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「オ」スプレイ

 頭が余り良くない(悪い)人間は「オスプレイ」という単語を聞いて、本気で「メスプレイ」があると思うだろう。いやマジで居るはずだ。これを読んでいる人、悪いことは言わねえ、白状せい、そっちの方が後々楽だぞ。
 「オスプレイ」はそもそも二つの単語で構成されておらず、一単語でミサゴ(鶚)というタカ目の猛禽を意味する。なんとも顎が強そうな漢字だが、そこが強い記述はWikipediaには無い。代わりに「ミサゴ鮨」なる、飲尿プレイみたいな鮨の話がある。意外と美味そうで、飲尿好きの友達Rと食べてみたいという気持ちが湧く。またミサゴは冬の季語……話が脱線するな。
 とにかくオスプレイはミサゴという禽獣の英名で、それ以外に何か疚しい意味は無い。ただただミサゴかっこいいし、なんか海つながりで、沖縄で如何にも飛んでそうだ。(沖縄米軍駐留反対論者さん、ごめんネ!道民だから許して!)実際は木更津とかでも飛んでいるが、まあThe沖縄ザ・ウチナーという感じがしてしまう。うん、かっこいい。
 しかし日本では、評判は芳しくない。何回も墜落したというのが大きいな。墜ちたら辺りがメチャクチャになるし。まあそもそもだけど、米軍関連の事件って以前から多くあるから、こういうのを導入すること自体に不安感とかあるわ。
 そういう訳でオスプレイは何かと揶揄される。小学生の時分、よく飛んでは墜ちるところを見てみんな冷笑気味だったし、確かマミー曰く2chはこれ関連で笑ってたらしいし、その流れで僕も小馬鹿にしてきたわけだ。その影響が強すぎて高校生の時、初めて村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読んだ際、その話を進めている途中頻りに「オスプレイの墜落」が頭の中を過ぎりまくった(まあそもそも福生市が何なのか分からず、米軍=沖縄だと思っていて、あそこの舞台が東京だと読んでいる最中は露にも思わなかった)
 こんなにも馬鹿にされたオスプレイだが、その強烈なイメージに付随してしまったのか、
「この名前卑猥だな〜」と思ってしまうことが多々あった。というか初めて聞いたとき、オスプレイがオス+プレイという加算を意味しているんだと誤解した。え、ヤバくね?でも暫くしてそんな訳が無いなと思って、引っ張られることがありつつもそれが「マジで」オスへの責め、母親のレディースコミックによく出てくるロウソクタラタラ〜みたいなやつから由来しているとは思わなくなった。
 僕が「そんな訳が無いな」と思ったのは、オスが日本語な以上、プレイなんてグチャっと接尾辞として闇雲に使うわけが無いと思ったからだ。それはおビール的な気持ち悪さがあった。ファック!!!
 でもこういう間違いをしたままずっと放置して、いやむしろ積極的に日常会話で使う強者がいるのだ。ソースは「クイズ!ヘキサゴンII」、あと小中の同級生とか。「オイオイオイ」と平気で言わせてくれるようなトンチンカンをのたまはすので圧倒される。
 重箱読みや湯桶読みが経験上余り会話や文章で見る機会がないから、どっちも音読みでいけば何とかゴリ推せることもできる。また複合語はある種の規則に沿って作られ、それはある程度同じグループの要素同士で形成されるということを留意しておけば、図らずとも自然な流れを持った単語を難なく使うこともできるだろう。ルー大柴の例を考えると良い。「あうんのブレス」に少なからずの諧謔性を感じ取れるのは、その形成の違和感に由来する。本人も(音声チック的なものがあるのかもしれないが)分かっていて、それをやっている。でも強者はそれに気づいていない。
 この現象は無知、そしてそれと共にやってくる傲慢さに基づいて起こる。彼らは不注意でしている訳では無い。ある種の確信を元にやっている。分からないことが多いというのを気づいているなら良いが、分からないことすら分かっていない。だから更正の余地がない。ある意味刑務所に入って罪を償おうと思い至る罪人の方が遥かに素晴らしい。彼は自力でその境地に至ったからだ。無知に基づく傲慢は殺人よりも罪深い。
 これがTwitterなどのSNSの発展によって一気に顕著になったような気がする。無知の驕りが勇み足で何も悪いことをしていない人を晒しあげ、また何の根拠もないのに女だから~クリスチャンだから~云々の戯言で冤罪を着させ、それで誹謗中傷だ。
 このことを斟酌するに、無知の驕りとSNSはとても親和性が高く、それはSNSの発展が自分と同レベルの人間を容易に探せるになったからだ。この人(ツイフェミと反ワク)を見よ!令和には幾千幾万もの「マンソン・ファミリー」が蠢く。駄サイクルとはまた違う恐るべき閉鎖的なサークルが跳梁跋扈しておる。
 本当、今オスプレイのことを考えると、もしあの話が直近の出来事だったら「一部のツイフェミが『メスプレイが無いのはおかしい!』と主張してる!」などのネタツイみたいなのが流行るのだろうか。流行らないで欲しいが、事実は小説よりも奇なり、世界は広いから確実に近いうちに起こり得ると確信せねばならない。無知の傲慢は荒唐無稽な集団を作り上げ、利益追求のために笑止千万な活動をするようになる。常識知らず、教養知らずの金魚のフンが影響力のある人間の言説を都合よく、あるいはわかりやすいところだけを抜き取り、公衆に顔を出すのは末恐ろしい。




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