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AIは猫にとって理想の家族となり得るか?第15話

《三日目、救いのない話》


 全てを終え、落ち着いてからでないと語り尽くせない。真希は、騒動の終息を得てから、一枚の絵画のようだった、あの場面を反芻した。

 母の目に浮かんでいたのは勝利の確信。あらゆるものを削ぎ落としてでも手に入れたかったものが、手に入った瞬間のように見えた。母は見たこともない華やかな微笑みを浮かべて、幸せそうに見える。

 例えそれが幻想であったとしても、母にとってこの瞬間は生涯かけて追いかける価値のあるものだったのだろう。

 微笑む二人、最上級の空間。

「柳原さん、時間を作ってくれてありがとう」
「もちろん、私の時間は全て、博士の目指す道のために捧げますわ」

 うっとりと答える母は、もうマサキを手に入れたと確信していたのだろう。どんな誘い方をしたのか定かではないが、よっぽど甘く誘われたに違い無い。

「それなら、これからの人生を全て、私にくれないか?」
「ええ……私は、その、そう言って頂けて本当に嬉しいと……」

 計ったようなタイミングで涙がこぼれ落ちる。

「そう思ってしまうのが、ヒロコに悪くて……」
「どうして?」
「ヒロコは、私の……大切な友人ですもの」
「そうだったね。学生時代を思い出すよ。ヒロコが何かやらかす度に君が止めに入って」
「ええ、懐かしいわ」
「君は、あの頃から慎重で賢明な女性だったね」

 マサキがワイングラスをテーブルに戻すと、途端に視線が凍り付くように冷たくなった。

「私は、全て見ていた」
「え?」
「君が、私達家族が落下していくのを、見学しているところを。賢明な君は肉眼では見えない遠く離れたところから見学していたね」

 母の顔も凍り付く。手にしたワイングラスは細かく震え、美しい薄いグリーンに見える白ワインの水面が騒ぎ出す。

「何を仰っているの?」
「見ていたから、知っているはずだ。車から、ロボットが飛び降りただろう」
「何のことだか……」

 マサキは立ち上がり、自分の胸に右手を当てた。

「飛び降りたロボットが、私だ。私は、MK-1。OWBの頭脳を保管するAIの一つ。私の担当はマサキ・A・シュナイダー。彼の頭脳を完璧に保管しています」

 いよいよ、母の全身がわななく。

「は?」
「私は、ロボットで、本物のマサキは君に殺されかけた。そう言っている」

 最後の、家族旅行だったと。AIのマサキの目に、涙が浮かんでいる様に見えたのは、光の加減だろうか。

 一家が向かったのは、思い出の場所。マサキがヒロコにプロポーズして夫婦として共に歩み始めた記念すべき場所。そこで、朝日が昇るのを見たいと。マサキが望んで、家族はそれを叶えたいと思った。

「マサキは、一年前から重い病に冒されて余命を宣告されていた。だが、OWBは目的が達成されるまで死ぬことを許されない」

 地球環境改善の最前線に立つマサキ博士の死は、地球壊滅、人類滅亡を意味していた。それ故に、OWBは全員、脳の情報を全て保管するAIを所有することを命じられていた。最優先で作られたマサキのAIが完成すると、より高い精度を求めて博士と共に行動することになる。MK-1のことを、マサキは双子の弟のように受け入れてくれたと。彼はマサキそっくりの顔と口調で語る。そして、彼の家族も。本当の家族のように大切に一緒にいてくれた。

 マサキが余命を宣告され、身動きが取れなくなっていくと、MK-1は表舞台にマサキとして顔を出すようになる。いつか、マサキの研究を正確に受け継ぐ者が現われるまで。MK-1は己の使命を全うしようとしていた。

 そして、いよいよマサキの命が尽きる日が近づく。マサキは延命を望まず、家族と過ごすことを望んだ。大げさなSPを付けてしまえば、マサキの命が危ういこと、表舞台にMK-1が立って欺いていることが世間にバレてしまう。

 それ故、MK-1は研究に支障の無い範囲で警備ロボットに近い機能を追加し、家族を守った。事故に遭い、MK-1は行動原則に則り三人の家族を守ろうと計算した。

 家族全員を抱えて車の落下に巻き込まれないように崖に飛びついたところで、視線を感じたのだ。

 そして、見つけた。高機能オペラグラスを使って、落下する車を見学しながら……薄ら微笑む女性の姿を。MK-1は回路が焦げ付くほどフル回転するのが分かった。

「あの女が私の家族を殺そうとした、と。そう、結論付けました」

 このままでは家族全員が危険である。

 そう判断したMK-1は救出に失敗した演出を行う。崖から転落する姿を見せて、犯人の目に付かない場所へ安全に着地し、家族を守った。

 そして、己の企みが上手くいったことを確認した彼女は「学生時代の友人」という悲しげな顔を貼り付けて、ノコノコとMK-1の前に現れた。

「私の説明に間違いはありますか?」
「……フン。死ななかったの? あの女は。本当にしぶといんだから……」

 ギリ、と歯を食いしばる母親だった誰か。

「……ロボットが見ていたですって? そんなもの、いくらでも改ざんできるでしょう? あのポンコツロボットを作った、馬鹿な博士なら。それに、私は誰も殺していないってことよね? 良いわよ、どんな罪でもきちんと償うわよ」

 未遂ならばたいしたことではないと、たかをくくっているのか、彼女の態度は横柄だった。

「いいえ。あなたの行動により、マサキは死にました」
「え?」
「マサキは、落下の衝撃に耐えきれなかった。マサキはもう、生きていません」

 世界最高の頭脳であるマサキへ、母親だった誰かがどんな感情を抱いていたのか、今となってはもう分からない。

 愛情だったのか。ただの、独占欲だったのか。少なくともマイナスの感情では無かったはずだ。それなのに、彼女は笑っていた。

「まあ。仕方無いわね。私を選んでいれば、こんな目に合わなかったのに。かわいそうな人」
「あなたが、殺した」
「あなたが守れなかっただけでしょう? 自分の無能に私を巻き込まないでくれる?」
「あなたの罪を、私が記録しています」
「そんなの、あの馬鹿な博士が幾らでも書き換え可能でしょ? ロボットの記憶は証拠にならないわ」
「はい。記憶の書き換えは可能です。そのため、私の記憶を裏付ける証拠を集めて頂きました」

 完全貸し切りであったレストランに、二人の刑事……ゴローを連れていった刑事達が現われた。彼等が一日と少しでやつれて見えるほど必死で集めた証拠を手に。

 結論から言うと、ガードレールにも、車にも細工が施してあった。ガードレールは少しの衝撃で破壊されるよう、設置された五年前の時点ですでに危うい状態だったのだ。何と、峠道に設置された全てのガードレールが衝撃に耐えられる造りでは無かった。

 車は当日の細工だったが、手先として動いていた人物は消される直前に保護。まさか自分が殺されると思っていなかった整備士は聞かれるままに全て話してくれたという。

「あなたには黙秘権はありません。弁護士をつける権利も発生しません。そして、裁判もありません。身柄を拘束し、世間から隠匿されます」
「な、なによ……そ、そんなこと、そんなことお父様がお許しにならないわ!」
「柳原氏には、娘はいらっしゃらないそうです」
「え!?」

 おそらく真希達の祖父から命じられて行動していた、可哀想な傀儡。真希達の祖父は最も危険なものを無情にも切り落とすことにしたようだ。

「お父様が仰ったから、だから、だから、私……。お父様のために、お父様……」

 そして、茫然自失のまま、母は逮捕された。殺人未遂の罪、しかもOWBの殺害計画。死刑を宣告されるレベルの犯罪だが、マサキの不在を知らせるのは全世界のパニックを呼ぶことになる。

 そのため、母は監獄に幽閉される。存在を抹消され、死刑を受けることもできず、機密保持のためだけに生かされる。誰とも面会は許されず、ただ、死ぬまでぼんやりと存在することになる……。

 一連の犯行に加担したと思われる柳原の一族も全員に制裁が加えられた。真希の叔父は議員を辞任、祖父は実権と財産の没収。柳原という政界に君臨していた一族は一瞬にしてその存在を消し去ることになった。

 すっぱりと悪人達が制裁を受けて完了……そんな訳にはいかない。救いの無い話だ。

 映像を隣で見ていた咲希は、途中から涙を堪えきれなくなっていた。

 もう本物の父と会うことはできない。永久に……。

 恨むなら自分を、と言った小太郎は、マサキ博士の脳をコピーしたMK-1の存在について言っていたのだろう。

 真希と咲希は、捕まった母に背を向けて二人で夜を徹して話し合った。これからのことを……。

《三日目、凱旋》


 ピ、ピ。最後に仕掛けたアラームが作動し始めた。

「ゴロー」

 その一言で、回路に光が走る。
 ゴローの名を呼ぶ、ゴローを必要とする主人だ。

「ハイ。ワタシは製造番号五○四二五六家事専門ロボット・シリーズSGF、やすらぎタイプ。名称ゴロー、通称ゴローサン、デス」
「おはよう、ゴロー。迎えに来たわ」
「ハイ。ありがとうございマス」

 視界がクリアになると、ゴローは視界を閉じた時と同じ場所にいた。尋問をしていた刑事二人も、晴れやかな笑顔を浮かべている。

「マキ様、お手数をおかけ致しマシタ」
「良いのよ。咲希ちゃんも、ちなちゃんも待っているから。早く帰りましょう」
「ハイ、かしこまりマシタ」

 立ち上がると、真希は二人の刑事に丁寧に頭を下げた。

「お世話になりました。ありがとうございます」
「頭を上げて下さい」

 対面して尋問していた本多が、深々とゴローに向かって頭を下げた。

「申し訳無かった。貴方に罪はありません」
「ハイ。分かっていマス。ワタシは人を助け、人の為に働く自立思考型AIを搭載した家事専門ロボットデス。人間に危害を加えることはありマセン」
「うるせぇ。ここは謝るのが人の筋ってもんだ。黙って受け取っておけ」
「……」

 言われた通りに黙り、真希と共に頭を下げて警察署を出て行く。ここから家までは真希の足では少々時間がかかる。タクシーを呼ぶことを推奨したが「歩いて行きたいの」と真希が言ったので、そのまま歩いて戻ることにする。ほぼ、1キロほどの距離がある。

 十五分ほど歩く間、真希はゴローがスリープしている間のことを話してくれた。

 ゴローを陥れた犯人は捕まったこと。
 そのために、OWBと先程の刑事が協力してくれたこと。
 世論に動かされ、世界中である議論が湧き上がっていること。

「ゴロー」
「ハイ、マキ様」
「ふふ、ゴロー」
「ハイ、マキ様。ご用件をドウゾ」
「何でもないの」
「ハイ。何かありましたら、また承りマス」
「うん」

 真希は、咲希と話し合ったことも全部ゴローに話してくれた。これからのことを。二人の姉妹が、どうやって生きていくかということを。

「ゴロー、私の家族になってくれる?」
「ハイ」

 即答したゴローに、真希は大きく目を見開いて何度も瞬きをした。人が驚いた時の反応だ。こうなる、とゴローは演算機能で予測できた。主人である真希に心的負担をかけないよう、説明を加えるべきであると計算結果も出ていた。

 だがゴローは、望んでいた。今までに見たことのない真希の姿を見たい、と。

「良いの?」
「ハイ、マキ様。ワタシは、マキ様と暮らしたいデス」

 これが、ハカセの言っていた「あり得ない反応」なのだろう。ゴローはチナツの命を守りたいと考えた時から、あり得ない反応をするロボットになってしまったのだ。

「そっか。ありがとう」

 真希は、今までに見たこともないほど晴れやかな笑顔を浮かべた。

「家族なら、お料理とかも手伝って良いよね。いっぱい教えて欲しいことがあるの」
「ハイ。早急に家族の定義を確定し、文書として提出致しマス」
「はいはい。短めにお願いね」
「短めとは何文字以内デスか?」
「そうね、百文字以内で」
「かしこまりマシタ」

 これから、姉妹にはまだ乗り越えていかなければならないことが幾つも山積みになっている。だが、問題無いとゴローは確信している。

 何故なら、二人にはゴローと、チナツがついているからだ。

「ちなちゃんね、ゴローが連れて行かれた夜なかなか寝てくれなくて、ごはんを食べなくなっちゃってね……」
「今は、問題無いのデスか?」
「うん、まあ……」

 急に歯切れが悪くなった真希に疑問を抱きつつ、ゴローが玄関の扉を開くと。

「ふるるるる、るるなぁーん、るなぁーん!」
「お、落ち着いて、ちなちゃん! もう少しだけ待ってよ、ね? もうちょっとだけ!」
「るあぁあぁあん、るなぁああああん!」

 リビングと廊下を隔てるすりガラスの向こう側で、チナツの尻尾が揺れている。待ちきれずに扉を開いて欲しくて、咲希を困らせているのだろう。

「ただいま戻りマシタ、サキ様。チナツさん」

 ゴローがリビングの扉を開くと、チナツは目をまん丸にして見上げてきた。先程まであんなに騒いでいたのに、ゴロゴロと喉を鳴らしながらピンと尻尾を立てて付け根のところをぷるぷる震わせている。そして、人には聞こえない高音域で鳴いた。

「あ、あれ? ちなちゃん、声が出てない?」
「問題ありマセン、サキ様。これが『サイレントニャー』デス」
「こ、これが! ゴローさん、良いなー!」

 サイレントニャーとは、子猫が親猫に甘える時になど発すると言われている、人には聞こえない鳴き声のこと。そうやって鳴いてくれるのは最上級の甘え方であり、相手のことを親猫だと思って慕っているのだ。

 チナツがせがむ通り抱っこすると、ゴローの肩に顎を乗せて満足そうに喉を鳴らしている。帰って来たのだ、とゴローはチナツといるといつもある、あの温かさを感じていた。

「じゃあ、改めて」

 二人の姉妹が、声を揃えて、

「「おかえり、ゴロー(さん)!」」
「ただいま戻りマシタ」

 ゴローは、戻って来た。自分の望む場所に、自分が望まれる場所に。小さく温かな家族の元へ。

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