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AIは猫にとって理想の家族となり得るか?第9話

《チナツさんに緊急事態発生》


 真希の母が突然訪ねて来てから一ヶ月程、ゴローは常にセキュリティを強化して周辺の警戒を怠らなかった。

 ゴローは家庭用ロボなので警備ロボ程の性能では無いが、一人暮らしの女性に仕える為に必要な能力であると判断。一般に流通している家庭用ロボよりはセキュリティ面に強くなるようメンテナンス時にカスタマイズして貰っていたのだ。

 その緊張感がチナツにも伝わっているのか、チナツも毎日のパトロール(勿論、室内のみだが)に熱が入る。

 各部屋の匂いを丹念に嗅ぎ回り、お気に入りの場所に設置されたガリガリウォールで張り切って爪をとぐ。

 チナツは何かの上に乗ってとぐよりも、壁の出来るだけ高いところでとぐことを好むので、ゴローは壁に対して垂直に置く事の出来る爪とぎもチナツに与えていた。

 爪とぎは猫にとって狩りの準備運動の一つであるが、縄張りの主張でもある。人間の掌に当たる場所に俗称・肉球があり、そこには強い臭腺がある。匂いを付けることで、ここは自分の縄張りであると主張するのだ。又、気分転換や自己アピールの為にすることもある。

 猫と暮らす人々は、爪とぎによって家具や壁、床、襖がボロボロになることを懸念し、様々な対策をこらす。

 ゴローも主人である真希から部屋を借りている身の上なので、その点は細心の注意を払うべきであると、室内中をスキャンして猫が好みそうな爪とぎスポット全てに爪とぎ防止シートを貼り、早急に爪とぎを手配してチナツに慣れて貰おうと考えた。

 様々な状況をシミュレーションし、百七十五通りのパターンを想定していたが、結論から言うとその全ては無駄だった。

 チナツは猫として大変な優等生であり、用意された爪とぎで楽しそうにバリバリ爪をといで満足する、大変優秀な個体だった。

 真希が気に入っている藤製の椅子は、座る部分が編み込みになっていてそれはもう猫の本能をそそられる物だと思うが、お気に入りのクッションが乗っている時に飛び乗って昼寝をするだけだ。

 ゴローは爪とぎ防止対策が全て必要無いと一週間で判断し、全ての爪とぎ防止シートを撤去した。

「本日も問題ありマセン。セキュリティモード解除」
「るるなーん!」

 チナツもセキュリティモードを解除し、ゴローの足にすり寄った。小さな体だが、人やロボットにすり寄る力は意外と強い。

 寝起きにすり寄られた真希は、「ふぐ、ふご」と不明な音声を発しながら頭をぐらぐらさせるので、なかなかの力である。

 特に、ゴローへのすり寄りは念入りで、ゴローの匂いを嗅ぎながら何度も頭をこすりつけ……。

「……ハゲが」

 チナツの頭頂部に、一センチほどのハゲを発見。猫のハゲが発生する原因としてストレスによる過剰なグルーミングが挙げられるが、頭頂部をグルーミングすることは出来ない。

 考えられる原因は、皮膚糸状菌症、アレルギー性皮膚炎、日光過敏症、ストレスによるもの。過剰に痒がる様子や、患部が赤くなるなどの症状は見られないが、ゴローは即時病院に相談する決断をした。

「本日のスケジュール変更。最優先事項、チナツさんの病院デス」
「うる……」

 不穏な気配を感じ取ったのか、チナツはこそこそと自分の一番安心出来る所に隠れてしまった。

 安心出来る場所として、部屋に常時置かれているキャリーケースも含まれており、チナツは見事にそこに入ってくれた。

「チナツさん、素晴らしい判断デス。その行動は、チナツさんにとって最適デス」

 ゴローは直ぐにキャリーケースの扉を閉めた。

「るなー! るなーぁああああ!」
「ハイ。本日のスケジュールは即時、動物病院に向かうことデス」

 ゴローはテキパキとチナツの通院用道具一式……財布、診察券、ペットシート、小さいビニール袋、ご褒美用おやつ、ミニボトルの水を入れたミニショルダーを肩にかけ、真希に報告をする。

 病院に連絡し、この世の終わりのように絶望の声を上げるチナツを入れたキャリーケースを持って病院に向かった。

「るおー! るおーん! もにゅもにゅもにゅ……」

 チナツは不機嫌になると爪を念入りに手入れするクセがある。病院に行くなど強いストレスを感じた時には、鳴きながら爪を手入れするので妙なくぐもった鳴き声になる。

 ブチブチと力一杯爪の手入れをする音がするが、ゴローが声をかけると更にチナツが鳴き声を強めてしまうので、静かに接するのが得策だ。

 病院に着くと、幸いにも今日はそれほど混み合っていないようだ。診察券を出して待っていると、三十分程で順番が回って来た。

 この病院には常時三名の獣医が在籍しており、担当が変わることもあるようだが、前回健康診断をして貰った獣医師が担当してくれた。

「はい、こんにちはー。チナツちゃんですね。頭にハゲが出来てしまったと」
「ハイ。緊急事態と判断しマシタ。診察をお願い致しマス」
「はい、それでは体重を量らせて頂きま……」
「チナツさんの体重は三・五キロジャスト、体温は三十八・二度、緊張により心拍数の増加が見られマス」
「はい。ありがとうございます」

 ゴローは自身に備わった機能で即、チナツの基本データを取ることが出来るので、そのまま獣医師に伝えた。体温計を手に持った獣医師だったが直ぐに戻して、

「ウチにもゴローさんが一人居て欲しい」

 などと呟いた。

「イイエ、先生。ワタシはロボットデス。個数単位は、一体となりマス」
「あ、聞こえちゃいました? いやー、便利だと思って。体重は乗せれば済みますけど、体温計はお尻に刺すので嫌がる子が多いもので」
「猫さん用の高性能非接触体温計をハカセに頼みマスか?」
「いやいやいや! OWB様にそんなお願いしたら何が起こるか!」

 ハカセが子猫を拾った際に、この病院で診て貰ったようだ。

 動物病院は誰か逮捕されるのかと見紛う程のパトカーと、存在は知っていたが、実物は見たことも無い妙に長い車体の高級車に取り囲まれ、厳ついSPを一個小隊ぞろぞろ引き連れたハカセがキャリーに入れた子猫を掲げて、

「こいつ看てくんない?」

 と気軽に問いかけてきたのだ。受付にいた看護師はSP集団に戦いてろくに受付も出来なかった為、獣医師が出て対応したらしい。まだ若いが、彼がこの病院の院長であるようだ。

「……と言うわけで、葉加瀬さんの所の小次郎くんは、こちらから往診に行くように変更されまして、行けば行ったで、あちらにはウチで使っている機材をそっくりそのまま準備されたりしますし……アハハ」

 その話だけでも、すでに数千万単位でお金が動いている、と獣医師はやや遠くを見つめてゲッソリしていた。ゲッソリしつつも、チナツの診察を手早く行ってくれる。

「どれどれ、ここがハゲの部分ですか……」

 チナツは、診察に緊張しつつも優しい対応をしてくれる獣医を、もう警戒しなくなっていた。それどころか、先生の顔にすりすりしていた。

「チナツちゃんは人懐こいですねぇ。家でもよく、すりすりしてますか?」
「ハイ。マキ様にも、ワタシにも、玄関側の角にもよくスリスリされマス。ワタシへのスリスリ、は何度もやり直しをされマス」

 ゴローの足に、顔に、スリスリしては匂いを嗅いで納得いかないとばかりに何度も何度もスリスリしているのを毎日目撃していた。

「なるほど」

 先生の所見としては、ゴローの挙げた懸念事項である皮膚炎などの心配は全く無いと言う。

「どうもすりすりし過ぎて薄くなってしまったようなのですが……」

 先生はふと、呟くように尋ねてきた。

「あれ、もしかして家事専門ロボットって消臭機能が付いてますか?」
「ハイ。自動消臭機能が搭載されておりマス。ボディの汚れは付きにくい素材デスが、人と暮らすロボットには基本搭載される機能デス」
「それだ。ゴローさんに付けた匂いが消えてしまうから、チナツちゃんは過剰にすりすりしてハゲが出来てしまうんですよ!」
「理解シマシタ。ハカセ、至急回答願いマス」
『なんだー?』

 気楽に即返事をするハカセの音声に、すっかり慣れた様子の先生は診察に飽きてきたチナツをあやしてくれている。抱っこも大好きなチナツが気軽に先生の肩に乗り上がり、抱っこして貰っているようだ。

 ゴローはチナツの頭頂部に発生したハゲの原因が搭載された消臭機能によるものであると手短に伝え、

「以上を踏まえ、ワタシの消臭機能を人が気にならない程度に抑える事は可能デスか?」
『高度な調整をサラッと言うなー』
「不可能デスか」
『不可能なんて俺が言う訳無いだろ。ちょっと……九十秒待ってろ』
「ハカセ。七百四十三万二千二十四秒前と異なる「ちょっと」デス。ちょっと、とは調整可能な時間単位デスか」
『あー、そうだよ! ちょっと待ってろや!』
「畏まりマシタ。三秒から九十秒の間待機」

 ハカセは本当に、九十秒以内でゴローの消臭機能を書き換えた。

『よし、猫の臭覚機能に合わせたレベルに変更したぞ。これなら、チナツちゃんも満足するだろう』
「ありがとうございマス、ハカセ」
『おうよ。礼は小次郎のおやつで手を打つぜ』
「ハイ。チナツさんの好きなおやつを送りマス」

 話が終わると、チナツは先生からゴローの方へ診察台から身を乗り出してきた。

「うるなーお」
「ハイ、診察は終了しマシタ。会計を済ませ、帰宅シマス。先生、ありがとうございマシタ」
「いえいえ。また心配なことがあれば来て下さいね」
「ハイ」

 チナツはゴローの顎部分にスリスリしている。匂いを嗅いで満足したらしく、何時もよりスリスリの回数が減った。

 ゴローの肩に顎を乗せて、ゴロゴロと喉を鳴らして満足そうだ。

 初めてゴロゴロをされた時には、聞いた事も無い重低音に小さな体からの途轍もない振動を感じ、病気かも知れないと検索機能をフル活用してしまったが、今は分かっている。これは、安心とリラックスの合図なのだ。

「チナツさん、家に帰りマス。身体機能に異常は無い、との所見デス」
「るるる!」

 帰るとなるとチナツは再度すんなりとキャリーに入り、ちょこんと座って大人しくなった。

「本当に良い子ですね」
「ハイ。チナツさんは大変賢く、慎重で用心深いデス。自宅の警備にも勤勉デス。ワタシの統計によると、チナツさんは世界で一、二を争う程の素晴らしい猫さんなのデス」
「そ、そうですか」

 何故か、先生は口をもぐもぐさせながら笑顔で送り出してくれた。


 チナツと共に無事帰宅したゴローは知らない。動物病院の先生方と看護師達が「ロボットにも親バカは存在する!」と微笑ましい噂になっているのを……。

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