったのではないか? 想像するとゾッとする。あの笑顔のまま包丁を突き刺されるのか、それとも予想もつかないような強張った表情で襲いかかるのだろうか。だが既にその心配はない。彼は極刑に晒されて既にこの世の人生を終えている。

「この世に人殺しの遺伝子を遺したくなかった。だから母子共々殺した」

彼の言い残した言葉の通り、妊娠させた相手や生まれ落ちた子供が被害者になった。殺された女性たちも欲張らずに体の関係を持たなければ殺されることもなかったのにと世間から同情の念を抱かれていた。

私がこうして生きている理由はその裏返しであった。彼はとてつもなく優秀であった。政府からも「有能遺伝子」として扱われ、彼の子孫を残すことは国にとっての利益になると予想され、彼と関係を持つことを自ら望んだ女性は、育児に関する全ての費用が全面的に免除されるという高待遇が約束されていた。

ただの殺人ならここまでマスコミが騒ぎ立てる理由もない。これは政府側の非を晒すための取材でもあった。有能遺伝子の選定方法に問題があること、また有能遺伝子制度の批判をするため材料集めだった。この村田という男によってそれらしき発言をさせられ編集を加えられることは目に見えている。

「私からはこれ以上は何も」

何も言えることはない。親しかった人は確かに異性としても意識をしていた。彼が有能遺伝子として扱われていることも知ってはいたが、だからといってそれを理由に仲良くなったわけでもない。ある種の特別扱いを羨ましいとも僻むこともせず、世間から向けられている期待の眼差しにウンザリしている同志として、二人だけで被害者の会を開いているつもりだった。

彼が猟奇的な殺人犯だとは知らずに接していたのだから、良き理解者ともいえど、相手の事を何もかも知ることはないのだなと、またしても人との関係性に対して閉鎖的な考えが蘇ってしまう。

今こうして問題を定義したところで、既に彼以外の有能遺伝子によって、何人もの子供がこの世に産まれている。

そして政府は有能遺伝子を引き継いでいる子供たちに支援を継続するべきであるかどうか討論している。保護観察の対象として扱うべきだという声もある。子どもたちは何も知らずに生まれてきたというのに、犯罪者になるかもしれないというレッテルを貼られている。

「遺伝子が凶暴性を引継ぐ可能性はゼロではない」

「共に生活をしていなければ、倫理観を踏襲することはない。その異常性は現れないはずだ」

「その遺伝子を世間が怖がることで、子供たちを犯罪者へと近づけるのではないか」

「マスコミの接触によるストレスは子どもたちにとって過酷な出来事になる」

既に子供たちは渦中にある。

「いっそ私も殺してほしかった」

彼の遺伝子を継いでいなくとも「有能遺伝子を受け継いだ子供だから」とイジメを受けている生徒から、そのような意見が出てくるほどだ。殺された子供や母親はこれから苦しむかもしれないと考えた彼の独断的な優しさによって殺されたのかもしれない。ただ、その考察については話さなかった。

これ以上の情報は得られないと考えたのか、記者は取材を打ち切って、もう一杯飲んでいくように私に促して店をあとにした。うんざりした心持ちでスマホに目をかけると、またしてもうんざりするような電話が掛かってきている。

「結果は出せそうかい」

私の用意した資料をある程度読み終えた上司が今後の進捗を尋ねるべく電話をかけてきたのだ。

「できる限りのことはしてみます。ただこれから世の中はおかしくなりますよ」

「そうだろうね。でも、遺伝子による犯罪の可能性を否定するのは君の手に掛かっている」

私の仕事である遺伝子研究と私個人の生活は別のところで考えほしいと念を押され、私は遺伝子研究員として彼の心配と奇行が杞憂に過ぎなかったことを証明しなくてはいけなくなっている。

だが、その証明は彼の人生に対する否定だ。

本来作るべき「遺伝子と犯罪が無関係であって、有能遺伝子制度に不備はない」とする資料ではなく、全く持って内容が真逆の「遺伝子は犯罪を引き起こすことから、有能遺伝子制度は廃止すべきである」という論文を作り上げて、マスコミに売り払って見るのも面白いかもしれない。

そうしたら彼の行動は正しかったことになる。そうしてみたい考えがよぎるどころか、今にも私を突き動かそうとしていた。けれどもそれは私の研究結果を否定することでもあった。彼は私の仕事については何も聞きはしなかったが、おそらく私が仕事外の関わりに、少しでも仕事の視点を持ち続けていることを知っていたのだ。

それならいっそのこと、彼と関係を持って殺されてしまいたかった。けれどもこれは私と彼の唯一残された関係なのかもしれないと考えるようになっていた。

「彼をそのような人間にしたのは遺伝子じゃなく、周囲の環境を創り上げた人間たちによってそうなったのだ」とそれを証明できるのもまた私自身なのだ。

最後の一杯を勢いよく飲み干し、私は思い出を後にした。

美味しいご飯を食べます。