多様性について

前回の記事を書いてから返信があったことをすっかり忘れており今日返信をしていましたが、恐ろしく長くなったのでどうせなら記事にします。

書いた原文のまま貼り付けるので文脈が読めない方で興味のある方は前回の記事を読んでいただけると幸いです。

リベラルも保守も定義されていないので何とも言えませんけど、文脈から読むなら、自民党をリベラルと置いて、取り巻きであるネトウヨが最強の多様性と主張するのなら意味が通ります。

ネトウヨと呼ばれる人たちは勉強していないだけです。ネトウヨの情報源である政府の御用記者も都合の良いように解釈しているだけです。特に経済政策なんかは。ただ、政治とは究極的に好きか、嫌いかのどちらかなので、国民が左傾しているだけのように感じます。

なぜ、好きか嫌いかなのかは、政策を考えてもらえるとわかりやすいです。例えば、先に記述した経済政策なんかを考えてみても、政府は、雇用の流動性を増やすことはせず、企業の留保を財源として会社員の所得を上げようとしています。これが政府の言う分配なくして成長なしです。そもそも、成長することが前提なのにも関わらず、目先の分配をしても留保から所得に回されれば、企業は投資することもできず、競争力も落ちる。成長することが前提にあって分配があることはわかりますが、分配をすれば成長をするのかというような言いぐさです。ただ、これも実際はどうなるのかはわかりません。わからないとなると判断するには思想信条に頼らざるを得ない。政策には絶対的な答えはないのです。相対的な世界の中では、思想信条哲学というような目的から方法論が生まれ、それを実践する過程があります。そして判断基準はその哲学または方法論が好きなのか、嫌いなのか、だからこそ多数決で選挙をするわけです。もちろん今回の選挙戦だって国民の多数決で決まり、その結果自民の圧勝だったわけです。

ブログに環境要因で変わるといいましたが、多様性にも環境要因はあるわけです。多様性を求めるべき場所と、多様性を認めないほうがいい場合もあります。司法なんかがそうです。大多数の人間は法律に背くことはしませんが、犯罪を犯すようなマイノリティーに多様性を求めても、社会が破綻するだけです。

返信にあった美しい、美しくないかどうかの基準は曖昧ですが、基本的にマジョリティーか、マイノリティーかです。一般論として美しいものはマイノリティーな傾向はありますが、あなたの言う美しさとは、在日コリアンであったりと人種に定義が寄っています。人種に形容詞的な美しいも、醜いも関係ありません。同じ人間なので変わらないです。ですが国営を行う上で日本の資本が意図しないところで外国に流れたりすることはなるべく避けねばなりません。それ以外で、日本で暮らす韓国人の方々は社会的に何か制限を受けているならば当然そのことに声を上げることは正しいです。そしてそれを否定できる人間はいません。

国益は第一優先だと思いますが、そこの国で暮らす誰しもが、平等であることは大切だと私も思いますよ。ネトウヨがやっていることはただのヘイトです。ただ、外交として事実を改変し、国益を脅かされるのであればしかるべき対応をするのも普通のことです。だからと言って国民感情を転嫁して、同じ日本で暮らす仲間の出身がどこの国だろうとヘイトを起こすのは日本人の自分でさえ理解できません。


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