大学2年のときのmixi日記とか、だいたいこんな調子だった気がするな【更新56日目】
少し疲れている一日でした。
疲れた、じゃない。ずうっとうっすら疲れている、初めから終わりまで。
致命的なわけではない。体は動くし、心も黒いものにむしばまれてはいない。
けれど、いつものようには地に足がついていない。ずっとふわふわして、高速で空回りを続けているような。
スマホをたくさん見た一日でした。見るともなく。
そんな感じで、すみません、今日は思いっきり日記的な感じです。
ここ最近レポめいた記事が多かったので、自分で自分にひきずられてしまって、「やっぱり面白いのはそういうやつだよな、そういうやつのほうがみんな楽しいよな」なんて思い込みにとらわれていた気がします。
というか、そもそも当初の理念を忘れているではないか。
この100日note、別に中身のあるものを書かなきゃいけないわけでもなんでもなく、最悪「あああああ(以下1995字)」で埋めたってかまわない、とにかく2000字以上の記事を毎日書いてnoteを更新しましょう、100日という無意味な形式の中で継続することに意味があるんです、と自分で宣言したものだったじゃないか、と。
書けるとき書きたいときは思い切って。
書けないとき書きたくないときは温度を下げて。
それでやっていけばよかったんだよな、ということを、折り返し地点を過ぎた今、あらためて自分に確認させる必要があるようです。
*
ここ最近、自分なりにいろんなことをやっています。
小説を書きはじめました。正確には今まだ構想を練っている段階ですが、創作には確かにぼちぼちと取り組んでいます。
魚をさばきはじめました。「自分で寿司を握ってたらふく食べる」という最終目標に向かって、一歩ずつ歩いています。
家の片付けをしています。あと2日もあれば一区切りはつけられそうな見通しです。長かった。
久々に本を読んでいます。今朝ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み終えました。面白かった。今はオースティンの『自負と偏見』を読んでいます。
家庭教師(的なもの)のアルバイトに応募しました。しばらくは案件待ちですが、そのうち週1日くらいのペースで仕事をすることになりそうです。面接してくれた人がぼくの友達とどこか似ていた。やっていける気がします。
Twitterで知り合った方と、サシの通話でおしゃべりしたり、ときどき仕事を頼んでいただいたり、楽しく交流を広げています。この100日noteチャレンジで書いた記事からつながった縁もあったりして、なんだかわくわくするというかそわそわするというか。いろいろ楽しくやっていけたらな、という気持ちです。
某オンラインコミュニティ(「三ツ星スラム」なんて呼ばれてる例のアレ)に参加して、そこでも多くの人と交流しています。自分のいろいろな特徴に気づいたり、日々のもやもやをちょっとずつ解消したりと、なかなか(少なくとも今のぼくの)オフラインの人間関係やオープンなオンラインのつながりにおいては持ちづらい経験をいろいろさせてもらっています。
まぁまぁいろいろやってる。
なかなか悪くないんじゃないだろうか、うんうん。
ときどき面倒になってしまうことがある物事がないわけじゃないけど、基本的に好きなこと楽しいことしかない生活だ。
もっともっとやっていきたいな、と思う。広げて、深めて、遠くへ遠くへ。
力んで頑張る必要はないと思っている。ただ地道に、一日、一時間、一分、一秒、やると決めたことをやっていくだけでいいはずなので。
いつ新しい景色が開けるのか、そしていつ自分が歩んできた道を振り返ってみたくなるのか。
わからないけれど、そんな日もやがて来ればいいな、と思っている。
しかしそればかり考えていても仕方ないので、今は自分で目の前に置いたことをどんどんやっていくこととしよう。
*
そんな最近ではあるのだけど、今日は、あまりやれなかった。
やれないだろうな、まぁやらないでおこうかな、と思いながら過ごし、案の定そうなった。案の定なので、ショックも落胆もそうない。
ぼくにとって、頑張るのは案外たやすい。頑張りは惰性でどうにかなるから。
すでに転がっているものが止まりかけたとき、もう一押し、二押しを加えるだけでいいから、簡単といえば簡単なのだ。エネルギーの浪費が生じるだけで。
でも、「めんどくさい」を乗り越えるのは地味に大変だ。そして、今の問題は基本的にこちらにある。
やると決めたこと、やるしかないこと。でも、やりはじめるにはちょっとエネルギーがいること。
そう、倒れている車輪を起こして、最初の転がりはじめをアシストするのには、ちょっとした頑張りが必要になるわけだ。
それができないうちは、時間を空転的なネットサーフィンに費やしたり、惰性的な「頑張り」で消費したりして、楽しいんだか楽しくないんだか、充実してるんだかしてないんだかよくわからない、ふわっとした生活を送ることになってしまう。
そのハードルを下げられるだけ下げていくのが今のぼくにとっては大事かな、と思っている。
「めんどくさい」を蹴とばして、着手すること。
覚悟を決めて、今いるところからあちら側へとジャンプすること。
それらを軽やかにやりつづけること。やれるしくみをつくっていくこと。
半年くらいは、そんな感じで回していけばいいのかもしれない。これといった根拠はないけど。
今日はたくさん空転した。頭が嫌な感じで鈍く痛いし、目も疲れている。よくない。
しっかり寝て、また明日という一日をできる限り目一杯やろう。
ありきたりだけどそんなふうに思う。
そんなわけで今日は、おやすみなさい。
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