見出し画像

キリスト教について(3)

キリスト教について(1)の記事で、
「愛する」と言うことを信じるのではなく、
キリスト教徒が、ナザレのイエスを信じるようになったかを
歴史的考察から考えてみたいと思います。

ナザレのイエスは生前、12人の使徒(弟子)が居ましたと、
ルカ文書(ルカ福音書と使徒言行録)には書かれています。
しかし、ギリシャ語聖典に書かれているのは
「ἀπόστολος」 で、「遣わされた者」と言う意味になり、
使者とか使節と訳すのが正確と思われます。
この単語が、複数形を含めて書かれているのは
マルコ福音書
マタイ福音書
ルカ福音書
 使徒言行録
 パウロ書簡
 ヘブライ書
 ペトロ書
 ユダ書
ヨハネ黙示録 になります。
しかし、マルコ福音書とマタイ福音書とヘブライ書では文脈から、
「使者」と訳すのが順当と思われますが、その他の聖書では
おそらく、権威ある称号のようなものとして
「使徒」として使われています。
まぁ、理由は簡単ですね、書かれた時代が後になるほど、
弟子に威厳を付けたくて、「使徒」と言う称号に訳されたのでしょう。
ルカ福音書より15年ほど後、紀元後85年までに成立したマタイ福音書が
「使者」として書かれているのは、
マルコによる福音書とイエスの言葉資料(語録)を
下書きにして書かれているからと考えるのが普通だと思います。
そして、ルカ福音書とヨハネ黙示録以外では
人数を12人と限定していません。
そのルカ福音書とヨハネ黙示録でも使徒(弟子)が異なっています。
こうなってくると、当時の弟子たちの布教の内容すら違いが現れます。
あぁ、困った。

新世紀エヴァンゲリオンの影響で「使徒」が有名になっていますが、
ナザレのイエスの直属の弟子(使徒)は一体、何人いて、
誰と誰が布教に歩き回ったのか?

それについて考察するためには、
ナザレのイエスが生きた時代を知る必要があると思います。

紀元前140年から続いたローマにより自治区として認められていた
ユダヤ人王国、ハスモン朝の王、アリストブロスⅡ世の子、
アンティゴノスが紀元前37年に斬首され、ユダヤ人王国は消滅し、
ユダヤ人ではない、エドム人系のヘロデ王がローマより
ユダヤ属州の統治を任されるようになり、
紀元後93年頃までヘロデ朝が続く。
ヘロデ王は紀元前4年頃、亡くなりその後は3人の子供が
ユダヤの地を分割統治していた。
ヘロデとサマリア人のマルタケの息子、ヘロデ・アルケラオスは
中心地区となるユダヤ、エドムおよびサマリアを支配し、
紀元後6年まで統治したが失政を重ねたため追放され、
この地はローマの直轄地となった。
ヘロデとヘロデの5番目の妻クレオパトラの息子、ヘロデ・フィリッポスは
北東部分を紀元後34年に亡くなるまで統治し、
死後その地はシリア属州に編入された。
ヘロデとマルタケの息子、アルケラオスの弟、ヘロデ・アンティパスは
ガリラヤとペレアを統治したが、紀元後39年に追放され、
ヘロデ大王の孫、アグリッパ1世により統治され、紀元後41年には、
ヘロデ・フィリッポスが統治していた地と、ローマの直轄地であった地も
アグリッパ1世により統合され統治されたが、紀元後44年には死亡し、
アグリッパⅠ世の息子、アグリッパⅡ世が統治するも、
紀元後66年にユダヤ戦争が起きるなど、戦乱も絶えず、
紀元後92年に死亡するまで統治したが、その後はローマの
直轄地になりました。

こうやって歴史を紐解いていくと、ナザレのイエスが布教していた
紀元後27年から30年までの間は、ヘロデ・アンティパスに統治された
比較的安定したガラリアの地にて布教活動していたのがわかります。

もともとからこの地方に在った唯一神「ヤハウェ」を信じる一神教で
ユダヤ人は神から選ばれた選民とみなし、救世主(メシア)の到来を信じ
神殿祭儀を行う宗教でしたが、
紀元後66年のユダヤ戦争にて、神殿が破壊され、よりどころを失った
ユダヤ教徒たちは、神殿ではなくラビ(宗教的指導者)の元
律法の解釈を学ぶというユダヤ教ファリサイ派が主流になっていきました。

ただ、その後、ユダヤ教ファリサイ派に対する批判的な立場を
取る人々が現れ、そのうちの一人が洗礼者ヨハネと言う人になります。
洗礼者ヨハネは、ナザレのイエスに洗礼を与えたので、
同じ名前のヨハネと区別する為、付けられた名前です。
ユダヤ教における洗礼とは、他の宗教からの改宗者を
ユダヤ人の一員として受け入れる儀式の一部として行われ、
異邦人の汚れからの清めと言う位置付けになりますが、
ヨハネは、ユダヤ人も神の民と呼ばれる権利を失ってしまっていると考え、洗礼は悔い改めた者に対する神の赦しの確証と、
新しいユダヤ人の一員として受け入れられた確証と考えていたようです。

こうやって見ると、ナザレのイエスもヨハネの影響を受けた
ユダヤ教徒であり、ファリサイ派に対する批判的な立場を
取っていたことがわかります。
ナザレのイエスのバックボーンを知ると、
なぜ、イエスが布教を始めたのかが垣間見れるような気がします。
ナザレのイエスの教えを簡単に口語訳すると、
「神に愛されるように、神を愛しなさい」
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」

ここで、補足説明が必要だと思います。
ナザレのイエスが言う神とはどんな存在なのでしょう。
おそらく、唯一神「ヤハウェ」だと思われますが、
ナザレのイエス自身が、この神様から見捨てられたと思い
「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか」と叫んだり、
創造主である神「ヤハウェ」を「アッパ(お父ちゃん)」と呼び
「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」と
祈ったりしています。
絶対神であり、宇宙の真理であるはずの「ヤハウェ」が行う
現実を御心と言うような信仰心で受け入れているとは
ナザレのイエスには無いように見えますが
皆さんはどう思いますか?

ナザレのイエスでも、唯一神で絶対神である「ヤハウェ」の
現実社会における御業をすべて受け入れることができないのに、
そのナザレのイエスが言う
「神に愛されるように、神を愛しなさい」と言う言葉に
無理があるように思われます。
だって本人が、神にどうして見捨てたのですか?
と聞いているのですよ?

そのナザレのイエスの信仰を世界へ広めたのは、
使徒達だと言われています。
その使徒たちの言動を調べれば、きっと色々分かるのでしょう。

Previous:キリスト教について(2)
NEXT:キリスト教について(4)→ Coming Soon 

関連記事:
日本における仏教(1)

この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

51,809件

#この街がすき

43,570件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?