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クラウドファンディングに挑戦します。

(★)この5年間の事

その前に、2009~の事を少し
39歳の時〈2009年)に北海道で遊漁船業謙釣り具屋を創業させました。好きな場所で好きな釣りをして生きて行きたい。そして美味しい魚と酒でお客様と交流したいとの想いからでした。当時は厳しい冬の影響で、北海道では年間を通して釣船を出す業者はほぼ皆無の中、運よく順調に業績を伸ばしたものの、いつの間にか当初の夢は薄れていき、自他共に認める一番の遊漁船にすることが目標になってしまいました。結果的に船は3艘になり、ピーク時は年間延べ1,500名を超えるお客様に乗船して頂ける遊漁船になり5名の独立者を輩出しましたが、息子の死から笑う事も話す事も書く事も出来なくなり、一線を退きスタッフに事業を任せ廃業を決意しました。

2019年

娘の中学校入学のタイミングで、北海道から千葉県に引っ越しました。自身の夢と、娘の夢を実現させるために千葉県に引っ越し、新聞配達をしながら人生を再構築。新聞配達は、その時の私に唯一出来る仕事でした。月末の集金と拡張でお客様と会う必要はありますが、1件数分程度。あとは早起きして新聞配達して、夕方までは割と自由な時間があり、先天性の病気の影響で体調を崩し易かった娘の緊急事態にも対応しやすく、所長にもよくしてもらい、人生の友も出来ました。

2020年
アースキューブジャパン主催のゲストハウス開業合宿に参加
毎日、新聞配達をしながら、徐々に将来を見る事が出来る様になっていきました。娘が大学を卒業するまで新聞配達を続ける事も考えましたが、宮城で生まれ、北海道で育った娘には『ここが故郷』と呼べる場所が無い。ただ、私が生まれ育った広島には自分のルーツが広島に有ることを娘自身感じていたことや、自分の夢は最後は生まれ育った瀬戸内海で魚を獲り、その魚を食べながら地酒を楽しみ、その楽しさをみんなと共有する人生が夢だったので、北海道では叶わなかったその夢を瀬戸内海で叶える為にゲストハウス開業合宿に参加しました。
そこで、4年後にゲストハウスを作るという目標を立てました。ただ高校受験を控えた娘と、生活の基盤をしっかりと作る事が最優先。
今まで北海道でやっていた遊漁船業を瀬戸内海でやるにも、初期投資も大きくさらに、いくら生まれ育った瀬戸内海と言えど、島も違うし、海も大きく変わって来ていて、昔いなかった魚がいたり、居た魚が姿を消していたりで、船の操船は出来ても、すぐにお客様からお金を頂くには早すぎると思い、まずは漁師として自分で魚をとってそれで食べて行けるようになることを考えました。漁をしながら釣りのポイント開拓も出来るとおもっての事です。

2021年・夏

正式に、北海道での遊漁船業を継承してくれる者が決まり、私は漁師修行と娘が志望する高校への通学が両立可能な、この広島湾に浮かぶ江田島に移住。36年ぶりの瀬戸内海。娘は初めての広島暮らしになりました。

2022年・春

予定より半年早く漁師として独り立ち。漁師としての基盤無くしてゲストハウスの開業、遊漁船業の再開は無いと必死で働き1年で目標としていた水揚げ高を達成。

2023年秋

周りの皆さんの協力とご支援で、【漁師ゲストハウスげん】の開業に向けてスタートを切らせていただきました。

私の成功が、いろんな問題を抱えながらも夢をもって日々頑張っている多くの人の励みになれれば尚嬉しい。

どうか、ご支援よろしくお願いいたします。最後までお読みくださりありがとうございました。



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