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今日は月命日、母は統合失調症でした

今日は両親の月命日。
父は4月5日、母は9月5日、5日揃いで墓参りが楽な娘孝行な両親です。
昨日の日曜、一足早くお参りしてきました。

今日は、母のことを話しましょう。
母は私を産んだ歳に統合失調症を発症しました。

当時は、精神分裂病という診断名でした。
その名が表す様に、精神疾患への偏見が強く、治療も限定的だったようです。
憶測でしか言えないのは、父が母の病気について何も語らなかったからです。
うちのお母さんは、よそのお母さんとは違うんだな、と子どもが空気を読まねばならず、シンドイ子ども時代を過ごしました。

後に、母がどれほど病気と闘い、さい悩まされていたか、どれほど子どもを大切に思っていたかは、父亡き後、二人で暮らすようになってから知ることになります。

母は賢く、品性があり、あまりに頭がよくて病気になったのでは、と思うほどです。
実際、母の兄弟達は非常に高学歴で中には東大助教授になった人もいて、また、母の妹とも同じ病気になったと聞いてます。
統合失調症は遺伝的要素もあり、なんらかの能力の凸凹や脳機能の脆弱性があるようです。
賢さは置いておいて、私にも器質的な要素があり、メンタル耐性が低いと感じることもあります

精神を病んでも、母の魂はまっすぐで、美しく、母と二人で暮らした8年間は、私にとってかけがえのない時間で、無条件で愛されたという実感が今でも、私を支えています。

今、私がずっと相談支援の仕事をしているのも、
母の病気と無関係では無いと思います。
私たちは、医療や支援を受ける側でもありました。


母が度々入院した精神科の閉鎖病棟も知っています。入院したら、毎日お見舞いに行きました。
精神科の診察は、10分にも満たないです。 
残念ながら、母の主治医で、私が信頼出来る人には会えませんでした。

家族の援助で生活出来ていたら、それで良しとして、日々の生活の細かな悩みを丁寧に聞くようなことはありませんでした。
ささっと聞いて薬がいるかどうかの判断だけ。
病院を変えたりチャレンジしましたが、いい主治医には出会えませんでした。 


私は、母のことを相談出来る人が欲しかった。
精神科ではいませんでしたが、ケアマネさんで出会いました。

それも、2人替えて3人目でようやく。
母が亡くなるまで、私たち親子を支えてくれました。
毎月、訪問してくださるのが楽しみでした。
毎回、同じ話をしても、嫌がらずにきちんと向き合って聞いてくださって、受け入れられている安心感、親身になってくれる信頼感、おかげでとても前向きに生活出来るようになりました。

支援を受ける側も長年体験し、今、自分が相談支援をする側で、こうした経験がいきています。
母の病院のカウンセラーに通り一遍のようなことを言われ、「あんたに何がわかるの?」と思ったこともあります。

簡単にわかることではないことを前提に、でもわかりたいという気持ちを持って、相談に来てくださる方の話を丁寧に聞いて伴走したいと思っています。
母がいつも私に「幸せになってね」と言ってくれてました。私もその想いを相談者さんにも持ち続けていきたいです。

母から受け取ったことは、あまりにもたくさんで、また、お話したいと思います。

大好きです、お母さん。


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