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8.死化粧師

薬剤によって防腐処理は施されるものの
どす黒くなった顔色が
もとの明るい色に戻るわけではないため、
エンバーミングの一環として、
化粧を施す行程がある。

いわゆる「死に化粧」というやつである。
これが、本当に素晴らしかった。

死化粧師の方が
父の白髪の増えていた数ミリカットの
まだら禿げの髪を黒く染めて、

生前ほとんど整えたことのない眉を
ほんの少し整える程度切りそろえ、

頬や額や唇には化粧を施し
綺麗に整えてくれていた。
(髪はよく見ると毛穴が黒く変色していたので分かった)

これがあったから、
最後の葬儀の日以外は
父の亡骸を見ることの出来なかった祖父母でも、
葬儀の日には安心して死に顔を見せ、
みんなで見送ることができた。


霊安室での時間、妹がしつこいほど
父から離れないものだから
気付くと父の真っ白い死に装束に
妹のファンデーションが少しついていた。

「ちょっとぐらい平気だよね、ごめんねお父さん」


可愛い娘の、涙と鼻水とファンデーション。
それが浸み込んだ服であの世に行くんだ、
父も悪い気はしないだろう。


しかし葬式の前日になって
心なしか顔の化粧が馴染み
妹が握り続けた手の皮膚も
やや黒みを増しているように見えた。

せっかく湯灌で綺麗にしてもらい
防腐処理を施してもらったのに。


(あ~あ。
死人みたいな色になっちゃったじゃん)

なんて思うのも束の間、
(あ、そうか、もう死んでるんだわ。
何言ってんだろ、私)

なんて思い直したりして。


本当にこの時期は現実感がなさすぎて
自分が何を思うか、どうなるか、
分かったもんではなかった。

で、そんな風になってしまったから
確かエンバーミングのパンフレットに
お直しもできると書いてあったな、と。

葬儀場のスタッフの方に声をかけると
急で、しかもそのとき
閉館ギリギリだったにも関わらず
少々遠方にいるエンバーマーの方に確認を入れてくれた。

「来られるようですので、エンバーマーがくるまで
 ここでお待ちいただければと思います」

そうして、その日父と過ごせる時間が1時間ほど増えたのだった。


しばらく待つと、
死化粧師の方が到着して
父を前に、深々と頭を下げ
手を合わせてくれた。

それから手袋をはめた手で、
舞台用のものと同じだという
ファンデーションや口紅を
丁寧に丁寧に
父の顔へ塗り直してくれた。

女性用の化粧用品だと、
すぐに落ちてしまうため
舞台用のものを使用するのだという。


父の顔はみるみるうちに
明るい色を取り戻した。
多少厚塗り感は否めなかったが
血の気のないあの顔色よりは
ずいぶんとマシだった。

改めて父の顔をみると
より一層に穏やかに、
やっぱり笑っているように見えた。


「大丈夫だね、お父さんはきっと
 もう苦しんでないね」

自分に言い聞かせるように言った。



このエンバーミング、
相場15~30万円程度で対応してもらえるが
決して安いとは言えない金額である。

必ずやらなければいけない処置ではないが、
やはり遺族の心情としては、
最後のお別れのときに
痛々しい見た目の家族を見送ることは
気が引けてしまうことも事実。

いや、気が引けてしまう、とかそんな軽いもんではない。
突然亡くなったという事実だけでもう
心も頭もパンク寸前なのだ、きつすぎる。

だから、できることなら同じような方たちには
特に受けてもらいたい処置だなと切に思った。


たとえばエンバーミングがもっと一般化して
エンバーマーの仕事が国家資格化されるとか
そういう動きがあれば、お金のない人でも
国からの何らかの補助を受けるための制度も作りやすかろう。


まあそもそも、
これだけ自死をする人が多いこと自体が
社会全体で向き合い
関心を持ち理解するべき問題で
根本的な部分での動きが何もないままでは、
結局繰り返すだけのことだから
先ずはそこからだ、とは思うのだけれど。

亡くなった後や、遺族のケアも大事だが
そもそもそれが起きないために
何が必要か、だよなぁ、と。

非常にデリケートで難しい問題だろうけれど。


そうか、父さんは死んじゃったんだよな。~⑧第一章:父が死んだ。これは夢か幻か~

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