chinpoh

暇なときに書きたいことを書く。

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最近の記事

palworldをしていて少し嫌になったことと、ゲームプレイにおけるフレンドとの軋轢の根底にあるものが分かった気がする。

経緯 ゲームが趣味なのはずっと昔からではあるが、趣味といってもボードゲームもするし、将棋とかも好きだし、RPG、FPSなどのアクションも好き。昨今ゲーム界隈がざわついているあるゲームがある。言わずもがなpalworldのことなのだが、アーリーアクセス日から中学校からの旧友である友達(以降A君)と一緒にプレイしていた。もちろんpalworldに関して言えば賛否はあれどゲームとしてはめちゃくちゃ面白い。それでも友達とプレイして嫌になって最近はあまりやろうとは思えなくなってしま

    • 急がば回れと急いで回れは全くの別物。「苦労は買ってでもしろ」の再定義

      ゲームが趣味で暇なときによくプレイするのだが、前までは評論家気取りで最近のゲームは面白くない、だとかうだうだ言っていた。なんで楽しめないのかを考えたときに攻略動画や配信を見ていて前評判や攻略方法を知ったうえでプレイしていたので、それが原因なのではないかと思うようになった。 試しに攻略動画、配信、攻略サイト等の前情報を一切頭の中に入れずにDQ11をプレイしてみたのだが、これがめちゃくちゃ面白くて久々にRPGで楽しめた。昔はRPGなども熱中していたのだが最近はもっぱらfpsなど

      • なぜこの世に必要とされない人は死を求めるのか。

        はなはだ疑問である。 そもそもこの世に必要とされていないのであればなんだってできるではないか。誰の目にも触れられないのであればなんだってできる。一度死を見たネズミは猫に噛みつけるらしいが、人間だって同じだ。しかし、この世に必要とされていない人たちは考え方の方向性が、死を求めており、難癖をつけて死のうとする。 この世に必要とされていないのは理解できる。ただだからといって必要とされていないことと、死ぬことは全く関係のない話だ。この世に本当に必要とされていないのであれば犯罪を犯

        • ひろゆきが嫌われる理由、ひろゆき批評。

          久しぶりに切り抜きを見た。ひろゆきという人間。なぜ嫌われるのか、嫌いな層はどういう人たちなのかなんとなく分かったので書いていく。 ひろゆきの悪いところは、炬燵に寝ころびながら拾ってきたソースに絶対の自信をもち、信頼をおいているところだ。彼が伝えるべきことというのは、その情報から得られた知見だと思う。だけど、ひろゆきはその情報について重きをおいて話すので時々炎上する。基本的に彼が炎上するときはその道の専門家と論争をして、勝てるはずのない、勝つ意味もない口喧嘩をしている。 ひ

        palworldをしていて少し嫌になったことと、ゲームプレイにおけるフレンドとの軋轢の根底にあるものが分かった気がする。

        • 急がば回れと急いで回れは全くの別物。「苦労は買ってでもしろ」の再定義

        • なぜこの世に必要とされない人は死を求めるのか。

        • ひろゆきが嫌われる理由、ひろゆき批評。

          厭世観がはびこる世界

          最近ネットニュースやtwitterやらで国を憂いを嘆く人が多い。むしろその空気感こそが日本衰退の証なのではないかと思う。こういうと揚げ足を取ってそれさえも憂国の証だろうという人が居る。その通りなのではあるが、この議論は無限後退する題目なので仕方のないことだと目をつむってほしい。 人間は悩む生き物だと思う。悩みを解決するには過去に学び失敗を反省し今に生かすしかない。誰しも悩むがいつかは前を向き未来に活かす。自分の糧にする。簡単に思想を呟ける世界だからこそ、誰しもが憂い憂い、憂

          厭世観がはびこる世界

          多様性についての返信についての愚痴と相場の経験からポジショントークについてのとらえ方。

          前に書いたコメントがたまっていたので返信します。もうこれ以降返信しないのであしからず。そのあとに返信してくださった修さんには先の記事で返信したのでお目に留まったらご覧ください。返信は遅くなるかもしれませんが。 本題ですが、そもそも私は斜陽する国を憂いて焦燥感に駆られ政治の声を有象無象のネットの海に喋りたいわけではありません。そもそも挙げたのはあくまでも例です。私はもっと皆さんの哲学を聞きたい。政治には興味はありません。ポジションも取りません。どうでもいいんです。時間を取られ

          多様性についての返信についての愚痴と相場の経験からポジショントークについてのとらえ方。

          多様性について

          前回の記事を書いてから返信があったことをすっかり忘れており今日返信をしていましたが、恐ろしく長くなったのでどうせなら記事にします。 書いた原文のまま貼り付けるので文脈が読めない方で興味のある方は前回の記事を読んでいただけると幸いです。 リベラルも保守も定義されていないので何とも言えませんけど、文脈から読むなら、自民党をリベラルと置いて、取り巻きであるネトウヨが最強の多様性と主張するのなら意味が通ります。 ネトウヨと呼ばれる人たちは勉強していないだけです。ネトウヨの情報源

          多様性について

          LGBTやフェミニズムなどの社会問題から考える、二元論の限界、多様性への展開

          現代社会はLGBTだの、フェミニズムだのいろいろと多様性を求めるようになってきている。肌の色であったり、思想信条であったり。これは昭和までの誰も目に留めなかった個性を尊重した教育の自然な作用なのかもしれない。 私は今日、シコった後の賢者タイムで考えてみた。男女で分類する理由、しいては二者択一で考える、善と悪、正と誤、真と偽、強弱、そして男女。人類はあらゆるものを二元的にとらえて、答えのない世界に挑んできた。まず概要から話してみたいと思う。 そもそも答えのない世界、つまりは

          LGBTやフェミニズムなどの社会問題から考える、二元論の限界、多様性への展開

          選挙を前に国営を考える。

          最近国営について考えて、そこから転じて本質的な仕組みが見えてきたので備忘録も兼ねて、国営と照らし合わせながらネットの海にゴミを生み出します。海洋汚染反対!ぴえん🥺! 国営についてはこれまでの自分の哲学では良識のある独裁が最強だと思っていたけどそれも何か違う、というか方法論はなんでもいい気がしてきた。前までは清の4代皇帝〜6代くらいを見てもわかるように良識のある独裁者がいればその国はうまく行くと思っていたし、シンガポールなんかの例を見ても実際そうであると思う。ただ一極に集権し

          選挙を前に国営を考える。