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原発について友達と一緒に考えたいと悩み続けていた自分が馬鹿馬鹿しくなったclubhouseでの話


2011年3月11日

「原発」その二文字を聞いて何を思い浮かべるだろうか。
多くの人が東日本大震災の福島第一原発事故を想像するのかもしれない。

2011年3月11日当時小学校5年生だった私は、テレビの前に映る津波の映像に恐怖を感じた。
それだけじゃない。福島第一原発が水素爆発した映像は信じられないほど衝撃的だった。あれから10年が経とうとしている。
あっという間に感じるのか、長かったと感じるのか人それぞれだと思う。

原発と私

なぜ私が原発に興味を持ち、継続的に学ぼうとしているのか正直最初はわからなかった。しかし考えてみると3.11のあの日、次は私たちの命が奪われるかもしれないという危機感を子供ながらに感じていたことが紛れもない真実だと思う。


私の出身地である静岡には浜岡原発がある。昔から東海地震説があり、日頃から地震というものに対して意識せざるを得ない生活を送っていたように思う。年に数回地区の防災訓練があったり、学校には地震体験車がくる。何気ない生活の中で小さい頃から災害というものを身近に感じていた。
そう考えるとやはり東日本大地震で感じた恐怖の存在は、次は私たちの命が狙われるのかもというイメージを蒸発させたように思う。
だからこそ私は原発とは何なのか、少しでも知識を得るために本を読んだり記事を読んだりしてここ数年向き合ってきた。

福島での出会い


昨年は実際に何回か福島に行き、住民や記者の話、事故を起こした側の東京電力の話も聞いた。

しかし私は原発問題の複雑さに頭を抱えた。聞けば聞くほど、学べば学ぶほど分からなくなるのだ。
最初は原発が人々の当たり前の生活を奪ったものといういわば住民目線から理解しようと試みた。ある日突然今までの日常が奪われた人々の生の声は聞いているだけでも心がムシャクシャした。

福島で出会った人の多くが事故前まで原発校内で働いていた人たちだった。
現在はいわきのタクシー運転手をするおじさんは震災前から今までの話を丁寧に教えてくれたがそれ以上に懐かしそうに話す思い出話が忘れられない。
「さくら並木で同僚と一緒にお酒飲んだの楽しかったなぁ。毎年一人は運転手だから酒が飲めないんべ。」笑顔で語ってくれた。
何気ない日常を切り取った思い出が今のその人の人生の支えになっていると感じた瞬間だ。
特別な日が奪われたのではなく、つい昨日まで当たり前にあった風景や人が一瞬にして奪われたのだ。

だからこそ私はこの原発問題をみんなで話すべきことだと思った。
当たり前に過ごしていた中学校のグランドが見えない放射能によって、足を踏み入れることさえできなくなったら同級生のみんなは何を思うだろうか、そんなことも考えたりした。 

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ずっと友達と話したかった原発

私は原発を知れば知るほど、同年代の友達と一緒に考えたいと思うようになった。なぜならこの問題は私一人では消化できないほど難しい問題だったからだ。しかし話すことはない、日常で原発なんて話せないそう思っていた、昨日までは。

clubhouseが生んだ奇跡

昨日の22時半からclubhouseをやった。
その際に参加していた二人の友人にブログネタを募集した。そしたらそのうちの一人が「社会問題を扱ってほしい」と言ったのだ。正直、驚いた。普段その人達との話の中で、社会問題など話したことがなかったからだ。当たり前だが、今までは高校時代の話や今の恋愛話ばかりで、社会問題のしゃの字も出なかった。
続けて言った「あまり社会問題を言う人周りにいないから、教えてほしい」と。

嬉しかったし、絶好のチャンスだと感じた。
そこで私は恐る恐る「原発」の話を出した。

「原発どう思う?」と尋ねると「地震が起きたら、怖いって思ってる感じかな」そう言った。
二人の本音が聞けて心底嬉しかった。

私は様々な社会問題に対して、どれだけ自分の本音で話せるかが大事だと思っている。

「知らない」「わからない」大事なことだと思う。
「どうでもいい」そう思ってしまいかねないことにも「わからないから教えて」そう言った瞬間にもう一歩踏み込んでるのだ。

その後私は東日本大震災での福島原発によって人々の生活がどうなったのか話した。住民の人の話を踏まえて口下手なりに丁寧にわかりやすく話すことを心がけた。
二人は私の話に頷きながら耳を傾けてくれた。
その時「わからない」けど「今ここで知ろう」として何かこれを機に原発に興味を持ってみようかなときっかけを掴もうとしている姿を垣間見た。

昨日のこと、本当に感動するくらい嬉しかった。仲の良い友達と原発を話す機会がくると思っていなかったからだ。

二人はどう思っていたのだろうか。
clubhouseを終えてアドレナリンが出まくっていたせいか、考えはじめたらなかなか寝れなかった。

私の一人語りになっていたかもしれない。それは申しわけなく思うが、少なからず二人はその時間出身県がかかえる原発というものについて考えてくれていたに違いない。

私の言葉を噛み締めるよに
「知らなかった、原発ってこうなんだ。」
「定期的にこうやって社会問題話したいね」
そう言ったのだ。
素直に嬉しかった。自分自身が今まで心で思っていたことを代弁してくれた一言に魂が揺さぶられた。

社会問題を同年代かつ出会いが普通の地元の友達という関係性のでなかなか語る機会はなかった。
ましては原発事故を直接経験した被害者ではない私たちが。

しかしながら今回こうやって腹を括って話したら、社会問題について話せるのだ。いや、嘘偽りなく話せたのだ。

社会問題という硬い括りにはしたくないから、私たちの明るい将来の話と言い換えることにしよう。

私たちの明るい将来に向かって

原発を考えることは一人一人の生活を考え直すことに繋がる。

原発事故が奪ったのは当たり前の私たちの日常だ。
特別な物ではない。当たり前にあった生活を一瞬にして放射能という目に見えないモノに怯えることになったのだ。

だからこそいつ起きてもおかしくない震災や原発事故を改めてこのような形で話すことの大切さを感じた。今こうして話してる二人の当たり前の日常がある日突然奪われる姿を私は望んでいないし、きっと彼女達も望んでいない。

その数十分前地震が起こり私たちはclubhouseをしながら声を掛け合って不安を乗り越えた。
数分間、地震だと気づいてから私たちは
「大丈夫か」と声をかけあった。
一人暮らしの私には本当に心強かったし、それと同時に震災を一人で経験することの怖さを感じた。
しかし昨日の一連の出来事を踏まえ、あらゆることに一人で乗り越えよう、一人で考えようとすることは限界だし、もうやめようと思った。

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一人で考える1時間より誰かと話す10分を大切にしたい

私は今まで原発をどう同年代の友人に考えてもらうのか考えてきた。本を読むたびに思考がぐちゃぐちゃになる原発問題を考えることは正直キャパーオーバーだと思うこともあるし、実際に今もある。
原発の影響を調べると最終的にたどり着くのは原子炉の構造がどうとか、どんどん難しくなる。
もちろん原発を深く知る上では大切なことだし、私は時間をかけてでもその構造理解までしっかり辿り着きたいと思う。
しかし全ての人がその構造を理解せずとも、大事なこと、つまり原発があることで私たちの生活がどう成り立っているのか、一方でなくなるとすればどうなるのか。電力を補う自然エネルギーは安定に供給できないからと安易に原発に頼る道をまた選んでしまっていいのだろうか、一人一人が考えなければならない。


いつ私たちの命がなくなってしまうのか大切な誰かの守れるはずの命が守れなくなったと考えると体が震える。考えれば考えるほど誰かと話したい、そう思ってきたが今までは話せなかった。周りに原発の話をしてる人はいないし、話したいと思ってる人もいないと思ったからだ。

だからこそ私は知るきっかけをどうにか拙い言葉を使って作りたいと思った。

しかしそう思う私の悩みは無駄だったようだ。
いとも簡単に原発の話をできたのだ。

私が複雑な原発を無理にわかりやすくしようとせずとも、友人と同じ目線にたって一から原発とは何なのかを考えたことで私はさらに原発問題に考えられたように思う。


馬鹿馬鹿しくなった。
「原発の話を友人としたいと思っていた私が、原発を調べれば調べるほど原発がわからなくなった話」というタイトルでブログを書こうとしていたことに。

もうそんな考えるだけのことはやめて、来週も再来週も友人と明るい将来への話を語り尽くそうと思う。

話したテーマがたまたま原発だっただけ
友人よ、次は何を語ろうか

昨日話したテーマはたまたま「原発」だっただけだ。
来週は高校時代の懐かしい思い出話を語るかもしれない。
再来週は最近起こった面白い世間話かもしれない。
その次の週は政治の話をするかもしれない。

わからないけど少しでもいろんな話をして、共有して、不安を吐いて、人と人の繋がりが何気ない会話から生まれていることをその都度感じられたらいいなと思う。

仲の良い友人であり社会を支えていく仲間でもある私たちが語るべき話は盛り沢山だ。

フレコンバックの黒い袋が積み重なっている震災10年を迎える福島の風景と同じくらいに。


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