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100日後に散る百合 - 37日目


木曜日の夜。午後23時12分。

私はスマホを手に、ベッドに座っていた。

もうお風呂にも入ったし、宿題も終えた。

私は万全の状態で、”それ”を、今か今かと待っている。

願っても、祈っても、どうしようもないのだけれど、

早く来てほしい、と思わずにはいられない。

でも、なんだかそこまで必死になっている自分が可笑しくなってしまって、少し冷静になった。

緊張のせいか、無意識に息を止めていたらしい。体が自然と酸素を求める。

気を紛らわせたくて、私はいつもの手記を開いた。

今日のことはまだ書いてない。これから起こることを書きたいから。

「ふふっ」

気持ち悪い笑みが零れてしまう。

私は、火曜日のこと、咲季と出会って35日目のことを思い返した。



その日の朝、寝不足気味で起きた私は、スマホの画面を見た。

[Tachikawa Saki さんから1通のメッセージがあります]

内容は、「放課後、あの場所で」だった。

”あの場所”というのが、すでに試されている気がした。「私のことを想っているなら、分かるよね?」という意味だと思う。

教室では、今までにあったような咲季からの視線は感じられず、やや不安だったのだが、気付けば放課後になってしまっていた。

私は、”あの場所”で待った。

教室棟と特別棟の間。初めての委員会のあと、咲季と二人で話した場所。

他にも、図書室とか、デートで行った玉根とか、上新納のケーキが出てきた喫茶店とか、色々候補はあったけど、時間のこととか含めて、話をするならやはりここだろうと思った。

今日の保健室はカーテンが閉まっていて、本当にここは誰からも見られない場所になっていた。

スマホの画面を見ると、私がここに来てから既に10分が経とうとしていて、いよいよ不安になったという頃に、

「動くな」

いつかの再演が始まった。

「あはは、よかった。届いて」

咲季はそう笑って、わざとらしく胸をなでおろした。

”届いた”というのは、ここにに私が来れたからということかな。

彼女はまったく怒った様子もなく、デートの時みたいな無邪気な振る舞いをしてくる。

逆に怖い。

「それで、話って?」

その内容は見透かしているであろうに、わざわざ話すきっかけを作ってくれる辺りが、咲季の話しやすいところだ。

その目は、綺麗に咲いた花を愛でるようでもあり、今まさに足で踏みつぶしてしまおうと企むようにも見えた。もちろん咲季はそんなことしないのだが。

大きく深呼吸。

「……………………まずは」

私は縫い合わされた唇を精一杯開いて、声を出そうとする。

喉の使い方を忘れてしまったかのように、音のしない息ばかりが口から洩れる。

それでも、私は、届けなきゃいけない。

「ごめんなさい」

頭を下げる。

一瞬だけでも目を合わせらなかったことに後悔する。

伝えたい、という意思を伝えられなかった気がする。

「私は、自分のことばかり考え続けて、ずっと逃げてきた」

さんざん内省して生まれた言葉たちを形にしていく。

「答えを受け入れるのが怖かった」

俯いたまま、つぶやく。

これで、伝わってるのかな。

「咲季に言われて、自分のしたことの愚かさにやっと気付いた。あなたのことが好きなのに、あなたのことを何も考えてなかった」

”好き”というフレーズを、できるだけ淀みなく言った。それは、私が絶対に揺るがしてはいけない気持ちだから。

「咲季も私のことに向き合ってくれたんだって知って、私も嬉しかった」

あの時の、『信じてくれなかったの?』と言った時の、咲季のまっすぐな瞳が蘇る。

「私は、咲季の言葉を疑っていたわけじゃないんだ」

手にしていた紙袋を差し出す。

「だから、ごめんなさい。嫌いにならないでほしい…………」

「それは?」

「マドレーヌ」

「え、作ったの!?」

「うん、朝。いや、本当はまたお弁当作ってこようと思ったんだけど、思い立ったのがそもそも深夜だったから、もう一人分用意する材料もなくて、ていうか今日はもう楽に焼うどんにしちゃおうと思ってたから、ご馳走するようなやつじゃないし、それで、お菓子の材料はあるなと思ってマドレーヌを。で、マドレーヌはお母さんが…………」

「あははははは、ははっ、はーはーっ」

私のマドレーヌに関する弁明は、咲季の笑い声によってかき消された。何がそんなに面白んだ。

「ふふっ、萌花は、本当に不器用だなー」

また笑って、「あー、面白い」と言いながら、湿った目をぬぐっている。

その瞳は、やはり美しい。

「そっかあ、食べ物で許してもらおうって魂胆かー」

「いや、違っ!そんなつもりじゃ!」

「あはは、冗談だよ」

咲季は、受け取った紙袋を大事そうに抱えて、

「私のために作ってくれたんでしょ?ありがとう、萌花」

「…………うん、こっちこそ、ありがとう」

「もう、嫌いになんてならないのに」

やっと前が向けるようになった私の顔を、咲季が覗きこんでくる。

「やっぱり、まだ、信じてくれてない?」

目を逸らして答える。

「分かんないよ…………」

「へへ、ごめん、意地悪しちゃったよね」

ぽん、と私の頭に手が置かれる。

「私の方こそ、ごめんね。昨日はちょっと感情的になっちゃった」

償いを償いきれなかった子供をあやすみたいに撫でてくる。

それだけで、私は嬉しくなってしまうし、

同時に、もう実らないこの恋を終わらせる覚悟が、少し揺らいでしまった。

今日の私は、謝って終わりではない。

その後に、ちゃんとした返事をもらうんだ。

振ってもらうんだ。

そして、それをしっかり受け止めなければならないんだ。

「でも、気付いたの」

咲季の言葉は、まだ続いていた。

「私が、それだけ感情的になってしまったのは」

少し強引に、頭を上に傾けられる。

強制的に目が合う。

咲季の唇から放たれる、そのひとつひとつを、私は見逃さなかった。


「萌花が、私にとって特別だったからだと思う」


風が吹き抜ける。

校舎と校舎の間、風通しがいいのは当然なのに、今になって初めてそれに気が付いた。

けれど、咲季は根を生やしたように、しっかりと立ち、

私に、その、言の葉を紡いだ。

どこにも飛ばされないで、

私の心に、ちゃんと届いた。


「好きだよ、萌花」


一目惚れをした。

でも、そのあと何度も惚れた。

けれど、今の咲季が一番かわいく見えた。


「って、ええ、萌花?」

「え、なに?」

「いや、泣いてるから」

「嘘!?」

目尻をなぞると、指には水滴がついていた。

それを見て、自分が今、どういう感情なのかを理解していく。

焚き付けられたかのように、胸の中がどんどん何かで満たされてく。

でもそれは、何色かもわからない色水ではなくて、

純潔な、すっきりとした色をしていたのは確かだった。

「ひぐっ、ぅ、ぅ、、」

「もー、萌花は泣き虫だなあ」

恥ずかしい。

泣いちゃいけないと思うほど、押し寄せてくる。

確かに昔は泣き虫だったと、お母さんが言っていた。

こんな私でも、好きになってくれますか?

泣きじゃくった不細工な顔も、可愛いと言ってくれますか?

「ぅ、っ、うれしい……、ぐすっ……振られる、、っと思ってたか、ら」

「えー、やっぱり私のこと信じてないじゃん」

批判めいて咲季が言う。

ただ、私にはまだ、釈然としていないところがある。

「だ、だって、、ぅ、『女同士とかありえない』って、ひぐっ、この前、言ってたか、っ、、ら」

途端、咲季が目を見開いた。

その後、しかめるような顔をして、落胆したような顔をして、哀れむような顔になった。面白い。

「萌花、あれ聞いてたの」

「…………うん、教室で、咲季の近くを、通ったときに、たまたま」

「はー、もう!!」

膝に手をつき、深いため息を地面に捨てる。

え、何?

どうした?

「私が『ありえない』って言ったから、振られると思ってたの?」

「え、うん」

「いやー、あれは、その、本心じゃないんだよ」

ん?

どういうことだろう。

「ほら、その場の空気ってあるじゃん。あの時に、そういう話題になって、でも周りにいた子たちがさ、そういうのに否定的だったから。私もそれに乗っちゃっただけなんだ」

気まずそうな顔でやや躊躇った後、咲季は私の肩に手を置いた。

「ごめんね、それは萌花も不安になっちゃうよね。疑っちゃうよね」

「ああ、いや」

「でも、そういうのに否定的だったら、萌花に告られた時点で振ってると思うよ?」

「でも、咲季は優しいから……」

「どうせ断るのに、それを泳がせるなんて、それは優しさじゃなくて意地悪だよ」

「あ、まあ、確かに」

「ごめん。私も友達に嫌われたくないとか、そういう思いだった。そういう保身が、萌花を傷つけた。私も結局、自分のことしか考えてないのかもね」

咲季は、こほん、と咳払いをして

「私、レズなんだよ。本能的に女の子が好き」

「え、まじですか?」

「引いた?」

「ううん!違う違う!いや、その驚いただけで!身近にそういう人がいなかったから」

「みんな言わないだけで、案外多いよ」

「そ、そうなんだ…………」

「萌花は、違うんでしょ?たまたま好きになったのが私ってところかな」

「は、はい、そうです…………」

レズは、レズの判別に長けているんだろうか?

「まあ、でも、みんながカミングアウトしないのは、ここがそういう世界だから」

路地裏のようなこの空間で、少しだけ入り込んでいた陽の光は、雲で隠れてしまった。

「だから、本当に自分の保身のためだったんだ、『女同士とかありえない』って言ったのは」

咲季は、極めて真剣な面持ちだった。

「萌花、女の子同士で付き合うことが、どういうことか分かってる?」

「…………ごめん、あんまりそこまで考えてなかった」

「簡単じゃないよ。特に、私たちみたいな世代は。不自由はたくさんある。お互いに好きだからとか、それだけじゃ乗り越えられないことがある」

私の肩に置かれた手に、ぐっと力が入る。

「それで悩んだの。私は元々レズだから仕方ないって割り切ってたけど、萌花はそうじゃない。でも、私と萌花が付き合うことで、萌花も同じように見られる。同じような苦労をこれから抱えていく」

そうか。だから、そんなに時間をかけて考えてくれたんだ。

「でも、私は萌花のことが好きだって確信を持てるようになった。萌花に向けられた好意も大切にしたかった」

咲季の透き通った目に、私の顔が映っている。表情はよく見ない。

「生半可な気持ちだと、きっと苦しむよ」

大丈夫だよ、もう逃げない。

「ねえ萌花、本当に私のこと、好き?」

咲季に告白したのは、彼女が誰かの特別になってしまうことが嫌だったからだ。

けれど、今は少し違う。

分かったんだ。どうして咲季の言葉を、自信を持って”信じている”と言えないのか。

それは、咲季のことを、まだ全然知らないからだ。

だから、知りたい。咲季のことを、もっと知りたい。

それが、私しか知らないような秘密である必要はない。

とにかく、知って、あなたのことをもっと好きになりたい。

そして、私のことももっと知ってほしい。

コミュ障で、自信がなくて、わがままで、不器用で、泣き虫な私のことを。

もっと好きになってほしい。

生半可ではない。


「うん。好きだよ」


絶対に揺るがない。


「だから、私と付き合ってください」


全身への圧迫感。

痛くて、けれど優しくて。

抱きしめられていることを理解するのには、幾分かの時間が必要だった。

溺れ死にそう。

私の全ての神経が、咲季の温もりを、柔らかさを感じようとしている。

「よろしくね、萌花」

心象、植木鉢に水が注がれる。

バケツじゃない。

乾いた土がたっぷりと綺麗な水を吸っていく。

もう吸収されなくなって初めて、水が溜まり、満ちて、溢れる。

「萌花、また泣いてる?」

鼻をすする音が聞こえてしまったようで。

咲季は、抱きながら、頭を撫でてくれる。


「じゃあ、マドレーヌの型が家にあるの?」

「うん、お母さんが使ってたから」

「ほへー」

咲季は私の詫び菓子を手に、感嘆の声を漏らした。

「どう、美味しい?」

「うん、とっても。いいなあ、お菓子も作れちゃうんだ」

「毎日作ってくるよ!?」

「いや、さすがに太るから勘弁してよ」

「あ、そっか」

「毎日でも嬉しいけど、せっかく萌花が作ってくれるんだもん。もっと大切なときに食べたいよ」

大切なとき、か…………。

「あ、そうだ、咲季の誕生日っていつ?」

「7月19日」

こんな基本的な情報さえ、知らない私だった。

「でも作る人が違えば、味も変わるね。フィオリトゥーラのとは、また別物だよ」

「まあ、レシピ違うし」

「いや、でも人の違いだね。だって、これ萌花の味がするもん」

え、どういうこと?なんか怖いんだけど。

「コミュ障で、自信がなくて、わがままで、不器用で、泣き虫な味がする」

「どんな味だよ」

「ふふっ、ちゃーんと隠し味も効いてるよ?」

「う、うるさいな」

咲季はあえて言わないけど、

それはとっても甘い甘い隠し味だ。

「じゃあ、お返しにこれをあげる」

スカートのポケットをまさぐっている。

「はい、これ」

咲季は、私の手に何かを乗せた。

私が咲季に渡した金将の駒だった。

裏には「さきすき」と書いてあって、改めて見ると恥ずかしい。

ところが、表に何か書き加えられている。

「“キス子”…………?」

「違うよ。逆!逆だし、その表の”金”と併せて読むの!」

「え、どういうこと?」

「もういい!やっぱりなんでもない!」

その後、執拗に問うたのだが、教えてくれなかった。



木曜日の夜。午後23時25分。

私はスマホを手に、ベッドに座っていた。

もうお風呂にも入ったし、宿題も終えた。

私は万全の状態で、”それ”を、今か今かと待っている。

ブーブー、ブーブー

き、来た…………!!

どうしよう!?

こんなにも待ち焦がれていたのに、いざ来ると怖い!!

いやでもどうしようったって、出るしかないんだけど!!

出るしかないんだけど~!!

ピッ

あ、出ちゃった。

『あ、もしもし、萌花?』

「……………………も、もしもひ!!」

『あはは、噛んだ~』

向こうから、大好きな声がする。



#100日後に散る百合


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