父振り返りデー

毎年9月の頭は決まってナイーブになる。父の命日が近づいてくると、つい考えることが増えてしまう。

先日、朝会社に着くと忌引きで休んでいる方がいたので、オフィス内は家族や相続などの話題で持ちきりだった。「ていうかお墓って誰が管理してるんだろう」「墓参りとか別にしたくなくないですか」「恐らく介護も葬儀も兄弟がやってくれるだろう」会話からは自分たちには遠い先の話というのがよく伝わってきて、そのまだ想像もできない同僚たちの非現実が、私にとっては直面し今後も継続していく現実であり、日々葛藤していることなので、朝からひとり盛り下がっていた。

当然のことだが、家族や友人との別れは、大往生の老衰になるとも、介護で寄り添えるとも、必ず死に目に会えるとも限らない。死を遠く考えていることは、身近な人たちが誰も死に脅かされていない良い事(死が悪いということわけではない、死は寂しいすぎる)でもあるし、思うことは色々あったが、この空間でみんなが今共有したかった"これから身の回りでも増えてくるんでしょうけどまだまだ遠いっすよね〜"に私の気持ちを話しても、とくに意味がないと分かっていた。
会話にもはいらずひとりジッと押し黙っていた私は"父が亡くなって2ヶ月でクローディアスとガートルードが婚姻を結ぶため国中が盛り上がる中、一人盛り下がってその状況を危険視し苛立つハムレット"のようなやるせない気持ちになった。

翌日には帰宅即・ハムレットをした。その時は単に、ハムレットの心情と似通ったところを改めて再確認したかったような理由で見始めたはずだったが、全く別の感動に襲われてしまった。とにかく詩(台詞)の強度に感嘆した。一度しか読んだことがないどころか、数年かけて数ヶ月おきに章を読み進めてはやめを繰り返しており、読んだのもかなり前だったので、まさかこんなに内容が頭に入っているなんて・・・。マジで詩の持つ強さはやばい。

私も一時はハムレットのように、勝手ながら「父の無念を晴らそう」と思うような時期もあったが、亡くなったのちに様々な問題が浮上したことで、素直にそれだけでは済まないというフェーズに入ってしまった。

父が亡くなった後の1年間を、毎日一日中泣いて過ごしており、働くことも、何かに没頭することも出来なかった。最初の数ヶ月はただただ無念で仕方なく、悲しみに明け暮れていたが、とある事実が発覚してからは怒りと苦しみに苛まされ、更には怒りを向けてしまう罪悪感と、失った悲しみと、父があの世で辛い思いをしないように弔いたいという感情のせめぎ合いで精神状況は益々は悪化した。
また、父の葬儀後、父の恩師の奥さんに「あなたが泣いているとお母さんが泣けなくなるから泣くのをやめなさい」と言われてから、その一言は私の中でも納得してしまったこともあり、母にも自分の気持ちを打ち明けられず、すっかり八方塞がりになってしまっていた。
ちなみに、いまだ父の亡霊はまだ現れたことはない。夢にもあまりでない。むしろ父に関して現れてくるのは現実の問題ばかりだ。

この頃、去年同僚たちと観たSearchという映画を思い出す時がある。正しくは、その映画から感じた自身の生活にもつながるような不安を、時々覚える。

その映画の鑑賞会は、当時の思い出深い出来事の一つでもある。個人的に入り込んでしまったこともあり、いい映画だと思ったが、感想戦などは特になくサラッと終わってしまった会ではあったが、私の中では渦巻くものがあった作品だった。

以下引用:”物語がすべてパソコンの画面上を捉えた映像で進行していくサスペンススリラー。16歳の女子高生マーゴットが突然姿を消し、行方不明事件として捜査が開始されるが、家出なのか誘拐なのかが判明しないまま37時間が経過する。娘の無事を信じたい父親のデビッドは、マーゴットのPCにログインして、Instagram、Facebook、Twitterといった娘が登録しているSNSにアクセスを試みる。だがそこには、いつも明るくて活発だったはずの娘とは別人の、デビッドの知らないマーゴットの姿が映し出されていた。”

文字を消して打ち直す動作が、大いに感情を物語る時代になっているなぁと改めておもったり。

映画では父と娘が、亡くなった母親とのそれぞれの向き合い方の違いなどから、日々すれ違いのような状態になっているのだが・・・私は時々、いつか母とこういったすれ違いをしてしまうのではないか、母も私の前からいなくなってしまうのではないかと、恐ろしくなる時がある。

母とは、父のことを全く話さないわけではないが、現在の私の父との向き合い方は、母と異なっているということを自覚している。
私が日々、父と向き合う瞬間は様々な場面で訪れる。

私は何もかもが父に似すぎてしまったし、父と生前に解決すべき問題をやり残してしまった。なので父を考えることは、自分を考えるときに絶対に逃れられないものであり、それは、大切な誰かと深く繋がろうとする時、自分の怒りが他者に対して表出する時、前に進もうと思う時、何かに失敗した時、不安でたまらない夜の時、誰かに欠点を指摘された時、人への甘え方が間違ったかたちで表れる時、私や家族に喜びや悲しみがあった時など、私の感情が強く動いた時に必ず現れる。

自分の問題を突き詰める時、必然的に父や家族の問題点に辿り着く。
それを考えることは私にはとても必要なことだがそれはある種、家族の在り方を否定するようなことにも繋がり兼ねないという懸念や、過去確かに存在していた大切な時間に水を差すような行為のようにも思えて、母には私が日頃このような形で父を思い、弔っているということは伝えたことはない。しかし、父を考えない日はない。今年の命日は、この独自の弔いスタイルでこうして父のことを考えながら1日を過ごしたいと、ここ数日間はずっと考えていた。結局は朝から晩まで父の知人たちが線香をあげに家にやってくるので、接待に追われてしまい、今1日を終えて書くことになっているが。

ここでこうして自分の考えをまとめるキッカケになったのは、とある人が父に向けて書いた一つのブログ記事だ。まさか、自分の知らぬ場所で父を考え、それが巡り巡って自分達の元に届くとは。それがとても意味のあることのように思えて、そういった人の感情が言葉として残され届くことに、感謝と尊敬を送りたい…。

命日のメインメンバーといえば、母方の親戚ですら覚えていない父の命日に、毎年線香をあげにくる父の道場の後輩、道場の恩師、高校の友人たち。後輩のUEHRさんは、今日はお墓(メチャ遠い)を掃除してからきてくれたらしい。恐らく、うちには来ないが直接お墓に行ってくれてる人たちもいるようだ。父の高校の友人のOMRさんには、介護の時から本当にお世話になった。塞ぎ込む父をいろんなお寺に連れ出してくれて、家族にはできないかたちの精神的なサポートをしてくれた。もう一人一緒に来たKRIさんは初対面だったが、父が交流を続けていた理由がよくわかる、とても懐の大きな人だった。父のことをよく見てきた人たちの、父のエピソードを聞くのが好きだ。

父が長年している剣道とは別に入っていた社会人野球チームは、そもそも誰とやっていたかも知らなかったが、この2人だったらしい。そもそも野球をやっていたことも、私が小さい頃箪笥を漁っている時に野球のユニフォームを見つけて気づいたことだ。勝率が高かったので毎週末試合をするほどコミットしていたことなど、今日初めて知ったし、プロを目指す気概や目標を持ってスポーツに取り組んできた人たちと共に学生生活を送っていたんだなということも、自分なりの哲学を持って剣道に取り組んでいた父への理解度がより鮮明になった気がした。

父の葬儀は遺書に書かれた52名に反して気がつけば200人ほど集まってしまったが、そのほとんどは実は父が人付き合いが苦手だということを理解していないだろう。私は父が亡くなった後、父のエピソードを集める活動を自分のために行なっていたのだが、エピソードの質の差はそこで現れると感じる。怒りの表出が暴れ回ることだったので勘違いされがちだが、本来の父は非常に内向的で、ストレスを溜めやすく、超寂しがり屋の真面目な家父長である。

そんな父の娘である私は、命日当日、友人からの指摘の連絡で完全に塞ぎ込みモードになり、母に対しては反論している時の詰め方や言動も相変わらず父そっくりで、母の目に涙が浮かぶのを見て、自分の愚かさに胸を抉れる思いだった。散々してきた父が亡くなる数週間前に、母に反論する私を見て「お母さんの言うこときいて」と言った言葉も頭に響いていた。意識しているのに全く変わっていないのが現状で、なんだかもう膝をつきたくなる気分だった。

私の当面の目標は、自己受容をし、素直に父を思い、だが父とは同じ轍を踏まない。ということである。だが、「素直に父を思うこと」と「父と同じ轍を踏まない(素直に思えない罪悪感)」が自分の中で結構相容れない時が多く、「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」のように、両方を上手く併せられないので、どちらをとるのか考えあぐねる。というか、エヴァンゲリオンを観ていない分際でアレだが、心境的には「こんな時どんな顔すればいいかわからないの」の感情バージョンになっている。「こんな時どんな感情になればいいかわからないの」な日々は続いていく・・・。

眠すぎるのでここまで


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?