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#454 私の存在認識と分人思考 - ワーママはる https://voicy.jp/channel/862/91956 #Voicy


#454 私の存在認識と分人思考 - ワーママはる
https://voicy.jp/channel/862/91956
#Voicy

始めの挨拶
ようこそワーママはるラジオへ
この番組はワーキングマザーたちが、ワーママサバイバルをどう賢く強かに楽しく生き抜いていくのか?
そんなテーマでお届けしております。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
小学生お持ちの皆さんは夏休みが始まりますでしょうか。我が家はですね、今週、いわゆる半ドンというやつですね。午前中で授業が終わって帰ってくる、1週間になっております。
でっ、今週末から夏休みに入って、2週間だけ夏休みがあります。
コロナの影響で夏休みの短縮になっておりますので、この2週間、どうやって彼と、そして保育園児の弟と過ごそうかなと思っています。
先日初めてのキャンプを放送させてもらいましたが、キャンプの予定がですね、2回入っております。
1泊2日と2泊3日。
今いわゆる三密の状態の場所に行かない方が良いとされておりますので、キャンプだと、外気にさらされながら換気抜群の場所で過ごせますので、夫の選択としてはキャンプになっております。
余談ですが、うちの夫はですね。
ストレスファインダーで慎重さが1位になっています。
すごいですよね、よく慎重でありながら、私と結婚したなと思ってるんですが、そのため、いろんなことをですね。結構コツコツと練習したり、準備したりするタイプです。
キャンプの練習も相当しておりまして、練習だけでキャンプに行く回数よりも、1年間で圧倒的に練習回数の方が多いんじゃないかなと思うんですが、私のようにとりあえずやればどうにかなるだろうというタイプではない人と生活しているといろんな学びがあるなという風に思います。
では、今日の本題なんですが、今日はですね。
自分、私とはと、後、分人思考についてちょっと触れてみたいと思います。
質問箱にいいご質問いただいておりましたので、これを取り上げて掘り下げていきたいと思います。
皆さん、私とは何か、そして分人とは何か一緒に考えてみませんか。
では、最後までお付き合いください。
この放送は、子供の夏休みは体力勝負、元気でいたいママを応援するサプリすっぽん小町のスポンサーでお届けしております。
はい。では、今日はですね。
まず質問箱にいただきましたご質問を1つ取り上げながら、一緒に考えてみたいと思います。
読み上げさせていただきます。
ハルさんは自分という存在に対して「感情」はありますか?
私は自分のことを好きとも嫌いとも思わず、自分に対してあまり感情がありません。
もちろん人や物に対してはありますし、自分という存在は大事だという「感覚」はあります。私の周りで「自分がすごく好き」という人がたまにいます。
そう思う感情を味わったことがありません。
ハルさんならこの事についてどう分解されるか、興味があり、質問させていただきました。
ふわっとした内容ですが、言語化能力の高いハルさんにお答えいただければうれしいですという風に頂いています。
なかなか面白い質問ですよね。
私という存在に対して感情があるかどうか、そして自分に対して自分のことをですねすごく大事だという感覚あるけども、好きか嫌いかという感情が喚起されないという話です。
いわゆる自己肯定感ですね、自分は大事である、自分は必要な人間であるという感覚あるけれどもそこに感情ですね、好きというものをプラスして見てみると、うんどうかなぁという質問者さんから頂いています。
ご質問の内容にも書かれているように、確かにですね、周りに自分のことすごく好きっていう方いらっしゃいますよね。
ナルシストなんていう表現をされたりもすると思いますが、自分がすごく好きだと、自分の周りからどう見えてるか気になるし、自分自体の存在をどう周りに認知してもらうかということをすごく気にしてらっしゃる方もいらっしゃったりします。
これいいとか悪いとかいうのではなく、自分を好きという感情はですね、決して悪いことではありませんので好きなんだなということでご理解いただけたらという風に思います。
では私はという話なんですが、私はですね。
自分のことが好きか嫌いかと言われたら好きだと思います。
じゃないとちょっと生きづらいですよね。
自分のこと嫌いだ嫌いだと思ってると生きにくいので、自分のことは好きだと思います。
しかし、自分ができること、やれることを含めて全部好きというよりも自分の駄目な部分も含めて自分のことをちゃんと自己受容してやるという意味での好きになります。
この好きという感情を分解していったときに、質問者さんが自分に対して自分は大事だという感覚あるが、好きという感情はあまり湧いてこないってあったんですが、これちょっと客観的にどう見てるかっていうポイントも1つあるんじゃないかなと思います。
要は好きという感情はですね、すごく主観的な話になるんですよね。
そこに客観的な目線を入れていくと、好きかどうかの感情の喚起よりも、事実と感情を分けるという私よく言い方をしますが、自分という存在を肯定してあれば、そこに対して受容ですね。
受容が生まれているけども、感情の喚起としては、好き嫌いっていう感情は生まれてこないっていう話になります。客観性が結構高い方はですね、ここ迷って好きかな嫌いかなっていうのをうまく答えられないという方がいるんじゃないかなと思っています。
つまり質問者さんはですね。
多分客観的に自分のことを見る能力に長けていらっしゃるから、自分に対して好きという感情があまり湧いてこない。
しかし受容はできるという状態にあられるのかなと質問を読みながら感じておりました。
ここからはちょっと別のお話をさせていただくんですが、皆さん分人思考ご存知でしょうか。
分ける人と書いて分人でございます。
これは作家のですね、平野啓一郎さんが私とは何かという本の中で触れられていまして、私というものを1つとして見るのではなく、その社会的ないろんな場面によって分ける人ですね、私の中にいろんな分人がいて、それが集まって私というのは成り立ってるんだということをお話の中で触れられている1冊がございます。
この本がですね。
私、ご質問を読みながらすぐ頭の中に浮かびました。
どういうことかというと、私たちは社会的な生き物なので、いろんな顔を持っていますよね。
さらにいろんな役割も持っています。
ということは、人間関係が至るところに存在をしています。
わかりやすく例でたとえさせて頂きますと、私の場合は母であるという顔もありますし、妻であるという顔もありますし、両親からしたら、娘であるという顔もあります。
さらにお仕事してる方からしたら、ヨガ関係で仕事をしてるときはヨガの顔がありますし、何か書き物をしているときは書き物の顔がありますし、voicyなどで発言してるときはvoicyの顔があります。
会社員をやっていた時は会社員としての顔があります。
いろんな場面でですね、私は顔を持っていて、これが全部集まってきて私になっています。
この私は1人なんですが、分人思考でいくと、私はですね多分見せている顔が、そ役割によって異なっているんですよね。
例えばvoicyを聴かれてる方からしたらすごく理路整然と喋ってるように感じられてるかもしれませんが、夫から見たら、もしかしたらすごく感情的な人間だという風に映ってるかもしれません。
そして子供から見たら、お母さんはですね、決して感情的にも理路整然でもないという風に映っているかもしれません。
でもこれは私じゃないのかと言われたら全員私です。
私がその人ですね。対人関係の中で構築している顔を持っているので、これも全て私になります。
この私、いろんな顔を持っていますが、ここに感情の好き嫌いを加えていくと、妻としての顔は、今は好きじゃないな。
でも、仕事の顔が今好きだなっ、母親としてちょっとうまくいっていない時は、母親の顔、今好きじゃないな、でも仕事上はうまくいっているので、仕事の顔が好きだなとかですね。
私の中にも、その見せている顔によって、好き嫌いが異なったりします。
これ客観的に自分のことを見ている方はなんとなく感覚としてお持ちだと思います。
こういったプライベートの場面は自分のこと好きだけども仕事の場面の自分はあんまり好きじゃないっていう方、いらっしゃったりしますよね。
でも私という単位1つで見たときにじゃあ私のこと好きかどうかと自分で尋ねてみたときに、好きも嫌いも両方混じってるという状態になります。
すると自分のことをですね、ただ、ひたすら好きという風には一言で言い切れないといった形で、客観的に見てうん、ちょっと自分のことは受容出来るけども、好き嫌いという感情で見たらちょっと迷うなあという状況になるんじゃないかなと思います。
この目線で見ていくと、自分のことがすごく好きという方は、多分、分人、いろんな自分を持っていて、かつ自分がどの場面で見せてる顔も全て好きなんだと思います。
なので、迷いなく自分が好きだという風に言えるんだと思うんですよね。
質問者さんはちょっと迷われる、もしくは自分のことを一概に好きだという風に言い切れないのは、この分人、見せている顔の場面によっては、この自分は好きだけどもこの自分はちょっと好きじゃないかもしれないなと思う客観的な目線を持ってるから言い切れないんじゃないかなと感じました。
ちなみにこれは別に良いとか悪いとかいう話ではありません。
多分誰しもが持っている感覚の1つだと思います。
自己受容はもちろん大事です。自己受容出来ない人間は、他人のことも受容するのが難しい。
自分を受け入れられない人は、必ず他人が受け入れること出来ません。
自分はですね、ずっと自己否定しているのに、他人のことだけ受け入れてるってなると、他人の考えにどんどん自分の考えが乗っ取られてしまうので、最終的に苦しくなってしまうんですよね。
ですので、やはり自己受容はすごく大事だと思います。
子供たちにも自己肯定感、自己効力感にもつながると思いますが、自己受容から全てが繋がっていると思っています。
その上で、自分のことを好きだと思う感覚、これはないよりあった方がいいですよね。
ただ、分人思考という考えを用いてみれば、全ていろんな場面で見せている分人全部の私を好きかと言われたら、そうではないという考えはもちろんあると思います。
なので私が質問者さんにお答え出来ることは、分析出来ているか、分解出来ているか、良く分かりませんが、質問者さんは、自分の分人をいろいろ持っていて、その中で好きな分人と、ちょっとこの顔の自分はうん、いまいちの分人だなと思っている自分がいるから、全て一概に自分のことをすごく好きって言えないんじゃないかなと思います。
これはあの人間なのでいろんな複雑な感情を持っていて当たり前だと思いますので、その自分を受け入れてあげることがまず大事なんじゃないかなと思いまして、今日回答させていただきました。
私もですね、いろんな顔を持っていて、この顔がうまくいかないときは違う顔がうまくいっていたり、そしてこの顔が嫌いなときは、こっちの顔が好きだったりっていう風に複雑な心境をいろいろ持っています。
でっ、この分人思考をちょっと持っておくと、生き方においてはすごく楽なんですよね。
例えば、私という存在を1つとして認めてしまうと、何かあって嫌なことがあると、私という存在全てが否定されたような気持ちになります。
私がよく言っていますが、嫌なコメントとかですね、怖いメッセージと聞いたときにワーママはるさんが言われてるなっていう風に私は感じるようにしています。
すると別の分人たちも私の中に存在していますので、そちらの分人ではちゃんと認められていたり、周りから許容されていたりするので、そこで心の救いになっているなと感じています。
うまく答えられているかわかりませんが、私なりにちょっと分解をしてみましたので、質問者さんもしお役に立てばうれしいなと思ってお話してみました。
はい。いかがだったでしょうか。
皆さんいろんな顔をいろんな社会的な役割の中でお持ちだと思いますが、それもまた皆さんを作り上げている分人たちで最終的に私という1人になります。
ものすごく哲学的な話ですが、この考え方を持っておくと、人生ちょっと行きやすいと思うんですよね。
お仕事で全然上手くいかないとか、夫婦関係で本当にもめていて家に帰るのが嫌だっていう方は、多分別の顔もいろいろと社会的に持っているはずです。
その顔を大事にしつつ、自分をあまり損なわないように、そのうまくいっていないところにも、少しずつアプローチしていくことが大事かと思いますので、よろしければ自分の分人はどこにいるのか、そしてその分人たちの中で、この自分は好きだけども、この自分はちょっと受け入れられないときがあるなと思ったら、何かヒントを他の分人たちにもらって自分という存在を認めながら、生きていくのがいいんじゃないかなと思っています。はい。
こういう考えもあるよとか、こういう意見もあるよという方がいらっしゃいましたら、コメント欄に書いてみてください言われている他の方々もとても参考になると思います。
ではコメント欄のお返しをしていきたいと思います。

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