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自分のことは好きだけど、自分のことをできるだけ考えたくない


就活していたら、自己分析。ES。自己PR。
あぁもう、どこまで自分のこと考えなきゃいけないんだ。

自分のことは嫌いじゃない、どちらかと言えば好き。
嫌なところもたくさんあるけど。
それも含めて総じてまぁ好き。


自分に嘘ついて綺麗事で固めていた時は、自分のこと気持ち悪くて仕方なかった。自分の気持ちも好きなこともやりたいことも分からなくて、本当にしんどかった。

今はもう自分の心に従って、考えていることが黒くても悪くてもちゃんと認めることにした。その方が圧倒的に楽。そう思っちゃうものは仕方ない。そしたら好きなことも気持ちも見えてくるようになった。


自己分析が嫌なんじゃない。自分のことがわかって楽しい時もある。多少自分の向き不向きも知っておかないと、この先苦労するだろうし。ただ、自分のこと考えすぎても嫌になる。


楽しいとかワクワクするのは何かに夢中になっている時で。
夢中になってる時はだいたい自分のことなんて忘れていて
自分の見られ方も相手が誰なのかも一旦置いて、その瞬間を楽しむだけ。

ゲームしている時は勝つことだけ考えて、運動している時はその瞬間の気持ちよさだけ感じている。音楽を聴く時、歌を歌う時、文章を書いている時はどっぷり自分の世界に浸かっている。そういえば、文化祭の準備している時もただただ楽しくて、もっとよくするにはどうしたらいいかなとか話し合うのが好きだった。


結局いかに人生を楽しむかは、いかに自分のことを忘れられるかだと思う。


何かに夢中にならなくても、相手のことだけを考えている時だってある。楽しませようとする時。助けようと必死な時。

コミュニケーション能力が高いなと感じる人、相手との距離を縮めるのが上手いなと感じる人は大抵ベクトルが相手に向いている。自分がどう見られているかより、相手を気分良くさせようとか素敵な時間にしようっていう考えをしている。

私は結構ベクトルが自分に向いて自意識過剰になりがちだったから、人と話す時は相手に、何か物事に打ち込むときは物事にベクトルを向けることで、そのものに集中できるし楽しむことができるんじゃないかなって思う。

そのほうが変に自分のこと考えないし、純粋に楽しむこともできていいこと尽くめだ。そもそも人はそんな他人のこと見ていないしね。


とは言っても、自分のことを見つめる時も必要だ。今考えていることに向き合ったり、何か傷つけたり失敗した時反省したり。

まぁでもそういうのってたまにくらいでいい気がする。考えてもわからない時は分からないし、行動してみないと何も始まらないから。


自己分析をやるぞ!!って意気込んで自己分析するのは就活くらいで、あとはほどほどに内省するんだろうから、今は今まで分振り返るつもりでやってやろうと思う。

でも、時にはベクトルを自分じゃなくて外に向けて、就活する中でも楽しんでいきたい。就活していると何かと自分に置き換えたりして考えちゃうから。




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