「不登校にならないあなたはいい子だね」

どうも~千夏です。
今回は、何度も同じこと書いてるようで、書くか迷いますが、不登校についての話です。
昨日見た「不登校」がテーマのウワサの保護者会を見て突然書きたくなりました。

自分は不登校になったことはありません。
周りにはいて、ドロップアウト(転学・退学)した子を何人も知っている、程度です。

不登校にならなかったのは皆勤を取らなければならないという思いが強かったこと、
比較的体が強かったことの2点だと思います。

↑追記
元気だと報告したい相手がたくさんいたから、
かもしれません


友達とはうまくいかず、何度も生きることすらやめたくてもどうしても登校をやめることはできませんでした。


皆勤をとらないとだめだという思い込みが強く、
もし行きたくないという自分の気持ちに従ったらもうずっと行けなくなる、そんな気がしたのです。
皆勤をとらないといけないなんてこと本当はないのかもしれませんが、自分はそうしなければならないと刷り込まれていました。
「登校をやめたら人じゃなくなる」
「人として認めてもらえなくなる」
「でも行ってもどうせなんにもできないし、迷惑かけに学校行ってるようなもんだよなぁ」
のループ。
(しかし一度も皆勤賞をとれたことはない。
多くても休むのは年に七日間くらいだったが)


自分の意志がなかっただけかもしれませんがね。

単に勉強が嫌いだとか、友達とうまく行かないだとかそんなことではあったのですが重なるとそういうちょっとしたことでも行くのがつらくなります。

登校は行ってきますと作り笑顔で挨拶し仏頂面で歩くところから始まります。

教室に入るのが怖くていつもギリギリまで違う場所に避難してました。
教室移動ができず、朝礼で声を出すのがギリギリで、授業は集中できなくて、また教室移動ができず迷子になり、テストはボロボロで休み時間はトイレに逃げるか図書館に逃げるかして、追試やら補習やらを受けて、
部活は入りたての部員より実力がなく頼りのない先輩としてなんとか部活に行っていました。
(↑そしてちょくちょく問題を起こす)
いつも泣きながら帰りました。
なるべく人に会わない道を選び、
逃げるように読書をして帰って、イヤイヤ課題をやったり、テレビに依存したりしていました。
課題や勉強中の考え事がやめられなくて、いつも泣きながらやってました。


何しに行ってたんだろ()



寝られなくなったり、過呼吸になることが増えたり、自分を傷つけることでしか自分を守れなくなったり、いつもギリギリの状態で学校に行っていました。
一度だけ朝礼中倒れたこともあります。
仮病ではないものの、腹痛や頭痛で保健室にちょくちょく行っていたので保健室の先生に対してはすごく気まずい思いをしていました。

そんな時母が言った、タイトルにある言葉が忘れられません。

自分は問題児でした。
空気は読めなくて部活の空気を乱したり(それが原因で部活の時間を潰してしまったこともある)、提出物の管理はできず、グループ学習では泣きわめいたり話が噛み合わなかったりで周りを怒らせ泣かせ、習い事でも泣きわめいて先生と母を困らせました。
成績も学年で下から5番目くらいでした。
しかも、今より臆病だったので人に助けを求めることが下手で頼るか、まったく人の手を借りないかの二択しかなかったのです。

うまくいかないことの連続で読書をするために学校にいっていました。
図書館に行けば新しい本が読めます。
通学時間に本を読めます。

ただそれだけを目的に通った3年間はとてもつまらなかったです。
しかし問題児の自分にとって出席は親を喜ばせる唯一の方法だったのです。

不登校にならないことだけで親に認めてもらおうとした自分にとっていい子と言われると複雑な気持ちでした。

問題児の自分が登校せずに問題を起こさない人より良い子なはずがないと思っていたからです。


行くことによって問題を起こすから行きたくない、
だけど行かなかったらもうまったく認められなくなるだけなのだと思っていました。

ウワサの保護者会では行くことを良いことだと捉えるのをやめるべきかという話がありました。

行けてよかったねと肯定しすぎると行けなかった日にプレッシャーになるというのです。

それは不登校でなかった自分も同じでした。
行けてたんだからいいじゃんと言われればそれまでですけれど登校していたってギリギリだという人もいます。

自分よりもっと優秀で性格も良い子だったのに学年に馴染めず不登校になった後輩、
自分にとって憧れだったけれどある時心を病んで部員と一切連絡を絶ってしまった先輩、
スポーツも勉強もでき、ある特技で多くの評価を受けていましたが、
体調不良でドロップアウトした同級生。

その人たちを見てきてなんで学校だけが居場所でなくてはいけないんだろうと思いました。


良い子、悪い子という2つの基準も怖いし、
登校していた自分にとって余計に我慢しなければいけないのだという思い込みが強くなる言葉でした。

一度だけ父に言われた(のか思い込みなのか、わすれてしまいましたが)言葉
「学校に行かなければ人じゃない」
「精神科に行ったら人じゃない」


タイトルにある言葉はその言葉よりなぜか辛かったです。

どうかプレッシャーを与えないで…

これは過去の自分がその時言えなかった思いを書いた記事です。

消極的登校を続けた自分は卒業した今でもこの過去と闘い続けている気がします。 


追い詰めすぎないで頑張れるのは過去に追い詰めすぎたからです。

最近課題が多いので投稿頻度減りますがまた投稿します。