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ひいおばあちゃんと私

それは、私が小学生になったばかりのころだったと思う。その頃からの記憶が一番はっきりとしている。私は熊の顔が書いたセーターを着て、親戚に交じりながら正月の雑煮を食べていた。みんなが酔ってたくさんの言葉をしゃべる中、ひときわ顔が皺くちゃでこじんまりとひじ掛け椅子に座っている姿がひいおばあちゃんを思い出せる最初の記憶である。もうそのころには80をゆうに超えていて、大正の生まれだというから、当然だったと思う。足腰は丈夫な方だったが、少し背中を曲げながら歩く姿が印象的だった。

私は餅が食べ終わると、そのころちょうどそのころ流行っていたゲームボーイをカバンから取り出し、夢中になってゲームをしていた。特に私の姿に親戚は気にも留めなかったが、ひいおばちゃんだけがしわの中にある小さな瞳を瞬きさせながら

「目が悪くなるよ!」

なんて注意してきたのを今でも私ははっきりと覚えている。私は頭ごなしに叱られることが嫌な性分だったので

「ほっといて!」

と強い口調で言い返してしまっていた。私が大きな声を出したもんだら、私をよく甘やかしてくれた祖父が

「正月ななんだから好きにさせてやりないさいよ」

とひいおばちゃんをなだめるようにして私をかばってくれていた。そういったやりとりもあってか私はその頃ひいおばあちゃんに言われることが全部嫌で嫌でたまらなくて、特に話もしなくなってしまった。

そこから少し時間は飛んで夏休みへと変わる。私は夏休みに祖父の家に行くことを楽しみにしていた。祖父の家からホタルがみられる場所に行こうとしていたからである。夕暮れ時に到着した私たちは、少し休んだ後、祖母が作った夕飯をみんなで囲んだ。もちろん食卓にはひいおばあちゃんもいる。ひいおばあちゃんは夕飯を食べながら私の方をじっと見つめながらごはんを食べていた。私はその姿がなんとなく嫌だったので「こっちを見ないで」と冷たく言い放ってしまった。ひいおばあちゃんは特に何もしゃべらなかったが、少し悲しそうな顔をしていたと思う。

そして次の日の朝だった。私は目が覚めるととても体が火照り、起き上がることがとてもしんどかった。そこから記憶は途切れ途切れだが、熱さまシートをいつの間にか額に貼られながら布団から目覚めたことを覚えている。時刻は既に昼を超えていて、高く上った日が窓を照らしていたと思う。母や父の姿を探したが誰もいなく、リビングの方へ行くと、ひいおばあちゃんだけがひじ掛け椅子に座っていた。

「みんなは買い物だよ!熱が出たっていうが、大丈夫かい?」

とひいおばあちゃんは私に語り掛ける。私は自分が風邪にもかかわらず、自分の親たちが、買い物に行ってしまったことが薄情に思えて、やり場のない怒りが込み上げてきた。

「うるさいよ!心配なんかしないで!」

私はその小さな怒りの矛先をひいおばあちゃんに向けてしまった。

「心配するよ!うるさいって言われたって心配する!」

ひいおばあちゃんは本当に心配そうな顔で私を見つめながらいう。

「もう!心配しないで!」

そんなやりとりが続くと、私は疲れを感じ、リビングにあるソファに横になった。

「何か持ってきてほしいものはあるかい?」

ひいおばあちゃんは皺くちゃの顔で私を覗き込みながら語り掛ける。

「お水が欲しい。。。」

私は力のない声でそう言った。ひいおばちゃんは私の言葉を聞くと、背中を曲げながら台所の方へと向かい。ガラスのコップに氷の入った水を私の目の前へと持ってきた。

「少しずつ飲みなさいよ」

私は、ひいおばあちゃんに渡されたコップを持ち上げ、のどを湿らせるようにゆっくりとその水を飲んだ。そうしていると、両親たちが、子供用の風邪薬やゼリーの入った買い物袋を抱えて祖父の家へと帰ってきた。私は両親の顔を見るとまた安心して、深い眠りへとついた。

その夏は祖父の家には4泊する予定だったが私は風邪をひいたこともあり、ほとんど寝て過ごすようだった。最終日には何とか元気な状態にもどったが、楽しみにしていたホタルも見れずに東京へと帰ってきた。とんだ災難ではあったが、私は初めてひいおばあちゃんのやさしさを感じ

「次はひいばあちゃんもう少し仲良くしよう」

と胸に誓ったことを強く覚えている。しかし、次にひいおばあちゃんに会ったときそれはもう叶わない願いとなっていた。その夏からひいおばあちゃんの認知症がひどくなっていき、介護が必要となってしまったのである。その年の正月ひいおばあちゃんにあってもいつも私のことを忘れてしまい。特に話せることもなくなってしまった。

そうして月日は流れ、私が中学生になったときだった。突然の連絡だったが、ひいおばあちゃんが介護施設で亡くなったのだという。私は学校を休みひいおばあちゃんの葬儀へと参加した。初めての葬儀だったが不思議と涙は出なかった。その頃にはひいおばあちゃんとの思い出も薄くなり、ついになくなってしまったかと簡素な感情を抱いていた。葬儀の間は祖父の家にいつものように泊まっていたが、親戚が夜まで多く出入りしていたので、気分を変えようと父が近くのスーパー銭湯まで家族を連れて行ってくれた。

その帰り道だったと思う。真っ暗な水田が広がる田舎道だったが、ふわふわと車の窓の外に緑の光の筋が見えた。よく目を凝らしていると、その光が沢山ある。「うわぁホタルだ!」と私が叫ぶと父は車を横道に止めた。そこには無数のホタルが水田を漂っていた。父はこんなところでホタルが見れたことなんてないという。その時私はふと忘れていた記憶がよみがえった。それは皺くちゃの中から私を心配そうにのぞく黒い瞳の記憶だった。

私は右の頬からぽたりと流れ落ちる思い出を感じた。

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