AIは猫にとって理想の家族となり得るか?第1話
《初めマシテ、ゴローデス》
毎朝、午前七時に起床。時間外業務すら厭わない主人は直ぐにメールチェックを行い、緊急の案件が無いか確認する。
朝食は軽く焼いたトーストにコーヒー。主人の健康の為にも少しでも野菜を食べて頂きたいが、その進言は「そんな時間無いわよ」の一言で却下される。
しかし、主人の健康管理もワタシ……家事専門AI搭載ロボット、通称ゴローの役目。入念なシミュレーションを重ねた結果、主人に保冷機能を搭載したタンブラーに野菜ジュースを入れてお渡しする事にした。
「行ってらっしゃいマセ、マキ様。こちらをぜひ、昼食の際にお試し下サイ」
「なによ、これ」
「野菜ジュースデス」
「そう。一応持って行くわ」
「ハイ。マキ様の健康管理に役立ちマス」
「……そんなの、サプリで補えるから構わないけど。余計な事はしなくて良いわ」
「畏まりマシタ。余計な事は致しマセン」
「そうして」
主人である柳原真希は腕時計と睨めっこしながらバタバタと会社に向かって行ってしまった。
慌しい主人が出かける間際の騒々しさを嫌う同居者が、「終わった?」と言わんばかりに廊下の角から顔を覗かせる。
零れ落ちそうなほどに大きな、皮を剥いた葡萄のように美しいグリーンの瞳、手入れの行き届いたツヤツヤの毛並み。全体が淡いグレーで、しま模様。尻尾が長くてお腹は白く、お腹にも淡いグレーのしま模様のある、トラ猫だ。
「おはようございます、コネコさん。よくお休みになれマシタか」
「るるるなぁ~」
「ハイ。寝床を整え、トイレの清掃を致しマス」
「るおーん」
「ハイ。本日も、トイレ清掃のチェックをお願い致しマス」
小さなトラ猫の子猫は、ゴローの主人のように細長い尻尾をピンと立てて、当然のような顔付きで先頭に立って歩いて行く。真っ直ぐに向かったのは子猫のトイレで、朝ごはん後の一本が砂に埋もれていた。
「サーチスタート。本日のコネコさんの便は良好。便内に異常無し。尿の色、量、共に正常。問題無し。オールクリア」
ゴローが手際良く手にトイレットペーパーを巻いて便を掴み上げるのを眺め、防臭機能を搭載したゴミ箱へ捨てるところまで見守り、子猫は満足そうにしている。
「本日もチェック頂き、ありがとうございマス」
「なおーん」
「イイエ。おやつの時間にはまだ、一時間四十六分五十一秒はや……」
「くー……」
ゴローが冷静に反論する間にも、子猫は自分用のご飯の器の前で「まだ朝から何も食べて無いの」と言う顔をした。
「イイエ。コネコさんの朝ごはんは既に三時間二十分四十六秒前に完了していマス」
「くー、くー……」
「イイエ。コネコさんの健康管理はワタシの大切な仕事。食事のコントロールは最優先事項デス」
甘えた声で鳴く子猫を引き連れながら、ゴローはテキパキと子猫のベッドを整えてから、洗濯機を回し、主人のベッドの手入れをし、家中の掃除にかかる。その頃には主人から本日のお買い物リストと時には夕食のリクエスト又は夕食の有無が送信されてくる。
一度メールをチェックしようと足を止めると、ちまちまとゴローの後ろを付いて来ていた子猫はゴローの足にぶつかって転んでしまった。
「失礼いたしマシタ。サーチスタート、完了。コネコさんに怪我はありマセン」
その隙に子猫は大好きな埃取りのフワフワに噛み付いて小さな体全身でけりけりし始めてしまった。
「コネコさん、いけマセン。ワタシは、掃除をしているのデス」
「ふるるぉ!」
ゴローの頼みなど聞く耳を持たず、子猫はせっかく集めたゴミを散乱させてしまう。
「コネコさん、清潔な環境はマキ様にもコネコさんにも必要不可欠。清掃の妨害を停止して下サイ」
勿論、猫なので更に聞く耳を持たない。自分がやりたい事をやりたい時に自由にしているだけだ。
掃除が進まないので他の仕事を先に組み立てようとすると、主人である真希からお買い物リストが届いた。先に買い物を済ませるのが一番手っ取り早いようだ。
「マキ様のお買い物リスト、承認」
細かな日用品で足りない物はゴローの方が把握しているので、預かっている家計金額で買い足せるか計算する。
演算モードから三秒で戻ったが、少し目を離した隙に子猫は埃取りのフワフワ部分を器用に外して咥えて、テテテ、と走って行ってしまう。
「コネコさん。いけまセン。それは、埃取りであってコネコさんのオモチャではありまセン」
「ムーゥ!」
これは自分のお気に入りのオモチャだと言わんばかりに咥えて寝床に運び込むと、思う存分ケリケリして遊んだ子猫はフワフワを抱えたままで眠りについてしまった。
「十時二十一分三十二秒、就寝。コネコさんは、三十分の仮眠に入りマシタ。買い物スタート」
最も効率の良い回り方を計算したゴローは、人を傷付けない程度の最高速度で家からスーパーまで向かう。
スーパーの店員は全てロボットなので、客の求める物を直ぐに把握し、案内してくれる機能がある。
人にとっては広い店内を探し回らなくて済む便利な機能だが、ゴローには必要無い。
自身のAIに搭載された機能であり、更にカスタマイズされて買い物リストを効率良く回る方法の計算と、現在の最安値情報を瞬時に探り当てることができる。
素晴らしい速さで買い物を終え、戻った時間ピッタリに洗濯が終了予定。洗濯物を干しながら夕飯の仕込みにかかり、人間で言う所の昼食のような充電時間に入る。今日も滞り無く午前のタスクが完了予定。
だが、家に帰りついたゴローの計算は全て崩壊した。ついでに家の中も小規模の崩壊を起こしていた。
「廊下にトイレットペーパー。原因を」
究明するまでも無い。慌しい朝の支度を整えた主人がトイレに行った後、時折扉の閉め方が甘くて小さな子猫でも容易に開けられてしまうのだ。
早速トイレットペーパーに飛びついた子猫が、引いても引いても出て来る白いヒラヒラした物に夢中になり、すっかり一ロール出し切ると、今度は散乱したペーパーの中で一匹大格闘。
そして廊下にまで拡散し、現在に至る。
「うなー」
悪い事をした自覚の無い子猫は、おやつの時間ピッタリに台所をウロウロし始めた。
「ハイ。おやつの時間デス」
子猫がお皿に乗せたゴロー手作りのおやつに夢中になっている間に、手早く買い物した物を片付け、廊下を片付けて、洗濯物を干した。充電時間まで残り五分と迫った時、何時もなら余裕で終わる午前中のタスクがギリギリで終了する。
「るるなーお」
「ハイ。おやつの皿を洗ってから、充電に入りマス」
子猫はゴローが皿洗いを済ませて充電に入ると、お気に入りのクッションでスヤスヤ眠りに落ちた。
充電は人で言う所の食事と睡眠のようなもの。ついでに、ゴローの機能状態を最高責任者である開発者の葉加瀬小太郎博士が確認出来る。
『オイ、ゴロー。聞こえるか?』
「ハイ、ハカセ。聴覚機能は正常デス」
『おう。このリクエスト機能だけどな? 何だ、こりゃ。猫語翻訳機能って』
「ハイ。コネコさんの為に必要なのデス」
『コレ作れたら、俺はもう一個ノーベル賞が取れるなぁ』
「不可能デスか」
『論理的には可能だな。でも、実証が出来ないから、お前に付けてはやれない』
「かしこまりマシタ。引き続き行動パターンの分析より推測致しマス」
二人の会話はゴローの通話機能を通してのものだが、ハカセの手元からは忙しなくキーボードを叩く音が聞こえてくる。
『お前のとこの美人は猫なんて飼ってたっけ?』
「イイエ。ワタシがマキ様の家庭用ロボとしてレンタルされた時には、コネコさんは存在しておりませんデシタ」
『動物好きでも無さそうだったのに、どうしちまったんだ?』
「ハイ。昨日六時四十六分三十二秒にマキ様のお母様が置いて行かれマシタ」
『じゃ、一時預かりか』
「ハイ。ちょっと預かってと仰っておりマシタ」
『生き物は専門外だが、猫ってのは簡単に預けたり出来るもんなのか?』
ゴローは充電しつつも情報収集を行った。
「イイエ、博士。猫、正しくはイエネコ、学名「Felis catus(フェリス カトゥス)」哺乳類の一種であり、動物界において捕食者としての地位を持つ食肉目に属する生物。その特徴は、柔軟でしなやかな体、優れた狩猟能力、そして洗練された社会性デス。猫は、長い進化の歴史を通じて、人間の生活においても密接な関係を築いてきマシタ。その鋭い感覚器と巧みな運動能力により、猫は独立性と優雅さを同時に示しマス。その神秘的な性格と独特の行動パターンは、多くの人々に永遠の魅力を与える一方、科学的な研究や行動学の分野で未解決の問題を提起し続けてイマス。猫は環境の変化を嫌いマス。預けるよりもペットシッターを雇い、環境を変えない事が適切デス」
『……そうか。オイ、何か困ったら直ぐ連絡しろ。メンテナンス時間外でも構わないからな』
「ハイ。ありがとうございマス、ハカセ」
毎日の定期交信が終了すると同時に充電も完了する。ハカセは他のロボの定期交信に忙しい筈だが再度連絡が繋がった。
「ハカセ。本日の定期交信は終了……」
『ゴロー。今直ぐ、主人と連絡を取れ。その猫の飼い主は、海外に飛んでいる上に、その国で永住権の申請をしているぞ。日本に帰る気が無いんじゃないか』
「ハイ。マキ様に報告致しマス」
ハカセの忠告通りに何よりも最優先に真希へと連絡を取ろうとしたが、いっこうに繋がらない。その上、こちらの呼びかけなど無かったかのように、
「今日の夕飯はキャンセルして。私は帰宅が遅くなる」
とだけメールが届いた。直接報告した方が良い案件と理解していたが、仕方なくゴローもメールを返す。
「畏まりマシタ。マキ様、一つ報告がございマス。コネコさんを預けていったマキ様のお母様は海外で永住権を申請中との情報が入りマシタ。お母様と連絡を取った方が良いと、ハカセが進言されていマス。如何致しマスか?」
それは家族が永久に違う国の住人になる、と言う大事である筈だった。だが、真希からの返信は幾ら待っても返って来なかった。
「ミューン」
「……コネコさんの夕食の時間デス」
カラカラ、と子猫の為に急遽用意した小さな器にカリカリをピッタリ計量して入れると直ぐに子猫は、一粒一粒丁寧に噛みしめて食べている。
それ以外の音は存在しなかった。ゴローは夕飯の為に買ってきた食材で翌日にも食べられるように作り置きのおかずを作り、主人が不在でもベッドを整えながら主人の帰りを待ち続けた。
だが、真希はとうとうその日の内には戻らず、ゴローが充電に入って三時間後に帰って眠りに付いたようだった。
第2話《不可能な命令》
第3話《不思議な仕事》
第4話《モノタリナイ?》
第5話《本当に大切なこと》
第6話《天才達の日常》
第7話《素敵なプレゼント》
第8話《悪夢の襲来》
第9話《チナツさんに緊急事態発生》
第10話《天才という生き物》
第11話《ゴロー、SNSデビュー》
第12話《怒涛の3日間》
第13話《1日目》
第14話《2日目》
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