紙ストロー導入がもたらす、環境問題への意識の変化について考える
つい先日、マクドナルドで紙ストローが導入された。またスタバでは一昨年から紙ストローの使用をはじめているのは既に知られている。
正直なところ、紙ストロー導入については賛否がある。
その中でも紙ストローは使用する上でふやける、食味に影響が出てしまうなど、負の部分が強調されている。
さらに紙ストローの効果については(プラスチック削減という面において)、プラスチック全体に占める割合が少ないことから少ないことが指摘されてもいる。
それでもなお、紙ストローは普及し続けている。
紙ストローは効果がないのか
そもそも紙ストローはなぜできたのか、想像してみた。多分、紙ストロー発案者は身の回りのプラスチック製品の多さやプラスチック問題(石油、マイクロプラスチック…)を解消するための手始めとして紙ストローを発案したのではないかと思う。
(つまり、紙ストローは問題解決のための手段)
この一連の流れ自体、引っかかる箇所はないだろう。
プラスチック削減に少しでも貢献できること、消費者が身の回りのプラスチックについて一考するきっかけになりうることなど。紙ストローそれ自体はあらゆるポジティブな可能性に溢れているのではないだろうか。
賛同者の思考停止
紙ストローに対して批判が集まり始めたのは2020年、スターバックスが紙ストローを段階的に導入し始めた頃からだと体感している。
問題の根幹にあるのは、一部の紙ストロー賛同者の中に「紙ストローを使えば環境問題解決に繋がる」と一元的に考えている人がいるということではないか。
また、紙ストローが「利用されている」場合もある。「紙ストローを使うことで個人や企業のイメージアップに繋がる」つまりグリーンウォッシュが潜んでいることがあると感じる。
これは「SDGs」バッジに繋がところがあると考えている。厄介なのは信念を持って活動に取り組む者の中に「ウォッシャー」(勝手に造語。〇〇ウォッシュする人の意)が隠れてしまうことだ。また、「ウォッシャー」自身にその自覚がない場合も考えうる。
「なぜ、紙ストローなのか」「なぜ、SDGsが大切なのか」の思考を怠ることが反感を買うことに繋がっているように思う。
反対者の思考停止
前述の通り、紙ストローそれ自体には抱えている問題が多い。私自身、本当に意味があるのか疑問を抱いている。
ただ、そこで紙ストローを切り捨ててしまうのはあまりに単純ではないだろうか。
もちろん、プラスチック削減という点に関しては議論があるが、「マイクロプラスチック問題」に関してはどうだろうか。「消費者の意識改革」という視点ではどうだろうか。多様な視点で見た上で反対しているのか。気になるところである。
また、紙ストロー賛同者の中に「信念を持って活動する人」がいることを想定せず、その人々への配慮を欠いていることも懸念している。
総じて、この紙ストローの向かう目的や意味意義を無視しているのではないか。
先程の「SDGsウォッシュ」の話に戻るが、 あらゆる社会活動を利用して自身や自社のイメージアップを狙う人々は残念ながら存在する。そんな中、その表面だけの活動に対して指摘が出るのは当たり前であり、良いことだと思っている(「紙ストローを導入しているのにビニール袋を使っているのは矛盾している」など)。
ただ、現実は複雑さを孕む。物事の一つの側面だけで全てを評価するのではなく様々な可能性について検討をする必要があるのではないか。
物事の背景を考える大切さ
思うに、この社会は起きたことを一つずつ丁寧に解いていけるほど物事の量は少なくはないし、時間をかけられるほどの余裕はない。
でも、それを理由に思考を怠ったまま取捨選択をするとあらゆる矛盾や不都合が残ってしまうのではないかと思う。
(政治、教育、その他…)
本当に、今の世の中はモヤモヤが身近な、あらゆる場所に転がっている。
ただ、今、日々若い人たちと接する中でこのモヤモヤが怒りや原動力になる人は決して多くないことを実感した。それでも、今少し立ち止まって物事をあらゆる視点で考える人が多くなると嬉しい。
自戒を込めて。
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