見出し画像

100日後に散る百合 - 42日目


「お姉」

トイレから自室に戻ろうとして、風呂上りであろう行雲ちゃんに呼び止められる。

行雲ちゃんの方から私に話しかけてくるのは珍しい。

「お姉、最近、誰と、電話?」

「あ、ごめん!うるさかったかな?」

行雲ちゃんの部屋は、私の部屋の隣にある。

いつも咲季と電話するのは、行雲ちゃんが寝る時間帯だから、ちょっと迷惑だったかもしれない。

「んーん、別に、うるさく、ない」 

「そっか、迷惑だったら遠慮なく言ってね」

「…………」

「どした?」

「…………質問、答えて」

行雲ちゃんは、お父さんの再婚相手であるいずみさんの連れ子である。

正確には、離婚したいずみさんの元夫に親権があったのだが、元夫の行雲ちゃんへの虐待が発覚し、1年半前に金子家に来た。

離婚のストレスや虐待の影響があってか、行雲ちゃんは少し子供っぽい部分がある。精神科の先生によれば「退行」と呼ばれるものらしい。

言語の面ではそれが顕著に出ていて、助詞を入れずにカタコトみたいに話す。赤ちゃんでいう二語文というものだった気がする。家庭科の授業でやった。

あとは、すごい泣きじゃくってしまったり、駄々をこねたりすることが稀にある。

「質問ってなんだっけ」

「お姉、誰と、電話?」

「あー、”誰と”か。お友達だよ、学校の」

咲季を”友達”と呼ぶことに対して、胸の痛みはない。もう、互いの想いは通じているから。

「友達、本当に?」

「う、うん!本当だよ!本当に友達!」

おや、”彼女”と明かせないせいで、むしろ胸の痛みを感じるようになった。

別に行雲ちゃんに隠すことでもないのかもしれないけど、

ただ、その、行雲ちゃんは、

「お姉、まさか、恋人。ゆくも、嫌だ」

行雲ちゃんは、こういう子なのだ。

何故か知らないけど、行雲ちゃんは、うちに来た時からめちゃくちゃ私に懐いてしまった。

いずみさんはあまり懐かれていない(嫌いではなさそう)し、お父さんは未だに名前を呼んでもらっていない。

私がだけがなぜか、妙に好かれてしまっている。

そして、私が離れることを極端に嫌うようで、

「ゆくも、いやだ。ゆくも、泣く」

こういう脅しをしてくる。

怖いんだよなあ、行雲ちゃん。

でもメンタルのこともあるし、あんまり強いことを言えないというか、なんだかんだで甘やかしてしまったりする。

「ゆくも、お姉、好き」

崖の上のやつじゃん。

「うん、知ってる知ってる」

「お姉は?」

「へ?」

「お姉、ゆくも、好き?」

「う、うん、もちろんだよ!」

「えへへへへへ」

なんだろうこの罪悪感。他方から十字架を背負わされている気分になる。

行雲ちゃんは、いつ切ったかもわからない伸ばし放題の前髪から、笑顔を見せている。くっそー、可愛いな。

背は私と同じくらいで、中学2年生にしては大きい方かもしれないけど、なんだか小さく見えるのは、この子が義理であれ妹だからだろうか。

「最近、学校はどう?」

こういうことは、いずみさんが聞いても答えてくれないそうなので、私が時々気にしなければならない。

「普通!」

「そっかー、普通かー」

全然参考にならない。

けど、嫌そうな顔もしていないので、学校は楽しんでくれているようだ。

正直私たちは、行雲ちゃんがいじめられないかとか心配していたのだが、問題なく通っている。

学習面の方でも特に困ってないみたい。

「あと、また、速くなった」

「走るの?」

「うん」

「へー、すごいじゃん」

行雲ちゃんは陸上部に入っている。確かに、チームスポーツは厳しいかもしれないけど、個人競技なら大丈夫なようだ。陸上は中学から始めたが、メキメキと成長している様子。

「えへへへへへへへ」

行雲ちゃんは、基本的に褒めていれば機嫌がよくなる。

また前髪から可愛い笑みがちらちら見えるが、その長い髪は、走るときに邪魔じゃないのかなとは思う。

「行雲ちゃん、明日の夕飯は何がいい?」

「あ、あの、お姉…………」

「ん?どうした?」

「夕飯、その、最近、重い」

「え、嘘!?」

「今日オムライス、昨日カツカレー、その前ピザ、その前お好み焼き、その前餃子、その前唐揚げ」

「あれ、そんな高カロリーなラインナップだったけ」

「最近、お姉、おかしい」

おかしいと言われてしまった。

が、確かに、おかしい。無意識にご馳走を作りそうになっているのか?

まるで、私が浮かれているみたいではないか。

「あと赤飯が無駄に多い」

無駄ではないよ、無駄では!!赤飯は体にいいんだぞ。

「エプロン、付ける、お姉、おかしい」

エプロン?

確かに、咲季に買ってもらったエプロンはあれから愛用しているのだが。

「エプロン、見て、にやにや。着て、ぐへぐへ。お姉、おかしい。怖い。引く。きもい。嫌だ。泣く」

「行雲ちゃん、さすがの私も傷ついちゃう」

「私、部活。体力、つける。ご飯、嬉しい。でも、最近、ちょっと、重い」

「そうだよね、ごめんごめん。気を付けるよ。じゃあ、明日は冷やし中華にする?」

「うん!」

最近暑くなってきたからね。さっぱりしてていいだろう。

そういえば、これまで行雲ちゃんのことを意識して作ったことは少ないな。陸上は全身使うだろうし、今後は筋肉がつくようなメニューとか、そういうものを作ってもいいかもしれない。あー、でも女の子だから、逆に嫌かな。

行雲ちゃんはあんまり好き嫌いもないし、たくさん食べてくれるので、こちらとしては作り甲斐がある。好き嫌いで言うと、いずみさんの方が多い。

「お姉、エプロン、誰?」

まだ、エプロンの話するのかよ。

「誰から貰ったってこと?」

「うん」

私が自分で買ってきたという可能性もあるだろうに、なんでプレゼントであることを知ってるんだろう。

「これも、さっきの友達だよ」

「ふーん」

ふーん、って。

「じゃあ、あの匂いの人、最近、お姉、電話」

「う、うん、そうだね…………」

やばい、咲季の匂いがばれた。というか、匂いでプレゼントだと察してたのか。

いつの間にか冷や汗をかいている。

「さ、ほら、行雲ちゃんはもうおやすみ?」

「お姉」

「は、はい」

「一緒、寝る」

あー、たまにあるやつだ。嫌ではないけど。

「あ、でもまだ私お風呂入ってないし、まだ明日のお弁当の準備もできてなくて」

「お姉、いつも、お弁当、準備、夕飯、後、すぐ、終わる」

お姉はいつも、お弁当の準備は夕飯の後にすぐ終わらせている。

そうですよ。

でも、明日は咲季のお弁当も作らなきゃいけなくて。

「お姉、あやしい」

「あやしくないよ!」

うーん、しょうがないな。

「じゃあ、分かった。一緒に寝るのはいいけど、私が行雲ちゃんを迎えに行った時に、もうぐっすり寝ているようだったら、そのまま寝かせておくから」

「分かった」

行雲ちゃんは寝付きがいい。一度寝たらそうそう起きない。どうせ私が風呂を出たころには、自分の部屋でぐーすかぴーすか寝ているに決まっている。


これは私の勝ち。


だと思っていた。


「なんで最初から私の部屋で寝てるのさ」

風呂上り、部屋の電気をつけると、行雲ちゃんがベッドで寝ていた。

長い前髪が口に入っていて、不快そうだった。

私は、病院で寝ていた咲季のことを思い出して、またあの髪に触れたいなと思った。

「あっついなあ」

今夜は扇風機をかけよう。タイマーは2時間でいいかな。

私は、体力づくりに使えそうな食材のことを考えつつ、ベッドに入る。

正直、小さいわけでもない行雲ちゃんといると狭くて仕方がないのだが、その温もりは心地よい。

…………

……………………

…………………………………………。

「あっついなあ!!!」

暑かった。


#100日後に散る百合


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?